第十四話 『避けられぬプロセス』 10. 穏やかなメロディー
「あのな、別にいいんだけどよ」
ふいに礼也がそれを口にした。
「何?」
楓に力なく返され、気遣うような口調で礼也が話を続ける。
「おまえが偽善者でも何でも、別にどうでもいいことだっての」
「……。偽善者……」
「いや、そういうつもりじゃねえんだけどよ……」もどかしそうに顔をゆがめる。「だってよ、そんな人間いるわけねえもんな。みんなどっかかんか、計算してるわけだろ。映画やドラマじゃあるまいし、人間なんざ、損得で動いてる方がよっぽどかわいげあるっての。でなきゃ理解できねえって。だからよ、仮におまえが偽善者だったとしても、俺は何とも思わねえ。むしろ安心するって。どうせひねくれモンだし」
「……」
「この世の中、正直モンが損するようにできてんだ。正直モンは長生きできねえ。だったら、ニセモンでもいいから、ずっと生きててくれた方が、周りの奴にとっちゃありがてえだろ。カッコつけてて、そんでぽっくり死んじまったら何にもならねえ。どんなんなっても生きててくれた方がいいっての」
楓からの反応がない。
礼也がボリボリと頭をかきむしった。
「やっぱりおまえ、俺とは違うのかもしんねえな。おまえは自分がそういう人間になりたいって思ってたから、そうしてるわけだろうし」
「霧崎君、また嘘ついてる」
「ん?」
「本当は霧崎君も信じてるんだよね。そういう人がいることを知っているんだよね。だから、私みたいな上辺だけの人間が許せない……」
「はあ!」不快そうに顔をゆがめる。「てめえ、勝手にキレイごとで人くくってんじゃねえって。俺の本体はよ、もっとドロドロでぐちゃぐちゃなパーツで組み上がってんだからよ」
「……」
「って、雅が言ってやがった」
「……。……雅?」
「ん? ああ、おまえに負けず劣らずのいじわるな女だ」
「……。ふ、うん……」
「ま、俺とおまえじゃ、……いろいろ違いすぎるってことだ」
「……」
「おまえらは真面目に学校行ってりゃ、普通に卒業して働いて結婚する。上流か中流かは知らねえが、ちゃんとした家庭みたいのを築けんだろ。だが俺は違う。他の奴が普通にやれることができねえからな。何一つ、まともなことができやしねえ。口先ばっかでよ、駄目なのは重々承知だが、今さらどうにもならねえんだ。まともなモンに近づけば近づくほど、そこに自分の居場所がないって気づかされる。情けねえって。結局、俺とおまえじゃ住む世界が違うってことだ。俺なんかじゃ、いくら頑張ったっておまえらみたいにはなれねえ」
「そんなこと、ないでしょ……」
「わかってるくせにシラジラしいこと言ってんじゃねえって。一番必要な奴と一番邪魔っけな奴が、同じ場所で同じ扱い受けてちゃ不公平だろうがよ。俺だって自分の居場所くらい知ってる」
「……」
黙り込む楓に、へっ、と礼也が笑ってみせる。
「それ承知でこうやってつき合ってくれんだから、貴重な存在なんだろうな。珍しいって、おまえみたいのも。結構ありがてえかもしんねえ」
「……。霧崎君って褒められるの苦手なの?」
「ああん!」じろりと顔を向ける。「んなの、誰だって苦手だろーが。人が人、褒めん時は、なんかかんかよからぬこと考えてる時のが多いだろうしよ。シラジラしいって。っても、直で褒められんのも恥ずかしくて、ムズ痒くなってくるけどな。まだ駄目出しされた方がマシだっての」
「……。私は逆。白々しくてもいいから、褒めてほしい。駄目出しされるとすごく落ち込む。泣きたくなる……」
「本気で駄目出しされりゃ、誰でもヘコむけどよ」
「褒められていないと不安になる。自分なんて必要ないんじゃないかって思えてくる。いなくてもいいんじゃないかって。そう思うだけで怖くて怖くて、何もかも捨てて逃げ出したくなる……」
「逃げる奴は信用できねえ。てめえが助かるためにすぐ裏切るからな」
「……う」
「て、ってもよ、俺だって言えた義理じゃねえがよ」
「……」
「誰だって迷えば逃げ出したくなる。逃げ場所を探そうとするのもガチで仕方ねえって」ふん、と鼻息をもらし、礼也が口を真っ直ぐに結んだ。「迷いがねえ奴は強い。だが、引くことを知らねえから早死にする。だから大事な奴ばかりいなくなって、俺みたいないらねえモンはいつまでも生き残っちまうんだ」
「……」
「ヘタレのくせに何があっても逃げない奴なら知ってるけどよ。ま、あいつは天然だからハナから勝負になんねえな。でもよ、ホントに勇気があんのは、ホンモンよりもフェイク貫いて頑張ってる野郎かもしんねえ。嘘もつきとおしゃホンモンだ。危なっかしいけどよ。おまえは偽善者でも逃げねえから、俺よかマシだって。な?」
「……。そんなふうに言われてもちっとも嬉しくない……」目頭が熱くなり、額を礼也の背中に押しつけた。「言ってること滅茶苦茶」
「んなこたわかってるって。こっちだって何言ってんのかとっちらかってんだからよ!」
「……ねえ」
「ん?」
「礼也って、誰がつけたの?」
「……。お袋だろうな」
「……いい名前だと思う」
「あのなあ……」
ふさぎ込んでしまった楓の様子に、柔らかいものにそっと触れるように、穏やかに礼也が話し始める。
「ほんとはあんま好きじゃねえんだけどよ」
「どうして?」
「……。なんでレイヤってーか、わかるか?」
「……わからない」
「ほんとはよ、レイって字、ゼロって書いてたってよ」
「ゼロ?」
「漢字のゼロ。一の前の零だ」
「……。どうして?」
「お袋達の呪いが込められてんだよ。すべてをリセットしてゼロに戻りたいっていうな。そんなんじゃ不憫だから、どっかの輩がギリで差し替えたって話だ」
「……」
「俺がいる限り、奴らは永久にリセットできねえ。俺は誰からも求められない、いねえ方がいい人間なんだよ。笑っちまうだろ。てめえらで勝手にこしらえといて、なくなっちまえってんだからよ。そうはいくかって」
「……」
「世の中には二種類の人間がいるってよく言うじゃねえか。でもよ、俺はいつだってどっちにも入れねえ。ずっと外っ側の人間だ。だからゼロヤでちょうどいいんだって」
「だったら、カズヤになればいいじゃない」
「カズヤ?」
「一の也って書いて一也」
「んじゃ何か? 次はニヤでそん次はサンヤかってーの?」
「……普通に次郎とか三郎でいいじゃない」
「そんなん普通すぎだろ」
「……。じゃ、ニヤでいい」
「あっははは!」礼也が豪快に笑い飛ばす。「俺もニヤは勘弁だって」
「……」
「おまえよ、普通信じねえだろ、こんな作り話」
「作り話……」
「ころっといきすぎだっての」
「……。全部嘘だったの?」
「ん?」ちらと楓を見やった。「さあな。どうだかよ」
「……。ひょっとして、さっきのも……」
「んあ?」
「……」
「エンコーの話か? ありゃ、ほんとだって」
「あ……」
「妊娠して産まれたとこくらいはな」
「……。……じゃ、私も嘘」
「何だっけか? おまえの話って」
「……」一瞬むっとするが、すぐに立て直す。「メロンパンが好きだっていう話」
「マジか……」
表情を和らげ楓が小さく頷く。
「世の中、嘘ばかりだと思ってた方が、がっかりしなくてもいいかもしれないね」
「そいつはあるかもな」ははは、と礼也が笑った。「欲しいと思わなきゃ、消えてなくなったって何ともねえ」
「……」楓も笑う。淋しそうに瞳を揺らしながら。「……。うん……」
「嘘なんかじゃねえって」
「?」
「おまえのことは別に嫌いじゃねえ」
「!」穏やかな礼也の旋律に楓の心が射抜かれる。ふいをつくように襲いかかる嗚咽をこらえることができなかった。「うっ、ひっ、いっく、うひ……」
「……。てめ、どっから声出してやがんだ……」
「……ひ、いひっ、……ひっく……」
「……。ま、いいけどな」平坦に、そして優しげに礼也がその音色を奏で続けた。「おまえがどんだけ垂れ流そうが俺には関係ねえしよ。言う気もねえけど、今日だけにしとけって。でねえと、せっかく無理くり気張って生きてる意味ねえからよ」
「ご、ごめん……、ひっ、うっ、く……ひっ……」
「だから、いいってよ、んなの……」
「ひっ、うっく……」
「あ~あ、っと……」




