第五話【狂戦士の斧】
真の名を取り戻し、呪縛から解き放たれた怪物がゆっくりと起き上がる。
それを目にした瞬間、バルサルクの呪縛に当てていた魔力が、その身に戻るのをウルスラは感じとった。
「すまぬっ······すまぬ、バル!」
こうしなければ互いの命は無かったと理解していても、ウルスラは後悔せずにはいられなかった。
二人で積み重ねてきた時間が、思い出が、願いが、脆くも音を立てて崩れ落ち、無へと帰していく。
そして、この闘技場で初めて目にした時の、奇声を上げ、笑みを浮かべて人を屠る怪物の姿が、立ち上がろうとしているバルサルクに重なった。
「ウガァァアァァァァアァァァァァァァァァッ!」
耳を劈く咆哮が、闘技場内を揺さぶるように轟く。
「ぐっ······」
それに相対するレオナルドは剣を構え、臨戦態勢に入る。
「よぉ、随分と久しいじゃねえか······チビ。ようやく、俺の呪縛を解いたようだなぁ?」
その声は、聞き慣れたバルサルクでありながら、バルサルクではない何かだった。
「けっ、まぁ良い······そういや、面白そうな奴が居たじゃねえか、寝起きの運動に丁度良さそうなのがよぉ」
何も答えないウルスラに興味が失せたのか、剣を構えているレオナルドの方へとバルサルクは視線を移す。
「先程までと身に纏う気が違うな······? 答えろ、貴様は何者だ?」
「あぁ? 何者だぁ? 決まってんだろ······俺は狂戦士だッ!」
バーサーカーは、高らかにそう名乗ると片手で巨大な盾を操り、側面を使った場ぎ払いを繰り出した。
レオナルドは、剣を使い受け流そうとしたが力任せの攻撃を受けきれず、大きく吹き飛ばされてしまう。
「ちぃっ、邪魔くせぇっ!」
バルは、身に纏う鎧を掴むと力任せに引っ張り、中に着ている鎖帷子ごとバチバチと音を立てさせながら引き千切った。
露になる肉体には、鍛え抜かれた筋肉が隆起している。
「へぇ、片膝すらつかねえたぁ、少しは楽しませてくれそうじゃねえか!」
「当然だ。帝国聖騎士たる者、この程度の力技で倒れる訳にはいかぬ······!」
バーサーカーはその返答に口角を釣り上げ、盾をレオナルドに向けて掲げた。
「そそられるぜぇ、お前······だったら、こいつならどうだ?」
片手で掲げられたまま、軽々と反転させられる大盾。
その次の瞬間、土の地面に鈍い音と衝撃が走った。
「何だ······そのふざけた戦斧は?」
レオナルドは、反転した盾の中から落ちてきた戦斧を見て驚愕の表情を見せる。
「あぁ? ふざけてなんかいねえよ。こいつで今からお前ぇの首をぶった切るんだからなぁ!」
「笑わせるな! そのような巨大な刃の両手斧が、その短い柄で使い物になるわけがないだろう!」
「使えねえか······フッ、フッハッハッハ! 何だお前ぇ、こいつにビビって忘れちまったのかぁ? 俺は、こいつが入った盾をぶん回してたんだぜぇ?」
バーサーカーはそう言って一頻り笑うと、付け加えるようにレオナルドに告げた。
「貧弱なお前ぇが何を勘違いしてるか知らねえがよぉ、斧ってのはなぁ······片手でブン回すもんだぜぇ!」
バーサーカーは左手に盾を持ち直し、右手で斧の柄を掴む。そして勢い良く持ち上げ、あまりにも巨大な戦斧の刃の切っ先をレオナルドに突きつけた。
「その首、貰ってやるからよぉ、さっさとかかってこい!」
そう宣言した次の瞬間、巨大な火柱が天を突いた。
「力技だけでこの我を倒せるなどと思い上がるとは、流石は怪物といったところか······貴様を放置しておくわけにはいかぬ。せめてもの情けとして、この炎で灰に還しててくれる······!」
「けっ、御託はいらねぇ! さっさとかかって来い! 早く、早く! 俺を楽しませろ!」
興奮し、半狂乱のバーサーカーにレオナルドが剣を構える。
「怪物め······参る!」
レオナルドは炎を剣に宿し、対象に向けて放った突き同時に一気に炎を放出させる。
迫り来る巨大な炎を前に、バーサーカーは満面の笑みを浮かべ、今にも飲み込まんとする大炎の方へと駆け出した。
「魔法かぁ! 面白れぇ!」
バーサーカーは戦斧を振りかぶり、それを扇のように炎を向けて振るった。
立ったひと振り。戦斧をたったひと振りしたことで発生した突風が炎の軌道を乱した。
「なにっ······!」
「どうしたぁ! もうネタ切れかぁっ?」
予想外の事態に、レオナルドの反応が一瞬遅れた。
得物との距離を詰めるには、その一瞬は十分すぎる物だった。
「貰うぜ首ィィィッ!」
バーサーカーは躊躇いなく、戦斧の薙ぎ払いをレオナルドの首に向けて放った。
その刃は正確に首を撫でる。しかし、その肉を斬る手ごたえはなく、レオナルドの身体は煙の如く虚空へと消えてしまう。
「罠か······!」
バーサーカーは振り返ること無く、本能的に左手を後ろへと伸ばし、その手に持つ盾で素早く背中を守った。
その刹那、盾に衝撃が走る。
すぐさま回転と共に、斧を振るうも後方に居たレオナルドも煙のように消えてしまう。
「獣が振るう刃が、この我に届くと思うな!」
レオナルドは炎を身に纏い、その姿を現す。
「そこに居やがったか······今のはそこそこ楽しめたぜ。まぁ、もう飽きたがな。次のネタはねえのか?」
「ふん、その程度を見て我が技を見切ったつもりとは笑わせてくれる······!」
レオナルドの周囲を炎が走る。
「ならば、この身を捉えてみせろ!」
レオナルドの姿が突然ブレ始め、幾重もの像に分裂し続ける。そして終にはバーサーカーの周囲を取り囲んでしまった。
「······」
「行くぞっ!」
その掛け声と同時に、分身達が一斉に襲い掛かった。
「ったく、そいつには······飽きたっつってんだろがぁぁ!」
バーサーカーは再び戦斧を振るい、その風を以て全ての分身を悉く破壊する。
「そこかぁっ!」
こちらへと迫りくる実体を見つけたバーサーカーは、斧を天へと掲げ一気に振り下ろした。
「何だ······っ!」
その斧は実体を捉えたはずだった。だが、振り下された刃は空を切り、地面を抉っている。
「貴様の瞳には我がそこに映っていたか······悪いが、ずらさせてもらった」
レオナルドは、炎を纏い赤熱した刃を構える。
「貴様の腸をこの剣で焼き尽くしてやる!」
放たれる鋭い突き。その刃は狂戦士の腹部を目がけて大気を焦がしながら突き進んでいく。
「ちぃっ······!」
しかし、その切っ先が肉を貫くことは無かった。
「なっ······!」
刃が止まったのは、目標からほんの僅かに手前だった。
互いに何が起きたのか分からぬ状況で、先に動き出したのは当然、狂戦士の方だった。
なぜ距離を見誤ったのか分からずに硬直しているレオナルドを、容赦なく盾で殴って吹き飛ばす。
受け身すら取れずに吹き飛ばされた身体は、何度も地面を跳ねて壁に激突した。粉砕された石の壁からは濃い土煙が舞い上がる。
「レオッ!」
貴賓席から、悲鳴と怒鳴り声が混じった声で騎士のものと思われる愛称が叫ばれる。
しかし、それに答える声は終ぞ返ってこなかった。
バーサーカーは戦斧を振るい強引に土煙を払う。
その中から現れたのは、壁に背を預けて項垂れる一人の騎士。
「ちっ、つまんねぇ······せめて、死んで俺を楽しませろっ!」
斧は高らかと天へと掲げられ、微塵の躊躇すら感じさせぬ一振りで、その首を斬り落としたのだった。




