第二章-3
太陽がだいぶのぼった頃、一人の白髪の老人が牢へやってくるまで、キジュと語り部達は打ち解けて話をしていた。
茶色の衣を着たその老人は、大きな樫の杖を突いてゆっくりと歩いてき、語り部たちの前まで来ると彼女らを叱った。
「こんな所におったかお前たち……。もう、昼前だぞ。何をやっとるのだ。朝の勤めが終わったら早く帰ってこんか」
「お師様、申し訳ありません。お客様とつい長話をしてしまいまして……」
彼女らの一番年上のものが代表して謝る。
「すいません、カノラークさん。私が引き止めてしまいまして」
ジャナリーもすぐ助け舟をだす。
カノラークは、ジャナリーのほうを向くと、隣にいるキジュに気付き値踏みをするように見つめながら、話しかけてきた。
「おや、ベッケルさんところの召使さんかい。それと、偶然に通りがかった旅の人かな? 昨日から村の女性の間で話題になっとるよ」
「お師様、運び屋のキジュさんとおっしゃられます。ベッケルさんの家に薬を届けにきたのだそうです」
先程の語り部が師に報告をする。
運び屋と聞いて、カノラークは、語り部だけあり興味を示した。
「ほう、見たところとても若くてそのようには見えないが、色々な場所ををまわってこられたのかな?」
キジュは、少し気分を害していた。
若くても、そこらの運び屋に負けはしないという自信が、彼女にはあったからだ。
「レグルドの方から延々とこちらまで、仕事で回っていない国はないかと思いますが」
キジュにとってはありのままの事実であったが、カノラークには虚言に聞こえたのだろう。
とたんに興味を失って、語り部たちに話をむける。
以前来た運び屋は、三十路の働き盛りでここらの周辺五カ国をまわったと誇らし気に語っていた。
その運び屋に比べて見た目も未熟そうな彼女が、レグルドからスワイライムに至る十四ヶ国を回ってきたなどといわれては、カノラークが信じる気にならなくても無理はない。
もちろん、キジュもそうなることは分かっていた。
普段なら嘘とも取れる発言をしたりはせず、色々なところにいった話をして信用を得てから、そのことを話すのだったが、あえてその説明はしなかったのだ。
「それでは、我らはここでおいとまいたそう。もしよろしかったら、暇なときにでも我が家に話を聞かせに来てくれぬかね」
カノラークは話がひと段落すると、語り部たちに会釈をさせ、身を翻した。
「そうですね、気が向いたら伺いましょう」
キジュも社交辞令で挨拶をする。
それから、語り部たちに向かって笑って手を振った。
「じゃぁ、また今度ね」
「これからも、よろしくお願いします」
他の語り部たちの後ろで、センナも別れ際に会釈をして去って行った。
「キジュさん、レグルドって遠いのですか?」
今ひとつ事情が飲み込めていないジャナリーに、詳しく説明するのも大人気ないと思い、キジュはすぐに、話題を変えた。
「ちょっと遠いかな。それより、これで、カードの中に荷物があるって分かった?」
「ええ、良く分かりました。それで、薬の入っているカードは、グローリさんが持っていらっしゃるのですね」
「そういうこと。いつもは、荷物はカードにしまわないことにしているんだけどね」
ジャナリーが不思議そうな顔をしたので、今度は、質問される前にキジュは付け加える。
「このカードは中に入れたものの重さを感じなくなるんだよ。だから、いつも荷物を入れていたら体なまっちゃうでしょ」
ジャナリーは納得したのと同時に、キジュの心がけに感心したのだった。
「いろいろ考えていらっしゃるのですね」
「僕、筋肉がつかない体質だから、日ごろの鍛錬が必要なんだ。それより、配達先が分かったなら、カード取り返さなくちゃね」
配達先という言葉で、ジャナリーはつかの間忘れていた、テムルとベッケルのことを思い出した。
「私もそろそろ帰りますね。大奥様やテムル様が心配ですから」
ジャナリーは席から立ち上がる。
「うん、そうだね。あの人の所まで一緒に行ってもらおうと思っていたんだけど……、戻った方が良いかもね。御飯ありがとう」
「いえ、こちらこそ楽しい時間でした。グローリさんは中央広場の前の大きな家、村長様の家なのですが、そこにお客様として住んでいらっしゃいます。行けばすぐ分かりますよ」
「ありがとう。必ず後で荷物を届けるよ」
バスケットを持ち、ぎこちなくなった笑顔でさようならを告げると、ジャナリーは駆け足で家に戻っていった。
「さてと、僕も行くとするかな。説得するのは大変そうだけど」
スワイライムには、大きな屋敷が三つある。
一つはテムルの住む家であり、二つ目はカノラークや語り部たちの家、最後の一つが村長の住む家だ。
木材の平屋根作りが多いこの村の中で、村長の家だけは三角型の屋根が、空に突き刺さるように建てられている。
その屋根の左右に平屋の家がくっついたような造りで、大きさは左右五十歩、前後三十歩と横長だ。
塗装されたわけでもなく、木材の柔らかな茶色が、村の風景によく調和していた。
村長の家は探すまでも無かった。
屋根の上を駆け巡ったキジュは、職業がら、この村の地理は全て把握してしまっていた。
ジャナリーに聞いた時に、今いる目の前の家だとすぐに考え、昼前には門の前に立っていた。
「……何か用か?」
家の中からではなく、三角屋根の上から声がする。
グローリだ。
正面の軒先に姿をあらわす。
思わぬ所から現れたグローリに、驚き声を上げる。
「あんた、何でそんなところにいるのさ!?」
「……俺がどこにいようとお前に関係はない。それより何だ、用をいえ」
ぞんざいないい方にキジュは少々むっときたが、話をこじらすと返ってくるものも返ってこなくなると思い、こらえて話し続けた。
「それはそうかもね。用件は僕のカード返して欲しいって事なんだけど」
「……それはだめだ」
にべもない。
聞く耳を持たず、そのまま、奥に戻ろうとする。
それでもキジュは、我慢して話を続ける。
「それ返してよ。仕事に使うんだから」
「……だめだ。二枚はもっているだろう。後のは皆が帰ってくるまで預かっておく」
「……いつ頃帰ってくるのさ」
キジュのこめかみに、いらつきのため血管が浮き出てきている。
「……知らんな」
「それじゃ、配達時期過ぎちゃうだろ!」
我慢の限界だった。
キジュは悲鳴にも似た声で、絶叫する。
ジャナリーにはすぐに持っていくといっている手前もある。
「……配達だと?」
「そうだよ。ベッケルさんの所に薬を運ぶ仕事なんだから!」
「……嘘をつくなら、もっとましな嘘をつくのだな」
「嘘なんかついてないよ! そう思うなら黒いカード一枚で良いから返してよ! 証拠見せるんだから」
「……ならば、交換条件だ。一枚返してやるかわりに、こちらの用件も一つ飲んでもらおう」
「分かったよ。それで構わないさ!」
グローリは、懐からカードを取り出し、そのうちの黒色のカードをキジュに投げてよこした。
それを右手で受け取り、愛用の背袋を思い浮かべる。
「ハツ!」
カードが光ると、地面にばさっと背袋が落ちる。
それを開け白い紙の小包を取り出し、上に掲げる。
「どう、これで納得した?!」
「……成る程な。俺の霊術といい、その中に封じ込める力があるというわけか」
「で、あんたの命令ってのは何さ?」
根が馬鹿正直なキジュは、いわなくてもよいことをついいってしまい、何度それで損をしたか知れない。
今も、自分でも損な事をしているなと思いつつも、いわずにいられなかったのだ。
「……」
グローリはつかの間、何もいわない。
呆れていたのか、それとも別の何かを考えていたのかは、キジュには分からなかった。
やがて……。
「……世渡りがうまくない奴だ。とりあえず、それを届けるのが先だろう……。届け終わったら戻って来い。それからだ」
そういい残すと、屋根の奥の方へ上っていってしまった。
「何さ偉そうに……」
グローリの態度に悪態をつきつつも、キジュは受取人が待つテムルの家へ急いだ。