32 宿の問題ではない問題は・・・
愚兄その3は席を立つときに『私の姫に手を出すなよ』と言って去って行った。私は愚兄のではない。
愚兄が出ていったなら、愚兄が宿に戻る前にさっさと引きこもった方が得策だ。同じところに泊まるなら特にだ。
あれでも愚兄はオヴァール家の特性を受け継いでいる。己が戦いやすい時間まで待っていたのだろう。そうなれば決着が着くのは30分とかかるまい。
愚兄の姿が見えなくなってから席を立ち、店を出る。はぁ。店の中では煙管を吸うのを我慢していたから、しんどかった。外で食べるとこういう事も気を使わないといけないから、やっぱり家で食べるのが一番いい。
外に出たところで煙管を取り出し、火をつけ、煙を肺いっぱいに満たす。
「先程言われた所に泊まるのか?」
斜め上からなんだか不服そうな声が降ってきた。確かに私の態度から素直に愚兄の言うことを聞くとは思えないかもしれないが、彼の言葉に紫煙を吐き出し答える。
「この街で一番高級な宿ってこと、設備が一番整っているから兄は勧めてくれた。まぁ、あの兄のことだから、同じ所に泊まる様にしたかっただけなのかもしれないけど」
そう言いながら、中央通りに入っていく。先程の店は路地を一本入った所にあったので、大通りに出ればいいだけだった。目的の場所は直ぐに分かった。一番大きな5階建ての建物で大きく看板が掲げられていた。
『メローラヒュッテ』
貴族が好むようなゴテゴテした外装だ。よく分からない装飾品が看板の周りにほどこされ、キラキラと言うよりギラギラと表現した方がいい金色の壁。窓にはステンドグラスだろうか、色とりどりの色ガラスがはめ込まれている。
はっきり言って目が痛い。いや、趣味が悪すぎる。
一瞬入るのを戸惑ったが、ドアマンに開けられた扉を潜る。
「こんばんは。ご予約はされていますか?」
入り口を入った早々にドアの前で待機していたのであろう男性に声をかけられた。
「いいえ、急遽ここで足止めをされたので、一泊お願いしたいのです」
私がそう男性に言うと、男性は私の頭から足先まで舐めるように見る。これは客として見定めている?
「申しわけございません。本日は満室となっておりまして、ご予約のお客様のみとなっております」
そんな事を言われた。これはここの客には当たらないと判断されたのか。困った。
しかし、新鮮な対応でもあった。私を色目で見ないと言うことはこういう対応をされるのかと。
「そう、それは残念ね」
私が踵を返そうとすると後ろから引き止められた。
「おい、こっちは「いいの」」
私は彼の腕を取って外に出る。これはこれで困った。だから、街で宿は取りたくなかったのに、身分証などにこだわらず、さっさと見切りをつければよかった。
「本当にいいのか?あれは客を選んでいたぞ」
「そんなことはわかっている。貴族とは見られなかったそれだけ。でも、間違いではないでしょう?私にそのような身分はない」
そう、貴族位を剥奪された私にそのような身分はない。
適当にランクの高そうな宿に入ってみるが、やはりここでは駄目だ。一人部屋を2つ取って、彼に作り置きの食事を亜空間収納から取り出し部屋の前で手渡す。
「先程食べれなかったでしょう?」
彼は人前では仮面を外すことはできないので、先程では一切食事に手をつけていなかったのだ。
「アリアもあまり食べていなかったよな。一緒に食べよう」
確かに私もあまり手を付けてはいなかった。殆どはあの愚兄の腹の中に収まっていた。まぁ、もともと私が外で食事をしないことを愚兄は知っているので、そんなに多くは注文はしていなかったが。
「私は······はぁ。外に出るからいい」
食事を渡したので、ここに用はないと踵を返す。が、腕を掴まれ部屋の中に連れ込まれてしまった。
「何を隠しているんだ?あのサヴェルってやつが態々あの宿を教えたということは何か意味があったのだろ?ここは何が駄目なんだ?」
仮面を外して言わなくてもいいのではないのだろうか。深淵を覗き込んだ目を向けないで欲しい。
煙管の火皿の中にある灰を携帯用の灰落しに捨て新たに刻んだ薬草を詰めて火を入れる。
一吸いして紫煙を吐き出した。
「貴族が泊まる宿は全て魔樹でできているの。床も壁もベッドも全て」
私はこの宿の個室を見渡す。
「ここもそれなりにランクのいい宿だけど、備え付けの机と椅子だけは魔樹のリレーシュで作られた物だけど、それだけ」
「それのどこが問題があるんだ?」
「はぁ。普通は問題はないけど、でも、ごく一部の高魔力者にとったらここに長居すると漏れ出る魔力で物を破壊してしまうことになる」
「破壊」
「木だけじゃないけど、困ったものね。まぁ、魔力が漏れないように結界を張ればいいのだけど······」
これは私の寝相の悪さが問題なのだ。いつの間にが結界を越えていることや、自分で張った結界を蹴破っていることもあった。
結界を張った意味がないと怒られたことが多々あり、この数年間の遠征でよく通る中継地で私専用の部屋が作られたほどだった。




