第六章-2
スワイライムは魔物に襲われていた。
林に近い氷壁の外に、ライオン程の大きさのハリネズミが五体、がむしゃらに壁に体当たりをしていた。
壁に緑色の液体がべっとりとついている。
野盗は革の入れ物にこの液体をつめ、巨大ハリネズミを誘導し、その革袋を壁になげつけたのだ。
矢を射るが、その体にはつきささらない。
壁の上から見ていられなくなり、女性が外に飛び降りた。
キジュだった。
巨大化したハリネズミの魔物。
ブラドベリュー。
体を丸め、体あたりをしてくるかと思えば、体表面の針を飛ばしてくることもある。
餌をとるためだけではなく、気の向くまま動物を襲うという凶悪な魔物だ。
三撃、ブラドベリューに攻撃を加え、彼らの注意を壁から自分に向けさせることに成功したキジュは、五匹から集中攻撃を受けていた。
キジュは、攻撃の糸口が見つからず、守勢に回らざるを得ない。
(やはり、腹部を狙わなければ駄目か……)
その考えに反応してか、三体のブラドベリューが立ち上がり体を伸ばし、背中を向ける。
(来る!)
キジュの判断と同時に、針が斉射される。
横に避けていては、地に伏せる時間を与えてしまう。
覚悟を決めて、針の嵐の中に飛び込む。
(右二つは、避けるまでもない。正面の三つは盾で落とす。右斜め下は、剣で打ち上げ連鎖させて、後続四つを弾き飛ばす……)
頭の中で、全部の針の軌跡が描かれ、その全てに対処策を講じた。
八十八からなる針の嵐は、キジュが駆け抜けた後には、一つ残らず地面に落とされていた。
そして、キジュはブラドベリューの目前で跳ぶと、それらが伏せるよりも早く、宙返りをしつつ剣を捨て、カードを引く。
「ハツ!」
目に見えぬあまたの風の刃たちが、三体のブラドベリューの腹部を切り裂く。
キジュは、一回転半して着地した時には、緑色の血を流し絶命していた。
仲間の血に反応して、残りのブラドベリューの複眼は、緑色に染まる。
興奮した時の特徴だ。
そうなれば、それらは通常の倍の速さで、倍の力を発揮する。
(……手間取っているわけにはいかない……。魔物相手だ……。ためらう必要は無い……)
自身にいい聞かせ、剣を中段に構え直す。
集中力を高め始めた。
魔物の襲来が告げられると、テムルとともに牢番をしていたドルトイは、戦闘要員として借り出されていった。
外からは、魔物の咆哮が聞こえる。
テムルには、すぐにでも村が野盗や魔物に蹂躙されてしまうように思えた。
(それならば、僕がここを開けたところで、問題は無いよな……)
テムルは、見張り部屋の壁にかけてあった鍵束を懐にしまうと、牢への扉を開ける。
扉の向こう正面は通路になっていて、一階の牢がある。
右手が二階に上がる階段だ。
「さっさと、こっちに来て扉を開けねえか!」
その階段の奥から、首領が怒鳴り散らしている。
「今すぐ……」
そう答えながらも、テムルは逡巡しながら足を上げる。
本当にこれでいいのかと自問自答し、息が詰まる。
彼の良心が訴えかけてくる。
「いい加減にしろ、早くしろよ、テムル!」
ナズセの罵声で、身が縮む思いがして、テムルは震えながら階段を、また一歩、上った。
「待って、テムル様!」
綺麗な甲高い声が、テムルを追い越し通路に反響する。
振り返ったテムルは、目を疑った。
「テムル様、お止め下さい。その人たちを今解き放ったら、村は終わってしまいます」
「な、なぜ、ここに、ジャナリー……」
「今日一日、ずっとテムル様を、建物の外から見ていました」
青い瞳には、有無をいわさない強い意志が宿っていた。
テムルは、愕然と手に持った鍵束を落とす。
一番見られたくない相手に見られてしまったやるせなさが、一瞬で体中を駆け巡り、階段の途中でテムルは座り込んだ。
「テムル様、立ってください」
「……僕はもういいよ。死んでしまいたい」
「それはいい考えだ。ただし鍵を開けてからな!」
しびれを切らしたナズセが、横槍を入れる。
「黙って下さい。あなた方と話すことなどありません。私はテムル様と話しているのです」
怯えた風も無く、毅然とした態度でジャナリーはいう。
野盗は、その言葉に過剰に反応し、全員でやじを飛ばし威圧する。
ジャナリーは、それに動ぜずテムルに話し続けた。
「テムル様が、どうしてこの人たちを解き放とうとするのかは、分かりません」
テムルはその言葉に狼狽した。
まだ、彼女に知られたくないことが残っていたからだ。
「でも、この人たちは、村に危害を加え私を辱めようとした人たちです」
切羽詰ったテムルは、顔を上げジャナリーに訴えた。
「ジャナリー、僕は駄目な奴なんだ。もう後には引けない。だから、せめて君だけはここから逃げてくれないか……」
最後は目を伏せて、ジャナリーのまっすぐな瞳から逃れる。
「テムル様。今、彼らがここを出たらこの村は、終わりなのです。どこにも逃げ場はありません。そのようなことになるのなら、一層のこと、私はここで死にます」
死ぬという言葉に、テムルは顔を上げた。
ジャナリーの瞳に、深い悲しみが宿っている。
「そんな。それはだめだ、君は逃げて……」
目の前が真っ暗になり、テムルは、ジャナリーのほうへと階段を下りていることも自覚できずにいた。
そのテムルの耳を、牢からの歓声がすり抜けていく。
外が見える牢からその声は聞こえてくるのだが、テムルはそのことに気付かない。
しかし、ジャナリー越しに人影が見えた瞬間、テムルは、無意識にジャナリーに駆け寄り、戸口から引き寄せ、勢いよく、見張り小屋と通路の間の扉を閉め、鍵をかけた。
鍵を閉め終わってから、野盗が、村に忍び込んできたのだと、テムルは思った。
それは、間違いではなかった。
つい先ほどジャナリーがいた外すぐに向こう側で扉を開けようと、取っ手を回し、扉を蹴り出したからだ。
「おい、何してやがるんだ! 手はずが違うだろ!」
早く牢を明けなければと思う一方、目の前のこの扉も開けなければいけないのではないかと自問自答する。
「テムル様!?」
テムルは、ジャナリーの呼びかけに我に返る。
そうだ、この扉を閉めたのは僕だったと。
だが、我に返って、すぐ、自分の行動が支離滅裂で、わけが分からなくなる。
通路の扉と牢を開けることが僕の役割だったはずなのにと。
一方で、牢獄中にテムルが扉を閉めてしまったことが伝わり、一斉に、牢から怒声があがる。
見張り部屋の中から、村に忍び込んできた野盗が、テムルに命令する。
キジュとやりあっていた、あのルンクスという野盗だ。
「貴様! 今ならまだ許してやる。この扉を開けやがれ!」
混乱はしてても、小心者のテムルがその言葉を信じるはずがなかった。
扉を閉めたことに戸惑い後悔しつつも、扉を開ける気にはなれなかった。
恐怖で耳をふさごうとした時に、始めて自分の手が、ジャナリーの小さくも暖かい手で握られていることに気付いた。
「ようやく、分かってくれたのですね……」
ジャナリーの言葉に、テムルの良心がうずいた。
「違うんだ。僕は、何も考えずに人影が見えたから、君を守らなくてはと思って……」
テムルは、無意識にジャナリーを守ろうとしていた事に、その時、ようやく気付いた。
「それで、いいではないですか。私は助かったのですから」
ジャナリーが微笑し、テムルの迷いは消えていた。
「覚えてろよ、お前ら。助かったと思っているのか。逃げ場はないぞ」
ルンクスは、見張り小屋の机を扉に押し付け、戸棚を倒し、扉が牢側から開けられないようにすると、小屋を出て行った。
その音がテムルにも聞こえ、野盗が何をしようとしているのかテムルは、悟った。
「上から降りてくる気だ。逃げないと!」
扉の鍵を開け、取っ手を回して外に出ようとするが、びくともしない。
「どうしたのですか?」
ジャナリーが、わけも分からず聞いてくる。
「何かがつっかえている。きっと戸棚と机だ。逃げ道をふさがれた!」
「落ち着いて下さい。テムル様」
ジャナリーは、気丈にもテムルの手を握り、そして、テムルを見つめる。
テムルは、必死でこの窮地をしのぐ方法を考え始めた。




