運び屋の備忘録 ~グローリ~ 第一章-3 剣術とグローリ
霊峰に止むことを知らない雪が降り続いていた。
五日前、ギャゼズが訪れ引き返した日の翌朝から、今まで続く吹雪は、山も村も静かなる白い世界へと沈めていた。
もちろん、溶岩が流れた地肌の上も例外ではない。
木々のない脆い山肌にあるそれは、いつ雪崩れても不思議ではない状態であったが。
屋根の上から、グローリは一人、霊峰を見上げていた。
闇夜の中、ましてや、猛吹雪の中である。
山を見ているわけではないことは、いうまでもない。
楔を見張っていたのである。
グローリは、木々のない斜面一帯に、氷でできた網を作り、それを、ひと二人分はある巨大な氷の楔で打ち付けて雪崩を防止していた。
その楔には折れたりひびが入った時には、高音が鳴り響くように霊術を施されている。
残念なことに、この吹雪の中では音は役に立たなかったが、発動する霊術そのものがグローリにその楔が持たないことを教えてくれていた。
霊術師が見れば、広大な雪原の中に断続的に表れる霊術の証は、さながら、夜空に浮かび道を教える星たちのように見えたに違いない。
ただ一人を除いては。
フレイナは、今夜もグローリにかける言葉が見つからず、何も言わずにその隣に間をあけて座った。
座ると同時に、雪が降りかからない空間が、グローリの周りからフレイナをも包むように広がる。
「それくらい、私が……」
「……」
グローリの返事はない。
ただ、雪を阻む結界が小さくなることはなかった。
そのまま、二人の間に言葉はなく、吹雪の音だけがうるさく響いていた。
フレイナは、謝りたいがためだけに、毎晩、そこに座るのだが、結局一言も発っせずにいた。
そして、目の前の楔を感じるたびに、自分がグローリに科した重荷のように思われ、胸が苦しくなるのだった。
「……寝なくてよいのか?」
五日目にして、始めてグローリが話しかけた言葉だった。
フレイナは、『グローリ師こそです』と五日も眠っていないグローリへの労わりの言葉が浮かんだが、微かに、本当に微かに顔を背けた。
それは、その後に続く『今日は寝てください』とは言えない、もどかしさからだった。
山一面を霊術で覆い雪崩を防ぐなどという事は、霊術師なら誰にでもできるというわけではなく、グローリだからこそと言える芸当だからだ。
フレイナは、再認識させられただけだった。
今も昔も自分が無能なために、彼の足枷にしかなっていないことを。
「……俺のことは気にしなくいい。慣れているからな」
その一言で、フレイナの頭の中は、様々な申し訳なさだけが錯綜しだした。
ごめんなさい。
つらいことを任せて……。
危険なことをさせて……。
カデラスのことを押し付けて……。
グローリにしてしまって……。
ごめんね。
……ケムレン君。
「……辛いのだろう。無理もない。人の体に戻ってから日が浅いのだからな。もう、寝ていろ」
そのフレイナの悲しげな顔を見て、グローリが見当はずれの言葉をかけるが、その思いやりが余計にフレイナの心を重くした。
「本当に大丈夫だから……」
「……そうか」
グローリは、フレイナがこう言いだすと頑なまでに、その言葉を貫き通すことを知っていた。
そして、彼女が蘇生した日から初めて丁寧な口調でなくなっていることに、自分に用事があるのではないかと察し、話すのをやめた。
(望まれなくても謝ろう。自分が許されるために謝るつもりはなかった。彼にグローリを押し付けた自分は、彼からケムレンという人生を奪ってしまった自分は、許されるべきではないと思う。では、何のために謝るのか? そんなことは決まっている。自分に『気にするな』と、ケムレン君に言ってもらうためにだ。ケムレン君は、私がケムレン君をグローリにしたことを悔いていることを、どうにかしたいと思っている。私が、後悔することがなくなることはないけれど、ケムレン君をそれで悩ませるわけにはいかない。だから、『気にするな』といってもらって『そうだね』と、私は答えなければいけない)
毎晩のように、思い浮かぶ考えが、また、彼女の思考を支配しだした。
ただ、彼女はどうしても躊躇してしまい、その後の謝罪の言葉が出てこなかった。
なぜなら、気にしないようにすると答えた後に、グローリに実際は気にしているそのことを悟られずに、気にしていないように演じ続ける自信がなかったからだった。
だが、今日は五日目だ。
自信など、今後、永遠につくはずもない。
だから、二度と謝る機会はないだろう。
それならば、覚悟を決めるしかないとフレイナは悟った。
「ケムレン君、ごめんね……」
グローリは、一瞬の間も置かず、返事をした。
「……気にするな」
「……そうだね」
微妙な空気が流れる。
そうだ、昔から、ケムレン君はこういう人だったと、フレイナは思い出した。
頭がいいため予測が効き、そのため過程を飛ばし、物事が完結してしまうために、一見すると面倒くさがって話を終わらせたいだけの返事と思えてしまうのだ。
『こんな会話が成り立つのはカレルナ君との間だけだ』、『ケムレン君の不愛想で無口な印象はさらに悪化してしまう』と、昔に何度もいったのに、結局、直らなかったなと、フレイナは少しだけ自責から離れて、苦笑する。
「あのね、そこは、どうして謝るんだと聞くべきだと思うのよ、ケムレン君」
「……いや、お前が言いたいことは分かる。俺にグローリを継がせることになったことに対しての謝罪だろう。だから、気にするなと言ったまでだ」
「内容としてはそうだけど、会話としてはそうじゃないでしょ。言葉のやり取りで気持ちを確認することに意味があるの。それでは、話している方が気持ちが通じているか分からないって、前にも言いましたよね」
「……そうだな。だから、話を飛ばしたんだ。お前が納得するはずもないのに、納得したという答えを聞く意味がどこにあるというのだ。まだ、こうしてまくしたてられている方が本音が聞けるというものだろう」
グローリの一言で、フレイナは自分の気持ちを再認識すると同時に、グローリの掌の上で踊らされていたことに気づく。
「全く、相手を怒らせることにかけては、洗練されましたね」
「……そう言うな。これでもお前から罪悪感を取り除くにはどうしたらいいか、かなり考えたのだ」
グローリは、控え目に怒っているフレイナの目を見て続ける。
「……俺はグローリになったことに後悔はしていない。剣を捨てさせてしまったとお前は思っているのだろう。確かに剣術を極めるための旅はできなくなったが、剣を捨てたわけではない。霊術の修行で剣の修行が疎かになったのは事実だろうが、逆に霊術を学んだからこそ、剣に生かせる部分もあるだろうと俺は考えている。だから、お前が気に病むことはない」
日々、グローリを見ていれば、グローリが剣術を捨てていないことは分かっていた。
ただ、剣につぎ込める時間を、自分のために他に回させてしまったことがフレイナには悔しかったのだが、グローリがそれを剣に生かせるというのなら、フレイナは、素直に良かったねと思えた。
グローリが、フレイナを慰めるために嘘を言う人ではない事を、知っていたからだ。
「……ただ、グローリは止めることはできない。歴代のグローリたちは、初代の編み出した霊獣術を人生の糧として生き、敬意を払って初代の姿を受け継いできた。グローリの姿で無くなるという事は、その敬意の表し方を決め、それを続けてきた先代たちの想いを捨てることになる。仮に、お前がグローリになっていたとしても、グローリを止めようとはしないだろう」
フレイナは、そうだねと頷かざるを得なかった。
「……それに、本当に謝らなければならないのは、俺の方なのだ。実のところ、俺には分かっていたのだ」
「分かっていた?」
「……ああ。正確な日時までは分からなかったが、お前が死に、俺がグローリとなりこの村でカデラスと戦うことを。お前が最後の試練に入る前日に、カレルナが予知して俺に教えてくれた」
「カレルナ君が? そうか、彼なら運命の聖霊を使って予知することもできるものね」
「……そうだ。あいつもお前の身を案じてな。結局、予知ができたものの、その結果を変えることができなかったあいつは、一人で考える時間が欲しいと旅立った。予知したことを変えれなかったのは、あいつにとって挫折だったのだろうな。二度と予知はしないともいっていた」
「そうだったのね。どうして二人が別々の道を行くのか、あの時の私にはわからなかったけど、そういうことがあったのね」
フレイナは、デーリッガの目を通してみていた二人の別れを、何もできなかったもどかしさとともに思い出していた。
「……もっとも、あいつの予知では俺はここで死ぬことになっていたから、予知が変えることができないという挫折は、払拭されることになるのだろうが」
予知の結果が、どうして変わったのかは、おそらくセンナにあるのだろうとグローリは自説を展開するが、フレイナは話が横道にそれていくのを黙って聞いていた。
自分の気になる話になると脱線していくのは、ケムレン君の悪い癖だなと思いながら。
それでも、グローリの話が一段落つくと、昔の自分の役目を思い出し、フレイナは、グローリに本題に戻るように口を開いた。
「ところで、今の話、どうして謝罪なの?」
「……話がそれたな。元に戻そう」
グローリは、フレイナの方を向く。
「……俺は、お前が修行を失敗すると知った。そのため、俺はその未来を変えようと思い、お前にグローリになるのを止めろといった。しかし、結果、それがアダとなって、お前を動揺させ殺してしまった。つまり、俺が、お前の修行の失敗の原因そのものだったということだ。すまなかった」
グローリは、深々と頭を下げる。
しかし、フレイナの胸は、逆に痛くなった。
グローリに、いや、ケムレンに、あのことで謝罪などされたくなかったからだ。
あの夜の事は、彼女にとって、何物にも代えがいものだったのだから。
「でも、本気だったのでしょう? まさか、私の修行をやめさせるために言っただけで、実は好きだって言ってくれたのも嘘?」
「……嘘」
グローリは、少し言葉に詰まった。
ここで、それを認めてしまえば、フレイナの意志を継いでグローリになったことを想起させ、また、後悔の念を強くさせるのではないかと。
「教えて、ケムレン君。貴方をグローリにしてしまったこと、私は、これからも後悔し続けると思う。でも、あの言葉が本当なら、私は貴方の隣で笑い続けていける資格があるのだと思うから。だから、教えて?」
「……本当だ」
「そう……。良かった」
フレイナは、安堵のため息をつくと、グローリの方に寄った。
「あの時、返事できなかったけど、私も好きだよ、ケムレン君」
グローリにもたれかかり、その肩に頭を乗せて、フレイナは柔らかな微笑みを浮かべていた。
かなり遅れてしまい、申し訳ありません。
どうしても、満足いく形にならず、伸びてしまいました。
ようやく、綺麗な形になり見せられるものとなりました。
楽しんでいただけたら幸いです。




