第四章-4
センナは、今日も屋根の上の少女を見るように、練習を開始した。
センナも目が少し赤い。
酷い悪夢にうなされ、寝ては起きての繰り返しだった。
赤い蝶がヒラヒラと舞い、その中を真っ赤な太陽が雪原に下りてきて、センナを焼き尽くすという悪夢だった。
そのことを引きずり、今日の練習歌は、赤き炎をまとう蝶が舞う、幻想的な詩だった。
「レキュナっていう魔物だね……。あれは遠目から見たけど、綺麗だったなぁ」
「え、この詩の蝶って本当にいるのですか?」
キジュの感想に、唄い終わって一息入れたセンナが驚きの声を上げる。
「あれ、知らないの? 唄っていても、実際見てないことや触ったことがないものも多いものね。そうか、そうだよね」
一人で納得しているキジュに、彼女にしては、珍しく自分の希望をはっきりと伝えた。
「良かったら話を聞かせてくれませんか?」
興味深げにセンナは、キジュを見つめる。
まるで眠る前のおとぎ話を待つ子供のように。
こんな楽しそうな顔もできるんだとキジュは思いながら、自分の体験を語りだした。
「あれは、僕が南の方に行ったときのことでね、二羽で岩の上で休んでいたのを見かけて、ちょっとの間見惚れてしまったんだよ。昼であの美しさだったから、夜になると火の羽が映えてもっと美しくなるんだろうなって思うよ。でも、あれは暖かい場所にしか生息しないから、こんな場所で詩になっているのは意外だな」
「そうですか、キジュ様は色んなところに行ってらして羨ましいです。私も見てみたいです」
「そうか、じゃぁ旅に出る時は僕が案内してあげるのもいいかもね」
キジュは、冗談交じりに笑った。
「はい、この村から次の村までお願いします」
「やけに、具体的だね、もしかして本当に村を出るの?」
「グローリ様が戻られたら旅たとうかと。一度旅に出て世界中の様々なものを見れば、もっと詩に想いが込められるのではないかと思って。キジュ様も修行をかねて運び屋をしてらっしゃられるのでしょう?」
「いや、剣はやめたんだ……。覚えたくない技を覚えちゃってね……」
「そうなのですか、あれほどの腕があるのに……。でも、それではなんで運び屋をしているのですか?」
キジュは、つい屈託のない顔に気を許して、普段はいわないようなことを話していた。
「友人と約束をしてね。色んなところを見て回るのが好きな人だったから。私の住んでいる町に来たのが最期になってしまってね、その遺志をついで家を出たんだよ」
「色々な場所を見て回るのは、楽しそうですね」
純粋に憧れを抱くセンナに、少々苦笑してキジュはいう。
「そんな良いことばかりでもないよ。魔物や悪党に襲われることもあるんだから」
キジュは、センナにまだ町を出たころの昔の自分に姿を重ねて、注意をしたのだった。
太陽が沈み、今日の見張りを終えてキジュは、フレイナの部屋へと戻った。
自前の干し肉を二枚食べただけだったので、空腹で目が回りそうだった。
下でお弁当を食べていたセンナが、パンをくれようとしたのだが、それをキジュは断って我慢した。
センナの昼食もパン二枚とだけという、明らかに冬越えのための節約が見て取れたからだ。
「さて、晩御飯どうするかな」
一人つぶやく。
センナに限らず、村のあらゆる家庭で、あのように節約しているんだろうなと考えると、いつまでも晩御飯を村長に用意してもらうのも悪いのではないかと思える。
牢獄に捕らえた罪人でさえ朝晩と食事が出ているのを考えれば、そんなことはもらえて当然だと思ってもあたりまえなのだが、キジュは、そういった割きりができなかった。
そんなキジュの考えを見透かしてか、扉をたたいた後に、ハレカが食事を持って部屋の中に入ってきた。
「そろそろ、お仕事が終わる頃だろうと思いましてね、運んできましたよ。昨日も夜遅くまで手紙を読んでいたみたいだから、下に足を運ぶのもおっくうだろうと思ってね」
フレイナの机の上に食事を載せたお盆をおくと、手紙の束から三通別におかれるのを見ていった。
「おや、三通も読んだの? 私は字が読めないから、カナライに読んでもらったのだけど、あの人もなれなくてね。一通読むのにだいぶ苦労したものですよ。それに、返事を書くときなど一晩かかりっきりでね」
手紙を持って見つつ、懐かしそうに微笑んでからそれを戻すと、キジュに申し訳なさそうにいった。
「頼んでしまっておきながらなんだけど、無理をして読まなくてよいですからね。ちゃんと、休んでくださいな」
そんなことはないですよとキジュが伝えると、老母は安心して部屋を出て行った。
そのときになって、晩御飯のことをきりだしていなかったことに気づき、キジュは大きくため息をついた。
『キュルーナ王国暦 二九年 六月十二日
お父さん、お母さんお元気ですか?
年が明けてから、厳しい修行のため、ろくに手紙を出すことも出来ず心配をおかけしました。
でも、ようやく精霊術を扱えるようになるまでになったのです。
喜んでください。
私の初めての精霊術はケムレン君の剣に炎を宿すという基礎中の基礎ともいう霊術でしたが、ケムレン君がその剣を振るっても炎が消えずに残っていたのを見て、嬉し涙が出てしまいました。
その後、炎は十数える間ももたずに消えてしまうものなんですけどね。
他にも炎の玉を飛ばす霊術や、攻撃を防ぐための氷の盾を作り出す霊術もあるのですが、それもだいぶ物になってきました。
実践で使えるかどうかはなはだ疑問ですが。
だって、二人とも強すぎて、私が霊術を繰りだそうとしている間に、相手を倒してしまいそうですから。
このように霊術が使えるようになったことは喜ばしいのですが、まだまだ、カデラスと闘えるようなものではありません。
もっともっと、修行をしなければなりません。
ですから、帰るのはまだしばらく先になりそうです。
ごめんなさい。
私のことばかりではなく、皆のことも書こうかと思います。
カレルナ君は、すでに中級者の域まで霊術をものにしました。
私の三倍以上の速さで上達しています。
カレルナ君が作る火炎弾は私が作る炎なんか比べるべくもなく高熱で、青白い炎が的をめがけて飛んでいくのです。
私がコツを聞いたら、正確に想像が行えるかが霊術の肝なので、それを訓練するのがよいということで、写生を勧めてくれました。
なので、今の私の趣味は絵を描くことです。
一方、ケムレン君は、私と一緒にディーレさんの家でお世話になりながら、修行をしています。
ディーレさんが、昼は仕事なのでその間は自習をしているのですが、ケムレン君は霊術より剣術の方が性に合っているらしく、その間は剣術の稽古をしています。
ケムレン君がいうには、息抜き程度で取り組む方が、やりやすいといっていました。
おかしいことに、これでも励ましのつもりらしいのです。
最近わかってきたのですが、不器用以前に、表現の仕方が分からない人なのです、ケムレン君は。
思えば、口達者なカレルナ君とはすぐ打ち解けたのですが、ケムレン君とはカレルナ君を通してしか話をしていなかったような気さえします。
今度、お酒でも飲みながら和気藹々と話できたらいいなと思います。
こんな風に私のまわりに心配事はないので、安心して待っていてくださいね。
セレルーネ王国 ドレクナの里 ディーレ家にて フレイナ』
『キュルーナ王国暦 二九年 十二月五日
お父さん、お母さんお元気ですか?
無事に一年目が過ぎました。
スワイライムで見た、雪の積もった白いレイクル山が恋しいこの頃です。
ここ数ヶ月、何回も手紙を書きましたが、そのたびに破って捨てました。
泣き言ばかりになるから。
でも、一年目という節目に手紙を出さないわけにも行きません。
ですから、今回だけは許してください。
先日、ケムレン君が霊術師の初級課程を卒業しました。
私は駄目でしたが。
とても落ち込みました。
カレルナ君も中級課程を着実に進んでいるようで、私だけが置いてけぼりです。
もうやめてしまおうかと思いました。
でも、村の皆が期待して待っているのだから、と考え直す毎日です。
今回はこれで許してください。
セレルーネ王国 ドレクナの里 ディーレ家にて フレイナ』
『キュルーナ王国暦 三十年 一月十五日
お父さん、お母さんお元気ですか?
励ましの手紙ありがとう。
帰って来いといってくれて、楽になれました。
あれから二人にも、励まされました。
カレルナ君がいうには、ケムレン君と張りあおうというのが、そもそもの間違えだということです。
彼は天才で、剣術も師もいないのに独学であの腕前だし、字も独学で覚えたという話を聞いて驚きました。
ケムレン君の剣術も字も、達人や達筆といわれる人たちと比べても遜色がないのですから。
もっとも、カレルナ君も相当なもので、霊術においてケムレン君すら及ばない域に到達しているわけで、自分のことを差し置いてよくいうなと、天才は天才を知るということですかね、話を聞きながらもう、笑うしかなかったです。
ケムレン君からも慰められました。
本当におかしな慰められ方でした。
ケムレン君は、こんな風にいっていました。
『……お前が出来ないことでも俺ならできる。お前のできないことは、俺が全てやってやる。お前の身を守るくらい俺がやってやる。だから弱くても気にするな』
と。
自慢かけなしているのか分からないいいようですが、ケムレン君らしいなと思いました。
それで、いってやりました。
『弱いままで、終わらないんだから』
って。
そうしたら、苦笑されてしまって、苦笑したいのはこっちのほうだと思いましたよ、本当に。
そんなこともあって、今は、自分なりの修行をしていけばいいと思えるようになりました。
だいぶ元気になりましたのでご安心ください。
セレルーネ王国 ドレクナの里 ディーレ家にて フレイナ』
本日、もう一話を18時に掲載いたします。