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13 続く「まさか」の締めは、プロポーズでした

 部屋に入ってすぐ、向かい合わせるようにぐいっと抱え直されて、私はギョッとした。ラディッシュがくるりと身体の向きを変え、視界が回った時には、開いた扉に背中を押しつけられていた。


 私の背中で押された扉が、バタンと勢い良く閉まり、抵抗する間もなく後頭部までゴチリと扉にあたった。気付くと私は、抱き上げられたままの状態で、彼の身体と扉の間に挟まれていた。


 状況が把握出来ず、思わず押し付けられた扉へと目を向けてしまう。


 すると、ラディッシュが「こっちを見て」と、まだ息の上がった声で言った。


 掛けられた声には余裕がなく、焦りのようなものを感じた。一体何事だ、と彼に視線を戻した次の瞬間、私は、ラディッシュに吐息ごと唇を奪われていた。


 びっくりして目を見開くと、眼前には彼の端正な顔があった。反射的に胸板を押し返すと、その抵抗を奪うように、唇ごと全身で背後の扉に押し付けられた。やけに体温の高い彼の唇の熱が、こちらにまで移る気がする。


 呼吸が苦しくなって、くらくらとした頃にようやく唇が離れた。



「――婚約は、破棄しない」



 鼻先が触れる距離で、ラディッシュがそう言った。それは、婚約指輪を届けた際に告げていた言葉と、一字一句違わないものだった。


 真っ直ぐこちらを見据える碧眼は、こぼれる吐息の熱と同じ何かが宿っているようだった。抱き上げた私の背を扉へ預けたまま、後ろに回っていた彼の片手が肩を滑り、酸素を吸うので必死な私の顎を、そっと支えて持ち上げる。


 こちらを覗きこんだラディッシュが、何かを我慢するように、苦しそうに眉を寄せた。


「君以外とは、結婚したくない」

「…………ラディッシュ……?」


 どうにか名前を呼ぶ事が出来た。しかし、それはどういう意味なのか、と問う前に「君が好きなんだ」と告げる吐息が肌の上を撫でた。


「僕は君と結婚したいんだよ、エミリア」

「このまま、私と結婚するの……?」


 婚約は破棄しない――その彼の台詞の意味が、ようやく正しく理解出来た私は、思わずそう尋ね返していた。


 視線のすぐ先で、ラディッシュが小さく肯いた。


「僕は言葉数が少ないらしいから、本当は今日にでも、ちゃんと告白するつもりだったんだ」


 まさか、こんな騒ぎが起こるなんて予想外だった、と彼は呟いた。プロポーズの場所と言葉を一生懸命考えていたところだったのに、おかげで全部頭から吹き飛んだ……と浅い溜息をこぼす。


 私だって、今の状況は予想外だ。まさか、ラディッシュからプロポーズされる事になろうとは、思ってもいなかった。


「ラディッシュって、いつも言葉が足りないなとは思っていたけど……」

「これからは伝える努力をするよ」

「なるほど、努力――……って、ん?」


 ちょっと待って、伝える努力って、なに?


 私が呆気に取られて見つめ返すと、ラディッシュが「君はどうやら、鈍いところもあるらしいからね」と冷静な表情で告げた。ぐいっと顔が近づけられて、唇が触れそうな距離で、彼の真剣な眼差しがこちらを覗きこんできた。


「エミリア、僕は君が好きだ。君からの告白を聞いて冷静でいられないほどに、今の僕の頭の中には、君の事しかない」

「ひょわ!? 待って待って、あんたキャラ変わってない!?」


 くすぐったいような台詞をつらつらと並べ立てる彼が、私の事が好きなのだと意識したら急に恥ずかしさが込み上げて、私は「そういうのはヤめてッ」と情けない声を上げていた。


 思わず彼の顔を押し返したけれど、続く羞恥のせいか、腕に力が入らなくてびくともしなかった。


「あの騒ぎは予想外だったけれど、嬉しい誤算は『僕と話せなくなるのが嫌だ』という、滅多にない君の本音を聞けた事かな」

「聞こえてたの!?」

「後半の叫びは向こうまで聞こえてたよ。前半あたりの騒ぎについては、知らせに来てくれた衛兵に教えてもらった」


 そこで、ラディッシュが私の頬にかかっていた髪を、耳の後ろへそっと撫で梳いた。


「ねぇ、エミリア。君は僕と結婚してもいいと思ってくれていると、そう受け取ってもいいのかな」

「えぇと、それは、その…………」

「キスをしても怒らなかった」


 言葉数を増やした途端、いつになくグイグイとくるラディッシュを前に、私は勘弁してと泣きたくなった。彼は私の事をよく知っているから、この短いやりとりの中で分かっているはずなのに、どうして平気で尋ねてくるのか。


 私だって、自分の気持ちをまだハッキリと分かっていないのだ。キスをされたのはびっくりしたけれど、嫌ではなかった。彼との婚約を破棄するために、誰かと『駆け落ち』しなければと考えた時のような、我慢しなきゃダメなのかしら、と涙が出るような胸の痛み等は覚えていない。



 相手がラディッシュでなかったら、多分、どうにか必死に策を考えて反撃していただろう。だって今も私の腰には、昔から使い慣れたバークス伯爵家の家紋が入った剣があるのだ。


 そんな私が、今も大人しく彼の腕の中にいて、結婚したいと言われた際には、難なく夫婦になった未来を想像した。彼と結婚する未来を、呆気ないほどすんなり受け入れられている事が、全ての答えのような気もする。



 つまり私も、いつからそうだったのか分からないほど自然に、ラディッシュの事が好きになってしまっていたのだろう。


 そう思ったら、なんだか今の状況が、無性に恥ずかしくなってきた。


 これまで異性を意識した事がなかったせいか、女の子達を見た時とは違う感じで頭が沸騰してきて、私は、たまらず両手で顔を覆って伏せていた。


「…………結婚、してもいいわよ……」

「ふむふむ、それで?」


 視界を暗く覆った両手の向こうで、彼がわざとらしく片方の耳を寄せてくる気配がして、私は「コノヤローッ」と悶絶に震えながら、しかし、声を絞り出して自分のプロポーズを返した。



「……………………私も多分、ラディッシュが……好き…………です……」



 何故か、語尾が敬語になってしまった。


 もう、穴があったら入りたいくらいに恥ずかしい。彼が表情筋も動かさず、冷静な口調で平然と「好きだ」「結婚したい」と言ってのけているのが不思議でならない。


 顔が真っ赤になっているだろう自覚があり、私は、しばらく両手で顔を押さえて悶絶していた。すると、ほとんど力も抜けてしまっている両手を解くように、彼の手が触れて「エミリア」と、これまでにない穏やかな声が降って来た。


「エミリア、顔を見せて?」

「……嫌よ、すごく恥ずかしいもの」

「恥ずかしくないよ。僕は、すごく嬉しい」


 ほら、ここには僕しかいないから――と優しい声色で言いながら、彼は私の手を下ろしてしまった。


 チラリと上目に見つめ返した先に、僅かな微笑だというのに、まるで蕩けそうな印象を与える表情を浮かべたラディッシュがいた。普段は表情筋がないのではないかと思うほどの無表情だというのに、本当に心の底から、嬉しくてたまらないんだという想いが見て取れた。


 微笑む彼の碧眼は、とても穏やかだった。普段顰め面をしている男とは別人のように、ひどく幸福そうに細められていて、それがなんだか子供っぽくも見えて、私は思わず笑ってしまった。


「その笑顔、反則だわ」

「僕だって、こんな風に自分が笑えるなんて知らなかった」


 ところでエミリア、と彼が穏やかな表情のまま、どこか熱のこもった声で言った。


「今すぐ君を妻に迎えたいくらい、僕は余裕がない」

「ん? 余裕が、ない……?」


 気のせいか、言いながらも抱き上げている彼の腕に力が入って、より密着具合が増したように感じた。扉の方へ半ば重心を預けているとはいえ、そろそろ重さで腕がしびれたりはしないのだろうか?


 お互い誤解も解けて話が済んだところのはずだ。私が問うように見つめ返すと、ラディッシュが潤んだ瞳を細めた。後ろへと戻った彼の手が、ゆっくりと項を上がって頭を固定するように支えてくる。


「僕らは晴れて両想いになったわけだけれど、――なら『婚約者らしい事』をしてもいい?」

「あの、それってどういう…………?」


 こちらを見下ろすラディッシュの瞳は、得体の知れない熱が孕んで妙に色っぽい。なんだか嫌な予感がして、私は、恐る恐る尋ね返した。


 すると、彼が「婚約者として、許されている範囲で、少しずつ」とやけに気になる形で台詞を区切って言いながら、身を屈めてきた。



 扉に押し付けられた状態で、先程よりも優しく、再び吐息ごとパクリと唇を奪われた。こちらが呼吸出来る絶妙な間隔で、慣らすようにゆっくりと大きく唇を啄まれる。先程重なるだけの長いファーストキスを済ませたばかりの私は、混乱と羞恥もあって、くらくらした。


 薄い扉の向こうから、一組の男達の足音と話し声が聞こえてきた。頭を固定されて逃げられず、扉一枚越しを意識させられて、強く抵抗する事も出来なかった。



 足音と話し声が通り過ぎて行った頃、ラディッシュが、ゆっくりと顔を起こした。


 こちらを見た彼が、どこか意地悪そうに唇の端を引き上げたので、既に頭さえ自分で支えられなくなっていた私は、力なく睨みつけた。


「……後でぶっ飛ばす」

「二回目のキスは気に入らなかった?」

「…………ガッチリ固定してまでするとか、信じられない。というか、なんで思いっきり吸ったの…………」


 猛烈に恥ずかしい。しかも、逃がさないというくらいしっかりキスしてきた癖に、支える手も口も、普段の彼からは想像も出来ないくらいに優しいのだ。大事だよと言わんばかりの柔かいキスも、まさに反則だと思った。


 悶絶して再び手で顔を隠した私を見て、ラディッシュが、左手の婚約指輪にそっとキスを落とした。


「何言ってるの、こんなの初級だよ」


 初級ってなんだ、まさか上級でもあるといいたいのか。


 もはや言葉も出ない私を宥めるように、彼が両手で抱き直して、頭をポンポンとやってベッドに向かって歩きだした。


「しばらくは休んでおくといいよ」



 それにしても鼻血が出ないのは感心する、と彼が思い出したように呟いた。場合によっては、これから出るようになるのかな、と、どこかワクワクするような口調で不穏な言葉まで聞こえてきた。


 私は、未知の何かが待っているような心配を覚えた。誕生日がきたら彼と結婚するのか、という不思議と嬉しいような気持ちを、素直に喜べなくなった。



「……どうしよう。猛烈に不安が込み上げてきた」

「結婚が楽しみだね、エミリア」


 これまでになく明るい声で、ラディッシュがそう言った。

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