第十五話 『サイレント・カロル』 6. 命の恩人
街はクリスマス一色だった。
イルミネーション、ディスプレイ、クリスマス・ソング、サンタクロース、子供達のはしゃぐ声、笑顔。
それらは一年のうちで、もっとも街を暖かく浮き上がらせる。
夕季と忍は明日のクリスマス会のための買い物に、近隣のスーパーへと出向いていた。
イベントブースはクリスマスにちなんだ催し物で賑わい、タイムサービスの重なりもあってか食料品売り場は大盛況だった。
飲料水のコーナーで忍が足を止める。
「……お酒、飲みたいよね」
夕季がそろりと顔を向ける。桔平のことを言っているのだと理解した。
「やめとけば。飲むのあの人だけだし。また騒ぐと面倒だし」
「でもせっかく来てくれるのにね……」
「……。じゃ、一本だけ買ったら?」
すがるようなまなざしで忍が夕季を見つめる。
いわく、犬の何やらを踏んだような、だった。
「飲みたいの? お姉ちゃん」
「……うん」
「……」
悲しげな瞳の忍を、夕季が真顔で見つめ返した。
「……じゃ、買えば」
「……じゃ、買おうかな」ほっとした表情で六本入りの缶酎ハイのパックを三つカゴに放り込んだ。「重っ!」
「……」
「あ、ほら、あたしってそんな酔っても変わらないっていうか、顔に出ないっていうか……」
「一度に飲んじゃ駄目だよ」
「……あい」
「しぃちゃん、お菓子、こんな感じでいい?」
スナック菓子を大量に抱え、光輔が歩み寄る。
咄嗟に表情を切りかえ、忍が振り返った。
「あ、うん。バッチリじゃない」
「光輔、これ持って」
「あ、ああ」夕季が差し出したカゴを受け取る光輔。「重っ!」
「ごめんね、光ちゃん」
「いや、別にいいけど。なんでこんなにお酒買ったの? 飲むの桔平さんだけでしょ」
「あ、うん……」
バツが悪そうに忍が笑う。
すると夕季が光輔を睨みつけた。
「つべこべ言うな」
「いや、なんで怒られてんのか、わけがわかんないんだけど……」カゴの中身と夕季を交互に見比べた。「んじゃ、俺も飲んでいい?」
「駄目」
「クリスマスなのに」
「関係ない」
「マジメ、おまえ」
「もう宿題教えない」
「それはもうスイマセンでした!」
「あれ?」
忍の声に二人が振り返る。
「あれ、紀さんじゃない?」
惣菜のコーナーに南沢の姿があった。隣にはベビーカーを押す若い女性が見てとれる。
幸せそうに買い物をする一家のテリトリーに介入すべく、光輔が派手に手を振った。
「南沢さーん!」
場内に響き渡るほどのオーバーキルな呼びかけに、空間にいるほとんどの視線が注目し、夕季と忍が恥ずかしそうに顔をそむけた。
「お!」
光輔達に気づき、南沢一家が引き寄せられるようにやって来る。
「なんだよ、めずらしいな」
「あ、はい。明日のクリスマス大会の買い出し」
「クリスマス大会? 健全だな、おまえ達」
「ええ。しぃちゃんからシモネタ禁止令が出ていますから」
「なるほど」
夕季をちらと見やり、南沢が奥方に合図する。それから嬉しそうに笑った。
「ほら、幸子。これが夕季」
途端に彼女の顔が明るく弾ける。
「ああ、この子が夕季ちゃん!」
「……」
「旦那から話は聞いてるよお。ほんと、迷惑ばっかりかけちゃってごめんねえ」
「あ、と、いえ……」
「ほんと、ありがとうねえ。こうして一家三人でいられるのもあなたのおかげだもんね。感謝してます」
「そんな……」正面から直球勝負の幸子に対し、夕季がぐいぐい押し込まれていく。「……あの、シュークリーム、ありがとうございました」
「ああ、いい、いい、あんなの。また買ってくからね」
「あ、……はい」
赤ん坊を抱き上げながら、南沢がおもしろそうに笑った。
「こっちがお姉さんの忍」
「ああ! あなたが忍ちゃん!」
「あ、はあ……」
「聞いてる、聞いてる、旦那から。ほんと背が高いねえ。七十は楽勝だよね」
「いえ、七十はないです……」
「七十はないんだあ!」
「は、は……」
訳もなくテンションが加速していく南沢幸子、一児の母。
「なんだかモデルさんみたいだよね。服とか困るんじゃないの?」
「いえ、それほどでも……」
「足長そうだしさ、Gパンなんて切ったことないでしょ? いいよねえ。あたしなんか身長ないし、地味な顔だから髪染めても全然目立たないし、うらやましいよね。ちょっとしゃべんないでいるだけで、黙ってれば案外静かな人なんですねえ、ってよく言われるんだよ。印象薄いから仕方ないんだろうけどさ、遠まわしに暗い人って言われてるみたいで傷つくっちゅうねん」
「……もっと自信を持たれても全然さしつかえないと思いますよ」
「でもいいよね。それだけ肩幅あったら、男の人の服とかも着れそうだし。きっと似合うよ、ガッチリしてるから。パットいらないでしょ?」
「……それが悩みなんスけど」
「そうだ。柊さんに聞いたんだけど、最近、キャラ崩壊しまくってんだってねえ。いろいろ迷走してんだね」
「何のことですか……」
連続コンボに、あっと言う間に瀬戸際まで追いやられる忍。
それでも幸子の猛進は容赦なかった。
「酔っ払うとスイッチ入って別人になるんだってね」
「いえ、それはないと思います。お酒、結構強い方なので、飲んでもほとんど顔に出ないと思いますが」
「じゃ、シラフで木場さんの頭とかペシペシ叩けちゃうんだ? それもすごいね」
「……。へええええー!」
「あっははは! へえええー、だって!」
「こらこら、幸子……」
南沢の助け舟を素で迎え撃つ妻、幸子。
「だって、忍ちゃん、こないだの忘年会でもべろんべろんに酔っ払って、思いっきりひっくり返ってたってコマちゃんが言ってたよ。一瞬見えてたって」
忍、硬直。
「あれ、知らなかった?」
「ええ、まあ、初耳って言うか……」自嘲気味に遠くを見つめた。「なあんだ。それで朝、首が痛かったんだ、すごく。そうですか。見えてたんですか。はははは……」
「綺麗にスッテーンっていってたって。まるでバナナコントみたいだったってさ」
「……。何だか気持ちが悪くなって……」
「何? 二日酔い? あっははは!」
「あっははは……」
「ほら、夕季」
南沢が赤ん坊を差し出す。
「抱いてみるか?」
「……。でも……」
「大丈夫だって」
腫れ物を触るように、おっかなびっくり赤ん坊を抱く夕季。懐に収まり、むにゃむにゃと口を動かす仕草を見て、夕季も柔和な顔になった。
まだ一歳頃か。眠そうな様子だったが、ぐずりはしなかった。
「ほうら恵、パパの命の恩人だぞ」
夕季がその小さな顔を見つめる。最初は戸惑っていたが、落ち着いた表情で赤ん坊を眺める夕季の顔は、穏やかで優しげだった。
「……かわいい」
「だろ」
南沢にまなざしを向ける夕季。得意そうな顔が飛び込んできた。
「うちの自慢の娘だからな」
「……」赤ん坊が夕季の服を握りしめる。すると薄笑みを浮かべ、何とも言えない表情になった。
「あ、笑ってる」
光輔に指摘され、夕季が顔を赤らめる。すかさず、キッ、と睨みつけた。
「俺、赤ちゃんのこと言ったんだけど……」
「……」
「ま、いいじゃん。別に」赤ん坊の顔を覗き込む光輔。「おまえ、犬コロとか赤ん坊とか触るの好きだもんな。アババババア~」
「そういう言い方やめて……」
「よし、俺も」
光輔が抱こうと手を伸ばした途端に、赤ん坊がぐずり始めた。
「ややややや! ちょっと、待って」焦って光輔が手を引く。恨めしそうに夕季を眺めた。「おかしいな……」
「何が言いたいの」
「何がって……」
「ははは」南沢が楽しそうに笑った。「こいつ、男は駄目なんだ。おまえのせいじゃないよ、光輔」
「はあ……」
「ああ、あなたが光輔君!」
忍を完膚なきまでに叩きのめし、続けて幸子が光輔に狙いを定めた。
「聞いてる、聞いてる。やっぱわかるんだね、子供にも」
「何が?」
「何がってか!」
「何がって、か?……」
「柊さんと雅ちゃんがさ」
「ああ、だいたいわかったっす……」
光輔が首を差し出す。
勢いわずかにも衰えず、ケラケラと幸子が笑った。
「あたしのこと、サッティって呼んでね」
「さってぃ……」
「サッチーじゃないわよ。間違えたらあかんでぇ。あはははは!」
「はあ……」
「わあ、恵ちゃん、かわいい」
幸子から解放された忍へ赤ん坊を差し出す夕季。
「お姉ちゃんも抱く?」
「え、あ、うん、うん」嬉しそうに赤ん坊を受け取ると、にまにまとしまりのない笑顔を向けた。「かわいいねえ」
「うん……」
夕季もそれに穏やかな笑みで応えた。
かたわらでは光輔と幸子のやり取りが続く。ようやく光輔がイーブンに持ち込み始めていた。
「姉さん女房すか」
「わかる?」
「なんとなく」
「そういうフェロモン出てる?」
「フェロモンっていうか、オーラみたいな……」
「おんなじ、おんなじ。あたしの親友の弟なの、旦那」
「へええ」
「小学校の時から知ってんだけどね。いっつもお姉ちゃんの後ろでもじもじしてて。お姉ちゃあん、さっちゃあん、って。お坊ちゃんでさあ、いつもぴちぴちの半ズボン履いててね、よく横からさ……」
「こらこら、幸子さん……」
南沢が顔を引きつらせて二人を眺めていた。
「いっけね、シモネタ禁止だっけ? 忍ちゃん」
「シモネタだったんですね……」
「あっははは!」
「あっははは……」
光輔が赤ん坊と幸子を交互に見比べた。
「この子も今にあんなふうになっちゃうんすかね」
「光輔!」
たしなめる夕季の声を尻目に、南沢が不機嫌そうに眉間に皺を寄せる。
「たぶんな……」




