第三話【苗植え】
収穫祭から三日。
収穫祭を開催したものの、今回の収穫だけで帝国に支払う税を全て賄えるわけではない。
そのため生活に余裕はなく、一晩の余韻に浸る暇も無く、新たな作物を空いた畑に植えなくてはならなかった。
固くなっていた土は、牛と馬に犂を引かせて耕し、既に畝は作ってある。
日当たりの良い場所に敷き詰められいる底の浅い木箱。その中には土が敷かれ、丈の低い苗が密集して生えていた。
並べられた箱は所々に隙間が開けられ、苗の種類ごとに区画分けされている。
木箱は次々と荷馬車に積み込まれ、それぞれの畑へと運ばれていく。
植える苗は、二種の玉葉と呼ばれるキャベツに似たというかそのままの野菜に、これまた全く同じ見た目である包菜と呼ばれる白菜。肉豆と言う名の大豆。それと元の世界での名前が変わらない蕪と大根、人参、玉葱の七種類。
なぜ、多種類の苗を一度に植えるのかというと、単一種だけの栽培では未成熟の時期に病気になった際、作物が全滅する恐れがある。というか全滅する。
それは全ての収入を失う事を意味する。そうなれば税金を納めることはできないし、それ以前に飢え死するのは確実。
だからこそ病気というリスクを分散するために、数種類の作物を同時に育てなくてはならないのだ。
つまり全てを失うくらいなら、効率など二の次なのである。
それもこれも全てある物が無いから。
「······あー、農薬が欲じいぃぃぃぃよぉぉぉぉ!」
「ひぃっ! 何ねカズヒサ? いきなりビックリすったい!」
隣で黙々と苗を植えていたチノが驚愕の声を上げる。
「ん? あぁ、願望が声に出てたか」
「願望って言うより渇望って感じやったばい。で、農薬って?」
チノは長時間曲げたままだった腰を叩きながら伸ばし、問いかけてくる。
「そう! そうなんだよ! 俺達に今足りないのは農薬なんだよ! 分かるか?の! う! や! く!」
「わ、わかったけん。いや、全然わかっとらんけど······そいで聞きよっちゃけん早う農薬って何か教えんしゃいさ」
「悪い、興奮してしまった。俺達は毎日、毎日、畑で野菜についた虫を取ってんだろ?」
「うん、鶏の餌になる芋虫に毛虫にバッタ、それに食べさせられん上にせっかく育ったもんば病気にするカメムシにアブラムシやったけ?」
「そうだ、臭くて触りたくないカメムシに、わざわざ刷毛で牛乳を塗って殺すアブラムシ。取っても、取っても、取っても、取っても、取っても、取っても! 湧き続けるあんの忌々しいクソ害虫どもを農薬さえあれば直接手を下さなくとも根絶やしにすることができる!」
「え、あのブヨブヨしとったり、カッチカチしとる気持ち悪か虫ば触らんで良かと?」
チノはキラキラした瞳で話に食い付く。
「おう、それどころか農薬を播けば虫が湧かない」
「すごか! そいぎ、そのすごかノウヤクっていうとは、どがんやって作っと?」
その問いに、俺は少し悩んで一つの答えに辿り着く。
「うーん、無理!」
「え?」
「だから無理なんだよ。それだけの効果がある農薬となると色々な化学薬品が必要になんだよな」
「か、カガクヤ・クヒン?」
立て続けに知らない言葉が出てくるため、チノは顔を顰めつつ問い直す。
「そう、化学薬品。自然の中には存在しない物で出来てるんだ。当然、今の俺達には作れないし、まず材料すら手に入ることはないんだよなぁ」
「えー、ここまで話とって結局作れんと?」
作業の手を止め、真剣に話を聞いて損したと言いたげな瞳をこちらに向けられる。
「まぁ、そう言うなって。ここまでの話を聞くと万能薬のように聞こえるだろ? だがな、そこまで強い効果のある薬を使うと、俺達の身体が病気になって死ぬこともあるんだぜ?」
「は?」
「そりゃそうだろ。虫が死ぬってことは、俺達も死ぬに決まってる」
目の前に居るチノの口がポカンと開けられる。
「い、意味わからん。そがん危なかとば使うぎいかんやろ?」
「まぁ、使わないに越したことはないんだけどな。仕事の負担は減らせるし、病気で作物が全滅してしまうよりマシだろって話だ。薬を飲み過ぎればそれが毒になるように、使う量さえ間違わなければ大丈夫だよ。俺が居た世界では、ほとんどの農家がお世話になってる」
「へえ、カズヒサのおった世界って便利かもんが沢山あったいねえ」
チノは一瞬関心した表情を見せたが、すぐにその目は細められてこちらに向けられる。
「でもここに無かもんの話ばしてもしょうがなかけん、早う手ば動かしんしゃいさ。いつまでたっても終わらんばい」
確かにチノの言う通りである。願望を口にして無い物ねだりする暇があるなら、さっさと手を動かすべきだ。
「それもそうだな······しゃーねぇ、続きやるかぁ······」
その時、脳裏にある言葉と光景がよぎる。
『たっく、最近の消費者はうっさかばい。農薬ば使うなって言うばってん、虫が付いとる野菜ば出すぎ怒るちゃっけんにゃあ』
黙々と、いや文字通りモクモクと煙を上げさせながら生木を燃やし続ける親父の背中だ。
(あ、これなら俺にも作れるか? 苗植えが終ったら作ってみっかなぁ······)
結局、苗植え付けが終ったのは夕刻に差し掛かった頃だった。
「あー、腹減った。さっさと帰って飯食いてえ······」
空になった苗箱を回収に来ている荷馬車に乗せていると、畑に放置されていたのであろう苗箱を山のように抱えたチノがこちらに近づいてきた。
「よう、お疲れさん。ったく、一度にそんなに持ってきたら重いだろ? 無理すんなって」
「そ、そうばってんさ、畑は広かっちゃけん一度で運べば何往復もせんで良かたいね」
チノから空箱を受け取り荷馬車に積み込む。他に放置された道具もなさそうなため、二人で荷馬車に乗り込んで帰る事にした。
手綱を振るい馬を歩かせる。
ずっとチノにやって貰っていたことが、少しずつ自分でもできるようになってきたなと思ったと同時に、チノも同じような事を口にした。
「カズヒサが手綱ば握っとるってさ、なんか変な感じやね」
「そ、そうか?」
「うん、だってカズヒサはうちの隣に座って本ば読みよるか、寝とるかのどっちかやったけんさ」
「いやいや、なるべく起きてたぞ。人聞き悪いやつだ」
それとなく抗議すると、チノはクスクスと笑う。
夕日に染まる畑の小麦は優しい風になびく。
「もう小麦も収穫できるな。明日、皆で収穫の準備するか」
「とうとう収穫できるったいね! うちはパンば早う食べたか!」
「はは、ほんとにチノは食い意地が張ってんな」
チノは俺の一言に頬を膨らませて即座に抗議する。
「べ、別に良かやん! すぐカズヒサはうちの事ば大食いって馬鹿にするばってん、生きることは食べる事と同じばい!」
「た、確かに······!」
妙な説得力とチノの気迫に圧倒されている自分が居た。
「でもパンかぁ、久しぶりにハンバーガーが食いてえなぁ。肉挿んで食うとパンが肉汁とソースをパンが吸って美味いんだぜ」
「はんばが? 何そい、うち食べた事なかばい!」
「小麦の製粉が終ったら作ってやるよ。パン作りは小学校の時に体験教室で作った事あるからさ」
「ショウガコウ? 大剣?」
チノはハッキリ言って知識に貪欲だ。知らない言葉が出てくると、必ず自分が理解するまで説明を求めてくる。
チノは勘が良いというより理解力が高い。それ故に一つの物ごとを説明していると、それに付随する事象に気がつき、芋づる式に説明する嵌めになる。
下手すると、小一時間程チノに説明しているというのも珍しくない。
もうすぐ飯にありつけるという時に、触れずに済む祟りに近寄る馬鹿は居ない。
「まぁ、その辺は深く考えなくて良い」
「あ! 今、説明が面倒くさかって思ったやろ!」
あっさりと図星を突いてきたチノに、思わず言葉を詰まらせる。
「うっ······あ、ほら、もう皆も着いてるみたいだな。それに飯の良い匂いもしてきたぜ」
「もう、誤魔化さんでよかやん」
「まぁ、待て待て。長くなりそうだから飯食ってから教えてやるよ。それに頑張って働いたんだ、チノも腹減ってんだろ?」
「まーたうちの事ば······」
その時、チノの腹から虫の鳴き声が聞こえてきた。
「飯が先で良いよな?」
「そ、そうやね······」
チノは恥ずかしそうにそう答えたのだった。
今日の夕食は肉と白芋の煮っ転がしだった。
そして結局······。
飯のあと滅茶苦茶せつめいした。




