第四話【飛来】
金色の波が絶えず押し寄せては消えていた麦達も、良く砥がれた短刀によって順調に刈り取られていく。
腰の痛みを感じるたびにコンバインがあればと思ってしまうが、無い物ねだりをしてもしかたがない。だが、二百人体制で上手く役割分担して作業に当たれているのが救いと言えるだろう。
作業は大きく分けて、麦を根元近くから切り取る者と、それを束にする者、そして乾燥のために麦束を積み上げていく者の三種類に分かれている。
この三つ中で特に重要なのは乾燥だ。理由としては麦が含む水分量によってカビが発生する確率が大きく変化するからだ。つまり、太陽光と風の力で麦中の水分をどれだけ飛ばせるかで保存できる期間が大きく変化するというわけだ。
しかし、効率が良いとは言ったものの、立ち上がる度に視界いっぱいに広がる広大な麦畑を目にするのは心に来るものがある。
「コンバインでやる稲刈りでさえ面倒くさいってのに、これ全部手作業かぁ······」
額にかいた汗を手の甲で拭っていると、隣で麦を刈り取っているチノの虚ろな瞳がこちらに向いた。
「ねぇ、カズヒサ······これ、いつ終っと?」
すでに汗びっしょりになっているケモミミ少女は、休憩というよりこの作業が終ることを望んでいるご様子である。
「そうだな、明日の夕方には終わるんじゃないか?」
「あ、明日······やっぱい、けっこうあるねぇ」
決してチノはこの作業を嫌がっているわけではない。むしろ収穫を始める前は誰よりも張り切っていたのだ。しかし、日も高くなり気温も上昇しきった今、チノを筆頭に暑さに弱いモングールの皆の表情は少し険しいものがある。
前回チノが倒れたことを踏まえて、バンダナで太陽光から頭を守らせたり、濡れタオルで首を冷やしたり、四人組を作らせて一時間に一回の休憩が回ってくるようにはしているが、不安は完全に拭いきれてはいない。
「まぁ、キツイならあっちの木陰で休んでた方が良いんじゃないか?」
「ううん、大丈夫。弱音ば言ってごめんね」
「しゃーねえさ、慣れない作業やってんだからな。それに俺は、チノも含めて皆良く頑張ってると思ってるぞ」
すぐにでも休憩に入れてやりたいのは山々なのだが、ここはそれをグッと我慢する。何故なら、俺がずっとこのモングールの村にいられるわけではないからだ。
これまでの人生を過ごしてきた土地ではないのだから彼らが辛いのは当然だ。だが、俺がこれから先ずっと皆の体調を気にしながら作業ペースを考えるわけではないのだから、一人一人がどの程度の暑さや労働などの負荷に耐える事ができるのかを見極める必要がある。だから、ここで甘やかすわけにはいかないのだ。
手段を選ばず極論を言えば、何人か死なない程度にぶっ倒れてもらって、熱中症や熱射病が如何に恐ろしいかを身を以て体験して頂き、それを伝聞してくれれば手っ取り早く皆に暑さという恐怖を植え付けられる。
とは考えたものの一番良いのは誰も倒れず、体調に僅かな異変を感じたら休憩してもらうというのを、このセルフチキンレースの中で学んでもらう事なのだが。
作業に戻ろうと腰を屈めたと同時に、すぐ後ろから声をかけられる。
「ねぇー、にぃーちゃーん! こい、いつ終わっとー?」
「いつ終わっと―?」
声の主は俺が振り返るのを待つことなく、無遠慮に背中に飛び掛かってしがみ付いてきた。
「おいガル、ムス、危ねーだろ? ったく、明日の夕方頃には終わると思うぞ?」」
「えー、明日もこいばすっと? 遊びたかー!」
「おいも遊びたかー!」
まぁ、この子達の気持ちも分からなくもないから強く言えない。
遊びたい盛りの二人の目を見ると、昔の自分も同じような目をしていたことを思い出す。
子供の頃、手伝いをやらされている時によく頭の中が曇っていた。それは、俺が田畑で働いている時、友達は公園やそれぞれの家で遊んでいるのが悔しかったり、その輪の中に入ることができない焦燥感だったり、何で自分ばかりがこんな辛い事してるんだと思ったり、そして当時の自分にはあまりにも膨大な作業量を前にして二度と友達と遊べないんじゃないかと勝手に絶望して涙を浮かべたもんだ。
そして、どんなに働いても雀の涙のような小遣いしかもらえないのだから、当時の俺は本当に農作業が大っ嫌いだったし爺さんにもよく反抗して逃げ出したりもしていた。
しかし、今思い返すと、親父と母さんはそんな俺を叱りつける事はしなかったし、祖父さんも一言怒鳴って拳骨を一発くらうだけで、それ以上の制裁は無かった。
今思えば、両親や祖父さんなりに葛藤があったのかもしれないと、この二人を見て思う所があるのは事実だ。
だが、この子達も貴重な労働力としてみなければならないのもまた現実だ。
「なら、良いことを教えてやろう。今、お前たちに集めて貰ってるもので何ができると思う?」
「うーん、牛に食べさせるだけじゃなかと?」
「粒のとこは鶏にやるっちゃろ?」
そう、自分がやっている作業が何の役に立つのか、そして自分への恩恵は何があるのかを知らないと人間はやる気がでない。
「驚くなよ? それをたくさん集めて料理すると、お前らが大好きなドーナッツができるんだぜ?」
「「えー!」」
二人は、ドーナッツという単語を聞いた瞬間、ただでさえフワフワしてる尻尾の毛が逆立って倍くらいに膨らみ、垂れ気味だった耳をピンと張ったと思えば、瞳孔を全開にしてこちらを見つめている。
「ド、ドーナツっていうぎあれやろ! 甘くてサクサクってしてフワッてしとる······!」
「良い匂いでカリッてして中がしっとりしとるあの······!」
いや、そこはコメント被んないんかい。と、大人げなく心の中でツッコミを入れつつ、二人の言葉に大きくうなずいて答える。
「そうだ。良い子にはご褒美をあげないといけないからな。もう少し頑張れそうか?」
「「うん!」」
二人は先ほどの不満という膿が溜まって、幼くして腐らせていた目を輝かせて返事をしてくれた。
「行くばい、ムス!」
「うん! どっちが沢山あつめるか競争ばい、ガル!」
二人は周囲にあった麦の束を腕一杯に抱えて、荷車の方へと歓喜と興奮が混ざったあどけない奇声を発しながら走り去っていった。
二人の背中を笑顔で見送っていると、後ろに居たチノから冷たい微笑を含んだ声で指摘を受ける。
「ふふ、カズヒサは悪か大人やねぇ。砂糖もなかとけ、どがんやって作るつもりね?」
チノは役所で食料や物品の帳簿も担当しているため、砂糖の在庫が底を突いているのを知っているのだ。
「収穫してすぐ作るなんて言ってないからな。俺はドーナッツが作れるとしか言ってない」
「うわぁ······」
この言い訳に、割と本気でチノに軽蔑された目でみられている気がしないでもないが、これは暑さで目を細めているだけに違いない。きっと、そうに違いない。
「まぁ、子どもはこうやって大人のズルさを学んでいくんだよ。それに、作らないとは言ってないし、ご褒美をあげたいのも本心だ。レトリアに税を納めに行くときに値は張るけど砂糖を買ってくるよ」
「そいぎ、うちもカズヒサからのご褒美ば楽しみにしとっけん?」
「おう、期待して待ってて良いぞ」
チノはいつものにこやかな笑顔を浮かべると、額に浮いた汗を拭ってまた収穫作業に取り掛かる。それに続いて俺も腰を屈めて麦にナイフの刃を当てて茎を一気に刈り取った。
結局、収穫作業を終える事ができたのは、予想通り翌日の日没ギリギリの所だった。
収穫作業を終えた翌日には、丸一日かけて落穂拾いが始まる。これはこれで馬鹿にできない量の麦が集まるため大事な作業の一つであるのは間違いない。
この作業で辛いのは、麦を刈り取る時よりも深く腰と膝を曲げないければならないところだ。
「ったく、これじゃ鳥との競争だな」
収穫を終えた畑では小鳥たちが、早朝から騒がしく飛び回っては降り立ち、せっせと落ち穂を啄んでいる。
絨毯を敷くように横一列になって落ち穂を拾い、その後ろから牛のエサにするために麦藁を熊手で回収していく。
これが終れば牛に犂を引かせて土を耕し、細かい格子状に区切られた木枠で育てた人参とカブの苗を植えなくてはならない。
今回は、小麦を播種する時期が遅かったため収穫の時期も遅れてしまったが、この二種類ならば今から植えても冬には収穫でき、丁度良いタイミングで小麦に畑を明け渡すことができる。
そして何より餌が不足する冬に、食べさせることができるため家畜にとっても強い味方なのだ。
落穂拾いも、麦藁の回収も順調に進んでいる。
「そろそろ頃合いか」
今回は、更地になった場所から犂をかけていく手筈になっている。
「じゃあチノ、俺はここで抜けてゲレル達と牛を連れてくるから任せて良いか?」
「うん、大丈夫ばい。そいよか、後足で蹴られんごと気を付けんしゃいよ?」
チノは口元を綻ばせ悪戯っぽく微笑みながら俺に注意を促す。
「分かってるって。じゃ、行って来るよ」
チノと別れた俺は、ゲレル達と合流し牛を放牧地にしている畑に取りに向かった。
牛の頭に頭絡を装着して綱を引いて畑まで連れて行く。
「お、カズヒサ! とうとう一人で綱ば結べるようになったかぁ!」
相変わらず豪快な野太い声をしたゲレルが俺に絡んできた。
「たりめーだ。前回の畑を耕す時はあんたに散々揶揄ってもらったからな」
「はっはっは! 散々結ぶとこば見せてやったなけんな。あれで覚えんぎ困ったもんぞ!」
そんな馬鹿な話をしながら、畑までの道のりを半分ほど過ぎた時だった。
それは突然の出来事だった。強風と同時に不意に空が暗くなった。
「カズヒサッ!手ば放せっ!」
いきなり名前を叫ばれたその瞬間、強烈な衝撃を感じて気が付いた時にはゲレルに抱きかかえられる状態で地面に倒れていた。
「ってぇ、いきなり何すんだ―――」
「呆けとる場合か! 早う逃ぐっぞカズヒサ!」
抗議の言葉を遮るその声は、普段のゲレルからは考えられぬほど切迫したものだった。
「え?」
その言葉の意味が分からなかった。だが、無理矢理ゲレルに立ち上がらされると同時に、その意味を瞬時に理解することができた。
すぐ目の前に巨大な何かが居たのだ。
一気に血の気が引く感覚。眼前に居たのは牛より二回りほど巨大な虎で、しかも羽が生えている。その脚元に目を向けるとさっきまで引き連れていた牛が、血だまりの中で腸をズルリとはみ出させて横たわっている。
一秒にも満たない間に鮮烈で莫大な情報が脳に叩きこまれ、身体が凍るように固まる寸前、ゲレルに首ねっこを掴まれて強制的に森の方へと走りださせられる。
運が良いことに森から十五メートル程の場所を進んでいたため、すぐに茂みの中へと飛び込むことができた。
すぐさま立ち上がり森の中から、その巨大な何かの様子を窺う。それは、こちらに視線を向けていたがすぐに興味を失ったのか、仕留めた獲物に牙を突き立てた。
骨が砕ける音がここまで聞こえ、そのまま咥えて持ち上げたかと思うと、巨大な翼を展開し助走をつけて飛び立っていった。
まるで嵐のような出来事だった。未だに何が起きたのか脳が理解しようとしてくれない。だが、残された血だまりがこれが現実であると強く訴えかけてくる。
「何だったんだ······今の?」
誰に向けた訳でもない問いに、一呼吸置いてゲレルが安堵の溜息交じりにこう答えた。
「ありゃぁ、天虎だ······」
その声に、いつもの野太さは無かった。




