第三話:赤い閃光「ザイン」
クロノス・インダストリー第十七研究所は、この殺風景な工業都市の中で唯一、異質なほど清潔で、そして静かだった。
受付でリラが、依頼主から事前に受け取っていた電子コードを提示すると、すべては驚くほどスムーズに進んだ。
感情の読めない受付アンドロイドは、事務的に荷物の受け渡しを要求し、二人はそれに従う。
陸は依頼品であるカプセルを、専用の受け渡し口に置いた。
カプセルはすぐに壁の奥へ吸い込まれていく。
最後まで、その中身が何であるか明かされることはなかった。
「――確認しました。ご苦労様です。報酬は指定の口座にただちに振り込まれます」
アンドロイドが抑揚のない声で告げると、二人の仕事は終わった。
研究所を出て、再び酸の雨が降る灰色の空の下へ戻る。
リラはすぐに携帯端末を取り出し、口座への入金を確認した。
モニターに表示されたゼロの数が、あまりにも現実離れしていて、陸にはそれがどれほどの価値を持つのか想像もつかなかった。
「……よし。完璧だ」
リラは満足げに頷くと、端末を懐にしまった。
「これで、あんたの当面の滞在費と食費くらいは稼げたな。少しは役に立ったじゃないか、陸」
初めて向けられた、素直な賞賛の言葉。
それだけで、陸の頬がわずかに緩む。
過酷な環境、不気味な街並み、そして張り詰めた緊張感。
そのすべてが、この瞬間のためにあったのだと思えた。
「まあな。俺がいないと、あんたはここには来れなかったんだからな」
陸は少し調子に乗って、軽口を叩いた。
リラが何か言い返してくるのを期待していた。
だが、彼女から返事はない。
代わりに響いたのは、甲高い風切り音。
そして、リラの悲鳴に近い叫び声だった。
「陸、伏せろ!」
リラが陸の身体を強く突き飛ばした。
その刹那。
二人が先ほどまで立っていた場所を、一条の赤い閃光が薙ぎ払った。
金属製の道路プレートが、まるでバターのように容易く切断され、高熱で溶けた断面が赤い光を放っている。
「なっ……!?」
何が起きたのか理解できない。
陸は突き飛ばされた勢いのまま、地面を転がった。
リラはすでに体勢を立て直し、閃光が飛んできた方向を鋭く睨みつけている。
「……何の用だ? 名乗りもせずに挨拶とは、いい度胸だな」
その問いかけに答えるかのように、近くのパイプラインの上から一つの人影が、ふわりと地上へ舞い降りた。
男だった。
短く刈り込んだ燃えるような赤毛。
口元には、戦いを心から楽しんでいるかのような獰猛な笑みが浮かんでいる。
その出で立ちは傭兵か、賞金稼ぎか。
全身から放たれるプレッシャーは、陸がこれまで出会ったどんな人間とも比較にならないほど濃密で、危険な匂いがした。
「そいつを渡してもらおうか」
しゃがれた、しかしよく通る声。
金色の瞳はリラではなく、陸が今まさに立ち上がろうとしている一点を射抜いていた。
いや、違う。
陸ではない。
陸が受け渡しのために持っていた、空のアタッシュケースを。
「……なるほどな。あんたがクロノスの言っていた『保険』か」
リラが忌々しげに吐き捨てる。
「だが残念だったな。ブツはもう我々の手にはない。とっくに引き渡した後だ」
「ああ、知ってるさ」
男は肩をすくめた。
その仕草は、ひどく芝居がかって見えた。
「だからこうして、穏便に話をしに来たんじゃねえか」
穏便、という言葉とは裏腹に、男の金色の瞳は少しも笑っていない。
その視線が陸を捉える。
瞬間、陸の全身の産毛が逆立った。
蛇に睨まれた蛙。
その陳腐な比喩が、これほど的確に感じられたことはない。
本能が叫んでいた。
こいつはヤバい。
ウロボロスで出会ったチンピラなど、赤子同然だ。
こいつは本物。
人を殺すことに、何のためらいもない捕食者。
「リラ……」
陸は、かろうじて声を絞り出す。
「こいつ……一体……」
「……腕利きの傭兵だ。おそらく、このヘパイストス・ファウンドリじゃ一番ヤバい奴だろう。……名前は、ザイン」
その答えと、ほぼ同時に。
ザインと名乗られた男の姿が掻き消えた。
いや、違う。
あまりの速度に、陸の動体視力が追いついていないだけだ。
気づいた時には、ザインは陸の目の前に立っていた。
獰猛な笑みを、すぐ間近に浮かべながら。
「――自己紹介は済んだか? なら次は、鬼ごっこの時間といこうぜ」
その言葉が終わる前に、ザインの右足が閃光のように陸の腹部を捉えていた。




