第二章-5
「ところで……」
少し落ち着いたのか、キジュが口を開いた。
「何ですか?」
少し間をおいてから姿勢を正し、ジャナリーに質問を再開した。
今までの思考を遮断するために、あえてそうした。
「僕って悪いことをしたの?」
グローリのいい方では、明らかに非があるように聞こえた。
自分ではそんなことは無いつもりだったが、ああまで当然のようにいわれると、自覚がない分、逆に怖い気もする。
ジャナリーもキジュの思惑を察したのだろう。
「まず、シュジュの大森林の話をしますね」
前置きをしてから、静かに丁寧な口調で話し始めた。
シュジュの大森林と呼ばれる森が、レイクル山のふもと一面を覆い尽くしている。
雑草すら育たないと思われる火山土の上に、このような大森林があるなど世界最大の秘密といわれてはいるが、それはともかく、キュルーナ王国とセレルーネ王国の国境を形成し、街道も迂回せざるをえないほど広がっていた。
その大森林は、レイクル山に流れた雨水を蓄え浄化し細やかな川を作っている。
それが次第にまとまり急流となり、南下する。
この河の名がセレルーネ河といい、セレルーネ王国の名の由来となった。
やがてセレルーネ河は大森林を出る頃には大河となり、ココヤスの南を曲がり、海に出る。
この大森林を挟んでスワイライムとココヤスは五百年以上も前に作られた。
その役割は大きくことなるが。
ココヤスは、セレルーネ王国の貿易や資材運搬の要として作られた。
セレルーネ王国の王都セイザンドまで、街道を馬車で七日、貿易船が乗り入れできる最短の地点に、当時の国王セレルーネ二世が意欲的に取り組んだ一大事業であった。
一方、スワイライムは当時、グレンバド王国の木材供給のために出来た町だった。
グレンバド王国は砂漠地帯が多く、木材や穀物にしても事欠き、オアシスの王都クレルだけが豊かさを享受できる王国だった。
しかし、ここ二十年前、隣国のキュルーナ王国の侵攻にあい、二十年前にグレンバド王国は滅亡し、クレルの町は廃墟と化した。
自然、スワイライムはキュルーナ王国の版図に入った。
しかし、キュルーナ王国は豊かな国で、スワイライムの木材に頼らなくても他の場所から切り出すことができ、結果、スワイライムは十数年で急激に小さくなっていったのだ。
ここまで話を終えると、ジャナリーは、急に重い口調となりながら話題を変えた。
「このことは、一般的には知られていないと聞きますが、ゴードリースという名前の魔物をご存知ですか?」
「聞いたことが無いな……。それで?」
「ゴードリースという魔物は土を食べて生活しています。特に火山灰の中に含まれる成分が好物のようで、昔から火山地帯に多く見られる魔物でした」
「あれかな……。犬くらいの大きさで緑色の芋虫型をした、頭に金色の角が生えている……」
川原で食事にしようと詰め寄った魔物のことを思い出し、キジュは説明をする。
「そうです。それが、ゴードリースです。キジュさんが抜けてきたシュジュの大森林があるでしょう? あの大森林が形成されたのも、ゴードリースがレイクル山の火山灰を食べ、排泄物で土壌を生み出したおかげだと、村人の中では伝わっています」
キジュには、魔物がそのような役に立つことがあるとは信じられなかった。
「それって迷信じゃない?」
ジャナリーは、強く首を振る。
「村の外に畑があるのですが、その畑も春先にゴードリースを連れてきて土を食べてもらっています。ここらへんでは、土を耕しても、全く作物が育たないのですが、そうすることによって、か細いですけど穀物を育てる畑に変わるのです。スワイライムのものは、何百年前からそうやって生活をしてきました。迷信などではありません」
「魔物だよ、大丈夫なの?」
「ゴードリースは貪欲に大地をむさぼりますが、それだけです。おとなしい性質なので人に害をなすことが無いので平気なのですよ」
「そうなんだ。それで、その魔物がどうしたの?」
「村の掟で、殺すと五年間、傷つけたりそうしようとしたものには三年間、牢屋の中にいてもらうことになっています」
「何だって!?」
キジュは、目を白黒させた。
先程の驚きを超えていた。
魔物を征伐して報奨金をもらうことはあっても、罰を受けるなどということは前代未聞なのだ。
「だって、魔物だよ!?」
改めてキジュは、ジャナリーに聞き直した。
しかしジャナリーは、申し訳なさそうに返答をするのだった。
「はい。ゴードリースが居なければこの村の生活は成り立たないのです。しかし、最近は密猟者が増え、ゴードリースも数少なくなってしまっています。そのために罰則を設けて、厳しく取り締まらざるをえなくなってしまったのです」
ジャナリーの言葉には、村の生活が関わっているという重さが感じられる。
「密猟って……?」
「……金の角が生えていましたよね?」
「うん……」
丸い芋虫型の魔物に、金色の角があったことを思い出しながら、キジュは頷く。
「純金ではないのですが、その色だけで好まれるようで、貴族の間では高値で取引されていると聞きます。そのため、減少の一途をたどるようになっています。余談ですが、ゴードリースが毒性の強い火山土を食べても大丈夫な理由は、角にあるのです。あの角は、体内に入った毒物を解毒する力を持っています。この角はコードリアスが死んでも、飲み薬として体内に取り入れれば効果があります。でも、そんなことすら知られずに売買され、滅ぼされようとしているなんて、ひどい話ですよね」
流れるようにここまで話すと、ジャナリーはため息をついた。
魔物は滅ぼすものと考えていたキジュにとっては、ひどい話という感覚がいまいち伝わってこないが、それは飲み込む。
「絶滅しようとしているコードリースですが、レイクル山に生息するものは、スワイライムのものが守っていたため減少しないで済みました。しかし、それを知った密猟者がうろつくようになったのです」
ジャナリーの声は、憂いを帯びてきた。
その様子から、密猟者が野盗化したことは、容易に察しがついた。
「それが、あんな野盗になったんだね?」
「はい。最初はゴードリースだけを狙っていたのですが、村のものが警備にあたると、しだいに村の方も襲うようになったのです。それに、ここは辺境の地で警備が行き届かないこともあって、ならずものが逃げ込んでくるのです。それが自然と一緒に徒党を組むようになりました。今では、グローリさん以外は林の中で見回りすること自体、危なくなってしまったのです」
「それで、あの時も巡回していたってわけか……。じゃぁ、さっきまで屋根の上にいたのも、村に入ってこないように見張っていたということなの?」
「はい。この村に野盗が襲ってこないように見張っていたのです」
「へぇ……あいつがねぇ。とても人助けをするようには見えないよ。意外だなぁ」
「そんなこと有りません。三年間も何もいわずに、グローリさんはこの村を守ってくれているのですよ……」
ジャナリーは、建物の下から見上げるような姿勢でキジュにいった。
「あんなのに善意があるとはとても思えないけどな」
いくら村のためとはいえ、問答無用でキジュに襲い掛かり、霊術を行使したグローリに対して、キジュが良く思わないのは無理も無いことだ。
しかし、よほどグローリはこの村のために尽くしたと見え、一所懸命にジャナリーはグローリの弁明に努めたのだった。
それからキジュは、黙って村長の家の屋根の上に座り続けた。
いつ戻ってくるとも分からない、グローリの代わりに。
結局、日が紅くなり地平に沈みだし、風が冷たさで痛く感じられるようになっても、グローリは帰ってこなかった。
キジュは迷っていた。
といっても、男手が帰ってきたら、牢に再び入れられるということを、気にしていたわけではない。
彼女がここを去ればそれだけで村人が窮地に立たされると思うと、とても黙って立ち去ろうとは思えないのだ。
では、何を悩んでいたかというと、このまま夜になったら、どうするかということである。
いつか代わりのものがくるのだろうと思っていたのだが、その気配は全くない。
デーリッガだけが、キジュに目もくれず村の外を見つめているが。
頼みのジャナリーもあれからすぐ帰り、顔を見せない。
徐々に林の中に沈んでいく夕日が、彼女の心細さを一層引き立てていった。
いい加減なんとかしないととキジュは立ち上がる。
完全に夜になれば、暗闇が覆い人の目で見張りなどできるはずがない。
周囲に松明が掲げられるなら分からなくもないが、そんな気配もない。
そもそも、見張りを続けるには、この格好では凍えてしまう。
グローリはどうやって見張っていたのかと考える前に、全く何も伝えずに村を出ていった彼に、今更ながらに腹が立つ。
とりあえず、この場を離れるわけには行かないから、家に向かって大声で人を呼ぼうと振り返えったそのとき、そんなキジュの思いを察してか、天窓に灯りがともったのだった。