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第十三話 『グッバイ……』 1. もう逃げない

 


 新たなる脅威の出現により、駅周辺は未曾有の大混乱に陥っていた。

 安全を求めて人が人を押し倒し、平和を願う者が己以外の人間を傷つける。

 そこに助け合いという言葉は意味をなさなかった。

「木場さん! 木場さん!」携帯電話を握りしめ、夕季が懸命に呼びかける。「早くして! お願い、もう収集がつかない!」

『わかっている。落ち着け、夕季。とにかく今は……』

 逃げ惑う人々に突き飛ばされ、携帯電話が夕季の手から放れていく。滑るように転がったそれは雑踏に埋もれ、激しい足踏みの中粉々に砕け散った。

「……」

「夕季!」

 光輔の声に夕季が振り返る。

 アスモデウスが群集を見下ろしていた。

 石像のような仮面の口をくわと開き、不気味な両眼を光らせる。

 それはまるで獲物に狙いを定めたふうでもあった。

 際限のない驚愕が人々に襲いかかる。

 狂騒のエスカレートはもはやとどまることを知らなかった。

 駅前のショッピングモールをなぎ倒し、進軍を開始する灰色の巨影。

 ビルを砕き、噴水を割り、立ち往生する蟻の群のような車両を踏み潰した。

 蜘蛛の子を散らすかのごとく、民衆達が逃げ惑う。絶叫のるつぼとなった一帯は、阿鼻叫喚、地獄絵図の様相だった。

 親からはぐれ泣きわめく幼女の手を取り、夕季は光輔とともに地下道へと駆け込んだ。

 そこにはすでに多くの人達が避難しており、い合わせた母親らしき人物が幼女を抱きしめて膝から崩れ落ちた。

 これから訪れる恐怖より、互いが無事であったことを確かめ合い涙を流す親子を、光輔と夕季は複雑そうな表情で眺めていた。

 地響きに絶叫が覆い被さる。

 夕季が入り口へ向かうと、光輔もそれに続いた。

 爛々と妖しい光を浮かび上がらせる一対のセンサーが周囲を見渡していた。

 先まで辺りにあふれ返っていた人影も今では一人も見当たらず、その行き場所を探っているふうでもあった。

 地下道から鳴り響く渦を巻くような絶叫に気づき、異形の悪意がジロリと顔を向ける。

 瞬時に自分達が補足されたことを夕季は悟った。このままではそこにいるすべての人間に被害が及ぶことになるだろう。

 く、と奥歯を噛みしめ、夕季が飛び出して行く。

「夕季!」

 その背中を追いかけるように、光輔も走り出した。


 綾音は一直線に光輔達の待つ場所を目ざしていた。

 心に覚悟を刻みつける。

 それはもはや、悲痛な願いですらあった。

『陵太郎、ひかる、あの子達を守って。みんなを守って……』

 視野に入った駅周辺に火の手が上がっていることを確認する。

 はやる気持ちを深呼吸で押さえ込み、綾音は状況を冷静に見極めようと努めた。

 そこで綾音は見た。

 ほんの今しがた己を死の淵まで追いやろうとした物の怪と、まったく同じ姿形の巨影を。

 それは駅から離れ、商店街の方向へ向かっていた。

 何かを追いかけるがごとくに。

 ゴーグルシステムの倍率を高め、その目的を探ろうとする。

 するとアスモデウスに追われ一心不乱に走り続ける、見知った人影が視界一杯に飛び込んできた。

「!」カッと目を見開く。「夕季!」

 スロットルを最大に設定し、最短ルートで海竜王が挑みかかって行った。


 制服をひるがえし、静粛たる街中を夕季が駆け抜ける。

 何度も振り返るその表情には焦燥が色濃く浮き上がっていた。

 撹乱させるためにアーケードに覆われた商店街に逃げ込む。雑居ビルの陰に身を潜め、息を殺し、トレーサーの様子をうかがった。

 その直後、アスモデウスが石の槍を水平になぎ、アーケードを建物ごと取り払っていった。

 落下物を避けようと夕季が車道に飛び出して行く。そのわずか数十メートル先には、アスモデウスの巨大な背中があった。

 うごめく蛇の尾。

 このままではいずれ見つかるだろう。

 だが、手を封じられた夕季は動くことすらできなくなっていた。

 尾はのたうつ鞭となり、山のような巨躯を見上げるだけの夕季に迫ろうとしていた。

 その時、派手な破砕音とともに反対側のショーウインドウが粉々に砕け散った。

 振り返る夕季、とアスモデウス。

 そこには睨みつけるように巨大な相手の前に立ちはだかる光輔の姿があった。

 アスモデウスを引きつけようと、咄嗟に車止めのブロックをショーウインドウに投げつけたのだった。

「光輔……」

 ちらと夕季を見やり、光輔が背中を向けて走り出す。

 すぐさまアスモデウスが続いた。

 ようやく恐怖の呪縛から夕季が解かれる。

「光輔! 光輔!」

 その呼びかけは狂騒の中へかき消されていった。


 全速力で光輔が駆け続ける。

 サッカー部一の俊足である足には自信があったが、十倍以上の身の丈で迫り来るアスモデウスにとっては、人形がゆるやかに動いているのも同然だった。

「くそ!」

 ジグザグに走り抜け、焦ったように振り返ると、雄叫びをあげながらアスモデウスが石の槍を頭上高くかかげるのが目に入った。

「!」

「光輔!」

 先回りしていた夕季が横から光輔を弾き飛ばす。

 その直後、光輔のいた場所へ槍の先端が達していた。

「夕、季……」

 光輔に被さったまま倒れ込んだ夕季が苦痛に顔をゆがめる。

 右膝から血が流れ出ていた。

「おまえ、それ……」

「大丈夫」

「でも…… !」

 不気味な影が二人を覆いつくす。

 アスモデウスが再度槍を振りかざしていた。

 動けない二人の頭上目がけ、一直線に。

「くっそ!」

「光輔、逃げて!」

「く!」

 体勢を入れ替え、光輔が夕季をかばうように被さった。

「光、輔……」

「く、そ……」

 万事休する。

 覚悟を決めた光輔が、夕季の身体を強く抱きしめる。

 そのその折れないまなざしの肩越しに、夕季がアスモデウスを睨みつけた。

 太陽を背負い、影となった巨体の両眼だけが不気味な光りを放つ。音のない世界の中、それはまるで二人を死の世界へいざなうようでもあった。

 揺らめく影越しの陽の照射に夕季が目を細める。

 悔しそうに唇を噛みしめた。

 悪魔の雄叫び。

 が、次の瞬間、二人の耳へ飛び込んできたのは、静寂を引き裂く銃撃音だった。

 背中にマシンガンの連続射撃を受け、くわと大口を開けたアスモデウスが振り返る。

 そこで夕季は見た。

 両手に構えたサブマシンガンの銃口から硝煙を立ち昇らせ、仁王立ちする海竜王の姿を。

「綾さん」

「え!」

 事情を飲み込めないまま、光輔も顔を向けた。

「どうして、綾さんが……」

「……」

『夕季ー! 光輔ー! 遅くなってごめん!』

 補助具の外部スピーカーを通して綾音の声が響き渡る。

 夕季を抱きかかえるように光輔が立ち上がった。

『とりあえず早く逃げな!』

 光輔の顔を見据え、夕季が頷く。

「綾、さん……」海竜王を見上げ、光輔もそれに従った。

 迫り来るアスモデウスを真正面にとらえながら、コクピットの中、綾音が静かに先につないでいった。

「そう長くはもちそうにないからさ……」

 常に影響のない位置取りを計算し、銃を乱射しながら、二人が安全区域まで脱出するのを綾音が見届ける。

 アスモデウスの一撃をかろうじてバックステップでかわすも、腹部のサポートパーツが弾け飛び、今後の行動に制約が生じることとなった。

『ここまで』綾音の脳裏に諦めがよぎる。『……』

 すでに定められた終結だと覚悟していたはずなのに、何故か割り切れない感情をともなっていた。

 光輔と夕季のことが気がかりだった。はたして無事逃げおおせたのだろうか。

 自分が倒れれば、再びアスモデウスは目標を二人に定めるのだろう。

 ならば少しでも時間をかせぐ必要がある。

 礼也が、せめてメック・トルーパーが到着するまでは。

 その強き想いだけが綾音の心を突き動かしていた。


 あさみの目はディスプレイの映像に釘づけとなっていた。

 遠方から映し出されたその映像では、人形のようにたどたどしい動きの海竜王が二体目のアスモデウスから逃げ回っている。

 耳もとから流れ入る悪魔の囁きすら、あさみにまばたきを与えることはかなわなかった。

『さあ、押せ、進藤』

 右手の中にスイッチのようなものが握り込まれていた。

『今だ、押せ……』

「!」

 振り払われた槍の先端に触れ、海竜王が吹き飛ばされる。咄嗟に出した左腕の装甲が剥がされ、アスモデウスに背中を向ける格好で四つんばいになった。

 あさみが手のひらに力を込める。

 ボタンにかけた指先が小刻みに震えていた。

「伏見さん、撤退しなさい」

 思わず口をついて出た言葉だった。

『……あさみ、さん』

「撤退しなさい、早くその場から!」己の臓腑にナイフを突き刺したかのような悲痛な叫びだった。

『大丈夫です。私はまだやれます』

「命令です!」

『……』

「……」

『まだ逃げるわけにはいかない。……私は、もう逃げない』

「あ……」

 アスモデウスが槍を高く差し上げる。ケエエエー、という咆哮をともない、無防備な海竜王の背中目がけてそれを振り下ろそうとした。

 くっ、と呻くあさみ。

「逃げて! 綾っ!」

 が時すでに遅く、力任せに叩きつけられたその尖端は、海竜王の背中に触れるや周辺一帯を巻き込む大爆発を起こした。

「綾ーっ!」

 あさみの絶叫が閉鎖された室内にいつまでも反響し続けていた。





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