第十三話 『グッバイ……』 2. グッバイ……
光輔達の間近へとたどり着いていた木場が、予期せぬ爆発音にまばたきすら忘れる。
「何だ、あれは……」
「木場さん!」
聞き覚えのある声に木場が振り返る。
夕季を抱え近づいて来る光輔の姿が目に入った。
夕季は口を結び、眉間に皺を寄せ、苦痛に耐えているように見えた。
「光輔! 夕季! どうした」
「夕季がケガをしたみたいなんです」
「何、どんな具合だ」
「転んだ時に膝を……」
「たいしたことない」強きまなざしを向ける。「あたしのことなんかどうでもいい。綾さんが!」
「!」
海竜王のコクピット内で綾音は悶絶していた。震えが止まらず、しだいに意識も遠のき始める。
先の攻撃で装甲や補助パーツはすべて吹き飛び、海竜王は本来の姿に戻っていた。
もうろうとした意識の中、綾音の心に過去の想いが蘇る。
*
「あんた、メックの正式採用断ったんだって」
真夜中の食堂で綾音に問いかけられ、陵太郎が顔を向ける。手を止め、問題集の上へ鉛筆を置いた。
「ん、ああ」
「鳳さん、あんたのこと褒めてたよ。まだ子供なのに経験者に混じっても全然見劣りしないって。メックに入っときゃ食いっぱぐれもないのにさ。オビィの候補者なら、なおさら優遇されるはずだし」
「ん、まあ、そうなんだけどさ。まだまだ先の話だしさ」
「そんなに先生になりたいの?」
「はは」照れ臭そうに頭をかく。「できればね」
綾音がおもしろそうに笑った。
「昔っからのあんたの夢だったもんね」
「いや、夢ってほどのものでもないんだけど、まあ、なれないものにこそなりたがるってやつかな」
「あんたのおツムだと、当然、体育の先生だよな?」
「いや、一応世界史とか狙ってるわけなんだが……」
「……。まずは大学に入んなきゃね。授業料、どうするの。あんたの成績じゃ、奨学金は絶対出ないだろうし」
「絶対って……。しばらくはメックと掛け持ちってとこかな」
「ま、やれるだけやってみな。駄目なら駄目で、メガルにいきゃいいだけだし。メックじゃなくても、仕事さえ選ばなきゃ、何とでもなるしね。駄目もとでいいんじゃない?」
「……やる前から、駄目駄目、言いなさんな」
子供をあやすように、綾音が微笑みかける。それから、何気ない様子でそれを口にした。
「ねえ、なんで?」
「なんでって……」
「そんなに子供好きだったっけ」
「うん、まあ」涼しげな顔を向けた。「バカな奴と、いい奴と、普通の奴は、好きかな」
「全部だよね」
「うん、全部」
「……」
「……。そんなに変かな……」
綾音があきれたように陵太郎を見続ける。少しだけ意地悪そうな顔になった。
「んじゃ、どうでもいい奴は」
「そんな奴、いやしないよ」
「!」
「どうでもいい奴なんて、この世にはいない。もし、そう思っている奴がいるのなら、俺はそいつに違うって教えてやりたい。俺にできるのはそれくらいだから」
ふいに発せられた真っ直ぐな心情に、綾音の心が射抜かれる。その凛としたまなざしに吸い込まれそうになった。
陵太郎は穏やかな面差しで笑いかけていた。
「勉強じゃ、ひかるや忍にはかなわないけど、それくらいならできると思ってさ」
「……」綾音がぎゅっと口もとを引きしめる。眩いばかりの笑顔を直視できず、己を偽るようにおどけてみせた。「かあ~、青いねえ、あんた。青臭いって、ほんと。やっぱ、陵太郎だ」
「何だよ、それ。綾さんが言わせたんだろ」
不満げに陵太郎が顔をゆがめる。
それを見て綾音は切なそうに眉を寄せた。
「俺は普通だ。綾さんがひねくれてるんだよ」
「ひねっ!……」
「スレすぎだよ。もっとかわいげあるとこ見せないと、一生男が寄って来ないって」
「……。おまっ!」綾音のこめかみに血管が浮き上がる。「大きなお世話だ。一生って、何あたしの人生、勝手に終わらせてんだ、おまえは。失礼にもほどがあるだろ。スレてるはねえだろ。いくらあたしがスレンダーだからって」
「いや、スレンダーじゃないでしょ」
「そこは言っとけや!」
「あははは!」
陵太郎が腹をかかえ豪快に笑う。
その様子を眺め、むくれていた綾音も嬉しそうに笑ってみせた。
「……ねえ、綾さんさ」
タイミングを見計らうように陵太郎が切り出す。
「今、何をしてる時が楽しい?」
ふいの問いかけに綾音が眉を寄せる。それからやや不機嫌そうにそれに答えた。
「楽しんでるヒマなんてないっての。あんたらみたいな手のかかる家族の相手で目いっぱいでさ」口をへの字に曲げ、顔をそむける。「あっちでぎゃあぎゃあ、こっちでぎゃあぎゃあ、毎日まいっちんぐだってのさ」
苦笑いの陵太郎。
「じゃあさ、こうなると嬉しいかも、ってのは?」
ふん、と息をつき、綾音が意地悪そうに陵太郎の顔を見やる。
「あんたらがおとなしくいい子にしててくれりゃ満足だよ」にやりと笑った。「みんなで仲良くさ、いつもにこにこ楽しそうにしててくれりゃ」
「いや、そういうお母さんみたいのじゃなくてさ……」
陵太郎が悩ましげに頭をかかえる。
それを楽しそうに眺め、綾音が静かに問いかけた。
「そういうあんたはどうなの」
「ん?」何気ないしぐさで綾音に顔を向ける。「俺はみんなの笑顔を見てる時が一番かな」
「……」
「……」無言のプレッシャーに陵太郎が根負けした。「また青臭いとか言うんだろ」
するとにやりと笑ってみせる綾音。
「言わないよ……」
「?」
切れかけの蛍光灯が不定期な影を二人へ落とす。
不思議そうに見つめる陵太郎の顔を綾音はいつまでも嬉しそうに眺めていた。
月明かりの下、陵太郎とひかるが口づけを交わす。
その様子を、綾音は物陰から息をひそめ眺めていた。
ふいに切なそうに眉を寄せた。
込み上げる想いが悲鳴をあげる。
『私はここにいる』
引き裂かれんばかりにのたうちまわり、切なさは声なき絶叫となって心を締めつけた。
『いつだって、ここにいる』
震える拳をきゅっと結び、伝えられない気持ちを握りしめた。
『いつだって、すぐそばにいる……』
ひかるがいなくなればいいと思っていた気持ちを、綾音は否定することができなかった。
ひかるの死後、なおも。
せめてもの罪滅ぼしの気持ちで陵太郎を支えようとしたが相手にされず、その想いの強さを知り、綾音は身を引いた。
『私がいる……』
その一言がどうしても言えなかった。
助けを求め、すがろうとしたあさみは、もはや綾音の知るその人物ではなかった。
「すべて竜王のせいよ! あんなものがここにあるから彼女は死んだの! こんなことが起こったの! 何故それがわからないの! 何故!……」
淋しかった。
空虚な穴が埋まるのならどんなものでもかまわなかった。
たとえ、それが望まぬ心であったとしても。
『私はみんなを欺いてきた』
『私には彼らの笑顔を受け止める資格などない』
『私は卑怯者だ』
『私は嫌な人間だ』
『私は私のことが大嫌いだ』
『私がみんなと一緒に笑い合うことは許されない』
『私はここにいてはいけない』
『私には生きている資格などない』
悲しみにくれる陵太郎を眺め、苦しげに顔をゆがめる。
そして綾音は逃げ出した。
『本当にいなくなればよかったのは、私だ……』
*
『……や、あ……、や……』
呼びかけに耳を傾ける。
その声は綾音に力を与えてくれているようだった。
『……綾! 綾、答えて、無事なの、綾、綾!』
「……ねえ、さん……」
『綾! 綾、無事なのね! 綾!』
「……」
コクピット内の照明は落ち、暗闇の中あさみの声だけが生を導く。
バックパックにはあさみの差し金で爆薬が仕掛けられていた。本来ならばあさみのタイミングでその起爆ボタンが押されるはずだったのだが、アスモデウスの攻撃によって誘発されたのである。
それが幸いした。
膨大なエネルギーが炸裂すると同時に誘爆した爆薬は逆にクッションとなり、わずかではあったが爆発反応装甲の役割を果たし、その力をいくらか分散させたのだ。
とは言え、大量の爆薬とアスモデウスの直接攻撃による衝撃は凄まじく、海竜王は人形のように吹き飛ばされ、激しく地面に叩きつけられることとなった。
次なる一撃を加えようと、アスモデウスが仰向けとなった海竜王に襲いかかろうとする。
すべての駆動系統が破壊され、もはや指先すら動かすことのかなわなくなった棺おけ目がけ。
『まだ死ぬわけにはいかない』
心を揺り動かす深く強い感情。
綾音にはわかっていた。
あの時、何故ひかるを抱きしめることができなかったのか。
死を覚悟した者と生に未練を残す者。そこには決して埋まることのない確たる差があった。
決別の言葉を胸に秘めながら笑ってみせたひかるを、綾音は正視することができなかった。
覚悟の差。
受け止めるものの違い。
そんな言葉だけでは言い表せられない、もっと大きな心の深さを感じたからだった。
決して死を受け入れるわけではなく、それでもしっかりと受け止めることのできる人としての強さを。
あの時自分に足りなかったもの。
それが今、はっきりとわかった。
「く! はっ……」剥ぎ取るようにヘルメットを放り出し、奥歯を噛みしめ苦しそうにあえぐ。
『私が守らなければあの子達が死ぬ』
『みんなを守らなければ』
『みんなを守りたい』
『まだ死にたくない……』
『でも……』
アスモデウスが死の槍を振りかざした。
『綾ーっ!』
朦朧とする意識の中、あさみの絶叫を子守唄がわりに綾音が静かに目を閉じていく。
『……もう何もできない』
『もう、誰も抱きしめられない……』
陵太郎やひかる達の笑顔が脳裏に浮かび上がった。
「……みんな、大好き、だ……」満足げに微笑み、自らの意志で封印を解く。それを口にする時、みなと別れなければならないと心に決めていた最後の言葉の封印を。「……さよ、な……」
「綾さんっ!」
光輔らの絶叫。
それすらかき消す狂猛な雄叫びを張りあげ、醜悪な敵意が海竜王に襲いかかる。
その時、海竜王が艶やかな光に包まれた。
数瞬の後、アスモデウスが真横へ弾き飛ばされていく。
そして絶望の視線が交錯するその舞台の上で、怒りにうち震える真紅の巨人が雄々しく伸び上がった。




