幕章-2
シュジュの大森林は、大火災のため大半が失われていた。
レイクルの裾野に広がる一帯だけがかろうじて焼け残り、逃げ出した動物や魔物の避難場所となっていた。
林の中を進むだけで冬眠が出来ない動物や、縄張り争いをする魔物に出くわす。
普段なら、獣道を外れだいぶ奥まったところに行かなければ、見られない光景だ。
「ひどいことになっちゃっているね……」
「……ここ数日は、村の方ばかりに力をとられていたからな。林の方までには手が回らなかった。雪さえ降らなければ、村をもう少し後回しに出来たんだが」
グローリは、淡々と語り前へ進む。
林の中位まで入っていった。
そこは、林の中の拓けた場所だった。
木に枝はなく、夜明け前の空が見える。
地面には、子供の背丈ほどの草が茂り、大きな細い石がポツンと置かれている。
キジュは、その草の中に、何かの気配を感じとった。
「……お前が食べようとした奴だ……」
草の中をよく見ると、大きな芋虫がいる。
「そろそろだな……」
さっきまで暗かった空が、うすしらんできた。
星々の光が消えて、太陽の光が空に映し出される。
虫の体がビクッと揺れる。
それから、ゆっくりと体が長く伸びていく。
わずかづつではあるが。
「えっ?!」
キジュは目を疑い、もう一度よく見た。
伸びたと思ったのは、皮がむけていたからだと分かる。
脱皮だ。
金色の透明な体が、わずかずつ這いでてくる。
以前の寸胴な体型と違い、細身で更に折りたたまれた翼が見える。
その顔、その形、その翼、色など違えど、見覚えはあった。
デーリッガとそっくりな体が、出来上がった。
「……コードリアスだ……魔物の脱皮なんて……始めてみたよ」
キジュが、感動を口にする。
「……何をいっている。まだ続くぞ……」
今しがた脱ぎ捨てた自分の皮を、コードリアスは食べ始める。
「……あれは栄養の補給と、体内の構造の変化のきっかけを与えている……」
グローリは、静かな声で解説を始めた。
虫などの脱皮と違い、魔物は体が大きいため脱皮に時間がかかりすぎる。
それでは体力を使い果たしてしまう。
「……そこで、二段回脱皮だ……」
ぬけがらを全て食べ終わったコードリアスは、又動きを止める。
キジュは、その光景に息をのんだ。
コードリアスの金色の皮膚が、花吹雪のようにサラサラときらめいて散っていく。
体中に緑色の血液が力強く流れ始め、古い殻を洗い流していく。
そして、緑色の雄大な体を持ったコードリアスが生まれた。
森中の全ての緑を集めたような深緑の体に、キジュは見とれていた。
それが飛び立つまで…………。
身が凍るような風が吹いた。
感動に浸っていたキジュは我に返り、そろそろ出発しようかと思い始めた。
相変わらずグローリは黙って、瞳を閉じたままだったが。
グローリも感動しているのかなと思いながらも、キジュは声を掛けた。
「……グローリ、ちょっと話が……」
「……これからが本番だ」
キジュの言葉を遮り、グローリの瞳は開かれ、風が集まる。
大地から金粉が浮き上がり、石の前でくっつきだした。
「これは……?!」
キジュの質問とは別の答えが、グローリから返ってくる。
「……コードリアスは竜の翼を持つだけあって、火には強い。しかし、大地をも溶かす高熱ともなるとさすがに耐えられん」
キジュは、グローリがデーリッガのことをいっているのだと思った。
先日の闘い以来、姿を見せないデーリッガが、燃え尽きてしまったことをいっているのではないかと。
「体は高熱に耐えられるが、体内の血液は蒸発してしまい、抜け殻のようになってしまう。あれのように」
石の前には、コードリアスの抜け殻が金の鎧のように美しく出来上がっていた。
「でも、デーリッガの体はなかったよ……」
「……デーリッガは、焼けて灰になったわけではない……。土に戻っただけだ……」
「それって……?」
今度は、キジュの質問にグローリは答えなかった。
ただ、再び瞳を閉じるだけだった。
何の説明もないまま、時折、瞳を閉じ、グローリは霊術を行使し続ける。
それを見続けて、キジュの疑問は次第にとけていく。
抜け殻は、縫い目のない服のようにくっつきあっていった。
だんだんと体を作り、顔が戻り、尾が伸びる。
完全に術が終わると、緑色に染まったコードリアスの体が出来上がっていた……。
「……失敗したようだ」
「へっ?!」
グローリが瞳を上げた。
コードリアスの体は、支えを失ったようにドサリと地面に落ちた。
先ほどまで抜け殻だったそれは、確かに重量があった。
「失敗したって何をやっていたの?」
「……死霊術と肉体創造だ……両方とも失敗した。もとより、運命の精霊の力を使う肉体創造に成功したことは一度もなかったが……。抜け殻を使えばあるいはと思ったが、駄目だった」
「デーリッガを甦らせるつもりだったの?」
「……死霊術を成功させる要素は二つだ……」
またもグローリは、質問を無視した。
「……一つは、体。受け入れる器があればどんな体でもいい。これが生前の体のみと限定される生魂術との決定的な差だ」
「それじゃ、デーリッガの体を探して、今度は生魂術をすればいいじゃない?」
キジュの目にも、グローリの落胆ぶりはわかった。
普段表情を読み取れないだけに、その大きさはよほどのものだろう。
「……灰となった体を復活させることはできなかった。瞬時に灰となってしまったあれを、救うには死霊術しかなかったのだ」
グローリは、自ら作り上げたコードリアスの体に近づく。
「……死霊術であれ、生魂術であれ、体と霊が離れた時間が長ければ長いほど成功は難しい。これが二つ目の要素だ。その期間が短ければ短いだけよいのだ」
コードリアスの体に手を置く。
「……思えば、あれもようやく静かに眠れるのだ。起こすのはかえって無粋というものだな」
グローリは、静かに瞳を閉じた。
霊術を使うためではない。
……黙祷を捧げるために……。
この時になってよやく、キジュは、グローリが誰と別れを惜しんでいるのかが分かった。
よく見れば、ポツンと立っているあの石は、墓石ではないのか。
気付いてしまえば悲しさが募るほどの単純なことだった。
火に強い、コードリアスの体がすぐに灰になろうか?
今の話ではないのだ。
遠い昔まだグローリがグローリでなかった頃の話だ。
キジュは、涙をこぼしていた。
グローリのかわりに……。
「……無駄に付き合わせたな……」
グローリが腰に下げていた革袋をはずし、放り投げる。
キジュは、涙で目がかすんでいたので、両手でそれを掴み袋を開ける。
手甲とカードだ。
しかも、五枚全部そろっていた。
悲しいのか嬉しいのか分からない。
感情が波打って、どうしていいのか分からなかった。
「……ありがとう……」
言葉に詰まりながら、背負い袋をおろし、手甲を中にしまうと、背負い袋の一番上にしまっていた荷物を取り出した。
出る時に忘れるといけないと思って一番上に入れておいたものだ。
涙をぬぐい、キジュは、ぐちゃぐちゃの作り笑顔で話しかける。
「グローリ」
「……何だ?」
「君宛に手紙を預かってるんだ。封は空いているけど、僕は見ていない。それは誓っておくよ。運び屋の誇りにかけてね」
グローリに近づくと、両手をそえて彼にさしだす。
「……これは……」
グローリは、それを受け取ると裏返してみる。
茶色く色付いた封筒の端に差出人の名前があった。
フレイナと……。
グローリは、中から手紙を取り出し読み始めた。
「……それじゃ、いくね、……ケムレン」
キジュは、彼が読む邪魔をしないように小さく呟くと、その場を離れた。
「キジュ様」
キジュが山道を降りようとしたところで、下からのぼってきた人影に出くわす。
「何でここに?!」
「キジュ様こそなんでここに? それに、もう、旅支度って、村を出た後ですか?」
「えっ? うん。そうだけど」
「よかった、フレイナ姉様のお墓に来て。危うく置いてけぼりにされるところでした」
「おいてけぼり?」
「ひどいです。忘れていたのですね。近くの村まで案内してくれる約束でしたよね」
「あっ! そうだったっけ」
「そうですよ。ですから、昨日、キジュ様が村を出そうだなと思って、お師様に別れの挨拶をすまして、今、こうしてフレイナ姉様に挨拶に来たのです」
センナは非難めいた目をしてキジュを睨み、キジュはあわてて弁解した。
「いや、この騒ぎ出し、出て来られないだろうと思って、ごめん」
「もういいですよ。こうしてお会いできたので。一緒に旅してもらえますか?」
「もちろんだよ」
「よかった。では、お姉さまに挨拶してきますね」
「え、今はちょっと……」
キジュが止める前に、センナは横をすり抜けて階段を登る。
「フレイナ姉様、旅立ちの挨拶に来ました」
彼女なりに気持ちをこめ、大きな声で挨拶しながら、坂を上りきった。
『キュルーナ王国暦 三十二年 一月三日
お父さん、お母さんごめんなさい。
本当にごめんなさい。
気持ちが昂ぶり、明朝の試練に耐えられそうにありません。
とても過酷な条件の下で、平静を保ち続ける修行なので、この抑えようのない気持ちでは助からないだろうと。
明日の修行をやらなければという考えもあります。
でも、明日を逃せばこの先、二度と強い精神力を持つことは出来ないと思うのです。
ですから、気持ちを静めるようと書き始めたこの手紙ですが、遺書のつもりで読んでください。
私に何があったか書こうと思います。
先ほどケムレン君が来て、私に修行をするなと止めに来てくれました。
彼は、私のことを一生守るといってくれました。
私は鈍くてよく分からなかったのですが、ケムレン君が私を好きだからだといってくれた時に、ようやく全てを分かり赤面しました。
私は、どんなに幸せだったでしょう。
私も同じ気持ちだったのですから。
彼の言葉に任せてしまおうかと、すぐに思ってしまうほどでした。
でも、それは出来ません。
今までしてきたことを無駄にしてしまう以上に、彼を危険な目にあわせたくなかったのです。
だから、私は返事をしませんでした。
甘えという感情に負けそうだったから。
もし、この修行がうまくいったら、ケムレン君と結ばれることはないと思います。
グローリ流霊獣術を受け継ぎ、十二代目グローリとなってしまえば、私は女性を捨てなければならないので。
それでも、ケムレン君が一緒にいてくれるならば、一緒にスワイライムに戻りたいです。
ずっと気がかりだったセンナも、立派になっているのですか?
お父さんやお母さんの元気な姿も、目に焼き付けておきたいです。
まだまだ色々な夢がありますが、明日たとえ失敗したとしても、私は後悔しないでしょう。
ケムレン君が、伝えてくれたことは、私の望んでいたことなのですから。
ただ、私が死ねば、彼は私と同じ道を選びスワイライムに縛り付けてしまうでしょう。
それだけが、心残りですが。
できれば、私が死んでも、最愛のケムレン君が幸せで自由でありますように。
ドルトル国 ハレル湖西湖畔にて フレイナ』
グローリは顔を上げた、手紙に読みいって周りに意識がいってなかったが、センナの呼び声で我に返ったのだった。
「待って、センナ……」
キジュも後ろから追いかけてくるが、センナは登りきった。
グローリは、振り向かない。
背後のことが気にならないこともないが、今、何かを感じた気がしたからだ。
「グローリ様もいらしたのですね。姉様にお別れを告げようと思いまして」
又、鼓動のような疼きをグローリは感じた。
「……今なんといった」
「……あの、お別れを……旅立ちの」
グローリの声に威圧されとまどい、センナの声は小さかった。
……ドクン。
虚空にのばした命綱から、確かに反応が返ってくる。
(フレイナ……。センナの声に触発されたか。しかし、これではすぐ途絶えてしまう。急がなくては……)
グローリは、素早く瞳を閉じる。
瞳をあけた、グローリの目の前で、土が盛り上がっていく。
「ちょっと! まって。悪意はなかったんだよ」
キジュがただならぬ気配に、慌ててセンナの前におどりでた。
しかし、そのセンナは目を見開いて、驚きの声を上げる。
「……フレイナ姉様!」
土は、瞬く間に人型となった。
「……この人が?」
キジュよりもやや身長の高い、細身の体だ。
土でかたどっているのにもかかわらず、目をひきつけられる美しい顔だちと、長く決め細かく整った髪。
(……体に変われ……)
再度、瞳を閉じ人が土に変わる様を思い描き、それを更に逆に巻き戻していく。
(……運命が俺を嫌おうとも、今回だけはいうことを聞いてもらうぞ)
決意に満ちた瞳が、人形を凝視した。
そのときから奇跡がおこりはじめた。
(……いうことを聞け……)
グローリは、死に物狂いに霊術を行使する。
あらゆる精霊を使いこなすグローリだが、今まで運命の精霊の力を使い成功したことはほとんどなかった。
(……いうことを聞け!)
グローリがもてる限りの最大の念をしぼりだす。
それに根負けしたのか、土の人形がゆれる。
腕の一部に白い雪のような肌に変質する。
グローリは、術が成功したことに安堵する。
しかし、なおも運命はそれに抗うように、いたずらに一陣の強風を吹かす。
その風が林を吹きぬけ、木の葉を撒き散らし、フレイナの肉体になろうとしている土を押し倒す。
グローリもキジュも、木の葉で視界を奪われ動くことが出来なかった。
「フレイナ姉様!!」
センナの目の前でフレイナの倒れそうな姿が見えた。
体がとっさに動き、その体を済んでのところで、彼女はその肉体を受け止めた。
「……お願い、お姉様を返して……」
運命に訴えるように、センナはつぶやく。
その想いがとどいたのか、風は止んだ。
グローリの執念かセンナの想いの賜物か、土はフレイナの姿を宿したまま、白い肌に生まれ変わっていった。
ここまでくれば運命の精霊の力は、必要ない。
実力だけが問われるのだ。
グローリには自信があった。
(……フレイナ……戻って来い)
再び、何者にもかえがたい笑顔で、語りかけ、何気ない仕草で皆を和ませる……。
昨日のように思い出せる光景を、グローリは願った。
「……動いています……動いています!」
フレイナを支えていたセンナが、喜びながら心臓が動き出したことを伝える。
キジュもセンナも、息をのんで見守った。
霊術の行使者であるグローリも、念じる。
しかし、本当の肉体を離れて数年たった今、フレイナは体の動かし方を忘れてしまったように、鼓動は強まるどころか弱まっていく。
「フレイナ! 気持ちを強くもて!!」
たまらず、グローリは叫んだ。
術が上手く言ってない事を、キジュは悟る。
「……お姉様戻ってきて……」
フレイナを迎えるために練習していた詩を、耳元で歌い始めた。
詩にあわせ、心臓が力強く鼓動を刻む。
呼気が強まり、肌が赤みをおび、体にぬくもりが生まれた。
その唄の中、キジュも自分の出来ることを一所懸命に考えていた。
そして、優しい光が頭の中で弾け、考えがまとまると、静かにフレイナに近寄った。
キジュは、青いマフラーをフレイナにゆっくりとまわす。
思った通りちょうどの長さだった。
白地の服と赤色の長い髪に青いマフラーがとてもよく似合う。
「おかえり、フレイナさん。お母さんが待ってるよ」
その言葉でフレイナの呼吸は、安らぎの寝息に変わっていった。
レイクル山の中腹を、二人の少女が進む。
「いいの? もう少し村でゆっくりしてくればよかったのに。僕ならここで待ってるから」
「いいのです。フレイナ姉様が起きて話し込んでしまったら、一生旅立てなくなりそうだったので。でも、それでは語り部として成長できません。それに、もう村に帰ればいつでも姉様に会えますから」
寂しくも、嬉しくもある微笑だった。
「それならいいけど」
キジュは、センナの様子を見て少し安心して足を早めた。
無理をしてはいるが、それだけではないことが分かったから。
「それより、キジュ様をつき合わせてしまって、申し訳ありません」
太陽が上り詰め、もうすぐ正午を迎えようとしていた。
キジュは足を早めた。
「まって……」
センナは、途中で言葉を切った。
話しながら歩ける速さではなかったから。
「これぐらいで根を上げていちゃ、ココヤスにつくのに大分かかっちゃうぞ」
レイクルのスワイライム側の中腹は、木は一本もたっていない。
裸状態の地面を歩くわけにはいかないので、裾野まわっての山越えになる。
必然、距離も伸びる。
「分かりました。がんばります」
センナは、はっきりとそういうとレイクルの大地に力強く、素早く足を進めた。
先にいっていたキジュは振り返り、巣立ち始めた語り部を優しい瞳で見守っていた。




