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10 僕が昼休憩を合わせて分かったこと

 昼休憩が来るまで、なぜか同僚のヒューズが口にしていた「婚約者らしい事」が脳裏にチラついていた。


 会いに行ったエミリアを前にして、これまで小耳に入って来ていた同性達からの話が、ふっと脳裏に浮かんだ。もしかしたら、最近彼女が口にしていたものだったせいで、それが思い出されたのかもしれない。


 当初は、婚約指輪を身に付けている姿を見たいな、とぼんやりと思ってエミリアと休憩時間を合わせた。しかし、顔を見たら会話を切り上げたいという気持ちが起こらず、婚約者らしい事として「一緒に何か甘い物を食べる」と思い立ち、彼女を連れ出していた。


 僕は、甘い物は好んで食べない。けれど同じく珈琲を好んで飲む彼女は、パーティー会場に行けばチラチラと目を向けていたから、きっとケーキやデザートといったものは好きなのだろうとは思っていた。


 所長や同僚達から、何度も聞かされていたそのカフェは、隠れたケーキの名店でもあるらしく、知る女子が少ないのだとも聞いていた。実際に足を運んでみると、表向き軽食をメインとした看板を出しているせいか、午後三時の店内に他の客の姿はなかった。



 喧嘩するでもなく、近い距離に居られる、穏やかで不思議な空気感を覚えた。エミリアは眉間に皺も刻まず、威嚇する猫のように目をつり上げる事もなく、不思議そうに僕を見つめ返して「ケーキ、味見する?」という事を尋ねてくる。



 男というのは、想像力が豊かな連中が多いらしいとは思っていたが、まさか自分もそうなるとは驚きだった。僕はケーキを食べているエミリアを見て、その声を聞きながら、生まれて初めて熱を持て余すという時間を過ごした。


 彼女の形のいい小さな口内に消えて行くケーキを見ていると、婚約者同士がする恋人らしいやりとりや、結婚して夫婦となったら当然のように許される事が、様々と想像された。


 だから僕は、「ああ、なんだ、そんな事か」と気付かされたのだ。


 エミリアが倒れるたび、世話を押し付けられる毎日だというのに、僕は婚約破棄の件に関して、ここ数年すっかり忘れてしまっていた。どこへ行って騒ぎを起こそうと、エミリアは『僕の婚約者』で、きっと、彼女が隣にいる事が当然のようになっていたせいだ。



 つまり僕は、彼女以外の女性とは結婚したくないらしい。


 二人きり腰かけるカフェの席で、昔から表情に出やすいエミリアが「あ、このケーキ美味しい」と堪能するのを見守るだけの時間が、これまでになく穏やかで心地良い、満ちた充実感を僕に伝えてきた。



 元々、僕はそういう事への興味がまるでない男だったから、他の女性は抱ける気すらしなかったのだが、どうやらエミリアは別らしいとも知った。


じわじわと熱が込み上げて、ねだりを彷彿とさせるような表情を見てみたいなと、ろくでもない男のような事まで考えてしまった。自分でも呆れるほどだったが、チラリとだけでも、と訊いてみる事にした。


「君に、僕の手でケーキを食べさせてみたいんだけど」


 無理だったら、次回の時にでも再度尋ねてみよう、という冷静な気持ちは持っていた。それなのに、しばし逡巡するように固まったエミリアの後の反応が、僕の想像を上回った。


 耐性がないのは女の子だけで、異性をちっとも意識しない。そんな彼女だから、いつもみたいにキッパリとした強い態度で物を言うのだろう、と思っていた。けれどエミリアは、女の子を前にした時とはまた違う、まるで彼女自身が普通の女の子のような反応をしたのだ。


 顔に熱が集まり、ゆっくりと見開かれた灰青色の大きな瞳が潤んだ。しばし言葉も出ない様子は、食べさせられているところを想像して意識し、明らかに羞恥を覚えている事を伝えてきた。


 あの彼女が、異性を意識して頬を染めているのだ。


 弱って恥ずかしがる姿を目に留めた途端、僕は、自分の中の理性が吹き飛びそうなほどの強い感情を覚えた。「彼女以外の女性とは結婚したくないらしい」という自分の想いが、もっと深く厄介なものだと悟った。


 直前までの、ぼんやりとした曖昧な形ではない。

 僕はエミリアが好きなのだと、完全に自覚した瞬間だった。


 僕の手でケーキを食べさせたい、という欲望が強く込み上げた。気付いたら必死になって「一回だけでいいから」と、今しかないチャンスだと焦燥するような気持ちのまま、策も余裕もなく頼み込んでいた。


 すると、エミリアが僕を見て、初めて女の子らしい笑みをこぼした。あれ以上の不意打ちはないだろうと思っていたのに、「こんな風に笑うんだな……」と、初めて向けられた自然な笑顔に、数秒ほど思考が停止した。


 本当に参った。この笑顔を毎日見られるのなら、僕は世界で一番の良夫になるだろう。今すぐにでも結婚してしまいたい。


 その間にも、エミリアが警戒心もなく口を開いた。僕は内心頭を抱えながらも、その唇に触れたい欲求を理性で抑え込み、ちらりと覗く舌を知らず熱心に見つめつつ、その口にケーキを運んだ。



 一度その熱を自覚してしまったせいか、王宮に戻った後も、彼女の事ばかりが脳裏にチラついて、僕は今、大変困っている。



 年頃の健康男子の悩みが、今になってようやく共感出来たというべきだろうか。これは、実に悩ましい問題である。


「――つまり僕は、ちょっとおかしいエミリア・バークスという女の子に、だいぶ前から恋をしていた訳か」


 しかも僕は、これまで恋愛交際について注目してこなかったから、手順や流れについてもド素人だ。恋をしたら、どこから始めればいいのかも分からない。


 過去の軽いやりとりの中であったような感じで、婚約が破棄されると思っているエミリアに、まずは正しく想いを伝えるのが先だろう。彼女が今、僕の事をどう想っているのかも確かめて、待つ必要があるのなら、まずは交際から始める。


 そう思考がまとまった時には、勤務の終了時間が迫っていた。


気付けば周りの同僚達が、帰り支度を始めていた。僕は室内に目を走らせ、王都の屋敷に戻るため早々に仕事机の上の整理整頓に取り掛かる五歳上の同僚、ヒューズを見付けて素早く掴まえた。


「君、確か親同士が決めた婚約者だったよね?」


 肩を掴んですぐ、こちらへと振り返らせながら強く質問した。


 ヒューズはこちらを見て、目を丸くした。質問を理解するのに遅れたらしく、数回たっぷり時間をかけて瞬きをした。


「……あのさ、ラディッシュ? お前、ほんと、最近どうした?」

「いいから、答えなよ」

「やけに急かすなぁ。まぁ政略結婚の相手にって事だったけど、二年も経った頃には、お互いで結婚しようって決めて――」


 なるほど、これは一番見本になりそうな経験と知識を持った男だ。そう察した僕は、問答無用でヒューズのネクタイを掴んでいた。


「その話を詳しく」

「は……? あの、俺もう帰るんだけど――」

「ヒューズ、僕は今、少々余裕がなくてね。うっかり関節技を掛けて意識を奪い、意図的に君を縛り上げた後に場所を移動して、持ち前の『気付け薬』で起こして話し合う事になるかもしれない」

「それ笑えない脅迫だよ!? おまッ、いつそんなに過激派になった!?」


 婚約者である戦闘伯爵の令嬢に、妙な影響でも受けたんじゃないか、とヒューズが目を剥いた。


 自衛のために身に付けた護身術の一種ではあるが、今となっては、確かに彼女の存在を意識しなかったとは否定出来ない。彼女からの影響だというのなら構わないし、それでちょうどエミリアと釣り合うというのなら、僕は大人しくしているのもやめるだろう。


 そう考えて、僕は「そうかもしれないね」と薄らと笑んで見せた。ヒューズが「初めて見る楽しそうな笑顔が、威圧感半端ねぇとか勘弁して欲しい……」と、さすが所長補佐というべきか、僕の事情を目敏く察したように顔を引き攣らせた。


 しばらくして、ヒューズが降参したように「分かったよ」と吐息をこぼした。


「……つまりアレか。自覚したばっかりにも関わらず吹っ切れた、という面倒なパターンか。――所長、ちょっと三人で話したい事があります!」


 少しでも時間短縮を狙ってか、ヒューズが、所長を巻き込むべく声を上げた。


 思えば二人の子供がいる所長は、妻とは生まれながらの許嫁同士だった、と言っていた気がする。僕はヒューズの案を採用する事を決め、呑気にキャンディーをくわえてこちらを振り返った所長へと狙いを定めた。

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