第四話【狂戦士の目覚め】
物心が付いた頃には斧を振るい、獣も、人も殺していた。
相手が獣の日は気が楽だった。
あれを食べなくて済む。それだけで斧を握る手に震えが無くなるから。
殴って、叩きつけて、斬り裂いて、潰して、貫いて。それを繰り返すだけの毎日。
だが、それは唐突に終わりを迎えた。
その日は、迎えに来た主人の機嫌が良く、初めて甘い食べ物を与えてくれた。
斧を持たされて、いつものように明るい場所に出ると、そこには十数人の男達が立っていた。
これまで、二対一はたまにあった。だけどここまでの人数差は経験がない。何かの間違いだろうか?
首を傾げると同時に周囲からの歓声が消え、良く通る一人の男の声が響き渡った。
「さぁ、本日も盛り上がり最高潮の中で行われる最後の対戦はもちろん! 我がコロッセウムが誇る、伝説と名高い十二人の英傑剣闘士による怪物の討伐だぁぁぁ!」
一瞬の静寂。そしてすぐに空が割れてしまいそうなほどの歓声と雄叫びが轟いた。
「怪物狩りの称号を手に入れるのは誰だぁぁ! 今こそ、未来永劫に語り継がれる勝負の······始まりィィィ!」
男の金切り声を皮切りに、屈強な男達が一斉に武器を構えて吼える。
そこでようやく、先ほど聞き慣れない事を大声で話していた、男の言葉の意味を理解したのだった。
***
たくさん斬った。たくさん叩いた、たくさん殴った。たくさん······殺した。
だけど今日はいつもとは違った。
地面に倒れているのは敵ではなく、自分自身だったからだ。
地面に倒れるのが、こんなに楽で安心するものだとは知らなかった。
額から垂れた血が目に入り、視界が滲む。
起き上がろうと思えばできたかもしれない。だけど、地面に倒れている安らかさに立ち上がる気力を奪われてしまう。
倒れる俺の周囲を囲むのは、傷だらけでボロボロになった男達。
その中の一人が槍を高く掲げ、その切っ先をこちらへと向ける。
湧き上がる歓声。その勢いは刹那ごとに増していく。
そして、男は雄叫びと共にその腕を振り下ろす。
その時だった。
「噴き出せ、アクアベール!」
何が起きたのか理解できなかった。誰かの声が聞こえた次の瞬間、突然大量の水が周囲から噴出し、囲んでいた男達を一度に吹き飛ばしたのだ。
「氷結せよ、アイスウォール!」
その次の瞬間、すぐ横に現れた少女が掌で地面を叩き付けて、何やら甲高い声で叫ぶ。
すると、一瞬にして噴出し続けていた水の壁は、鈍い音を立てて氷の壁へと姿を変えた。
「ふぅ······どうやら、まだ生きておるようじゃな!」
状況を理解する前に、金髪の少女は笑顔で振り向き、声を掛けてきた。
「どうした、ボーとして? 妾の顔に何か付いておるのかの?」
「······」
「何じゃ、其方は言葉が苦手なのかの? まぁ良い、妾には言の葉の加護がある、心配せずに話してみるが良い」
喋ろうと思っても、思ったように言葉が出ない。だが、この口は勝手に喋り始めた。
「······オマエ······オデ ヲ······コロシ ニ キタ······ノカ?」
「妾が其方を殺す? ······ククッ、アッハッハ! それは誤解じゃ。妾は其方を救いに来たのだ」
楽しそうに笑う少女が喋る言葉は難しく、意味が理解できない俺は首を傾げる。
「······?」
「おぉ、すまぬな。其方は言葉が不得手であった。じゃが、単語ならば喋れるようじゃのう」
「妾は、其方を、助けに、来たのじゃ」
少女は、身振り手振りをつかいながら、言葉をゆっくり、細かく区切って話してくれた。
「······ヨカッタ······オデ······オマエ······コロシ······タク ナイ······」
金髪の少女は、そう答えた俺の傍に膝を付くと、髪を撫でてくれた。
その手はとても暖かく、どこか懐かしいような、胸の奥を締め付けるような感覚に陥る。
「其方、怪物と、呼ばれておる、そうじゃな?」
そう問いかけてきた少女の顔には、さっきまでの笑顔は無かった。
「······ミンナ オデ ヲ······カイブツ······ト ヨブ······」
そう答えた時、少女の顔がパっと笑顔に変わった。まるで安堵したかのような笑顔に。
「そうか、其方もか! 妾は、皆に······化物と呼ばれておる」
「······バケ······モノ?」
「そうじゃ、其方と同じように、妾も、人として、扱われてはおらぬ」
瞳から溢れそうになった涙を、少女は綺麗な服の袖で、そそくさと拭き取る。
「妾は······人になりたい······!」
両目を袖で拭い、顔を上げた少女。しかし、その青い瞳からは止め処なく涙が零れ、頬を走り続けていた。
「だから······其方に頼みがある。化物と呼ばれる妾に、怪物と呼ばれる其方を······一人の人間に変えるまで、育てさせてはくれぬだろうか? 妾が其方を育て、教育し、人と成れば、きっと妾も人となれるはずじゃ! ······そうであろう? なぜなら、化物に人を育てられるはずが無いのだから······!」
泣きながら必死に話す少女の言葉の意味は、半分も分からない。だけど、少女が自分を必要としてくれているのは理解できた。
誰かが自分を必要としてくれるなど、初めてのことだった。
「おこがましい願いであることも理解しておる。じゃが、どうかこの手を取って欲しい。妾が人であり、其方もまた人であるという······証明のために!」
少女は立ち上がり、倒れる俺の方に手を差し伸べる。
本能的にその手を取らねばならないと思った。
暗闇の中に差した一筋の光。
俺は、必死に光の方へと手を伸ばす。
光の先にあった小さな掌を握る。
それは不意に涙が出る程······暖かかった。
少女の壊れそうな掌を頼りに、ゆっくりと立ち上がる。
「深く感謝する。妾は其方が望むどんな願いであろうと、叶えてみせよう」
「オデ ノ ネガイ?」
「そうじゃ、何でも申してみよ」
「······オデ モウ······ヒト······コロ シ······タク······ナイ······ニク······クイ······タク······ナイ······!」
涙で滲む視界の中にいる少女が、首を傾げる。
「キズ ガ······ツイ テル······ンダ······オデ ガ······キッタ······キズ ガ······ニク ニ―――」
必死に少女に伝えようと言葉を紡いでいた時、少女がそれを遮った。
「もう良い! ······もう良い、十分じゃ」
全てを理解した少女は目を見開くと、華奢なその身体で、血で汚れたこの身体を強く抱きしめる
「辛かったであろう、苦しかったであろう、なぜ、ここから逃げ出さなかった!」
「ニゲ······レナイ······ワルイ コト······スル ト······ココ······イタ ク······ナル······ウゴ ケ······ナイ······」
胸を手で押さえる。すると少女は一目見て呟いた。
「呪縛か······この程度のものに縛られておったか······こんなもの、こうしてくれる!」
少女は五指を胸に突き立て、一気に腕を引いた。
すると、少女の掌には微かに光を発する、黒い靄が収まっていた。
「砕けよ!」
そう言って少女は黒い靄を握り潰すと、投げつけられた皿が割れるような音と共にそれは宙に消えてしまった。
「もう其方をここに縛る物は無い。じゃが、其方自身を縛るものが残っておるのう」
「オデ·····ヲ······シバ ル?」
「うむ······妾は、其方の戦い振りを客に紛れて見ておったが、其方は生きていくには不便な程に強いのう。何故、其方がそこまで強いか分かるか?」
「ワカ······ラナイ」
「それは加護じゃ。妾はこの身に多くの加護を宿しておる。その中に加護見の加護という物があるのじゃが、其方を見るに天性の物が二つ。自分で生み出した物が一つあるのう」
「ナニ······イッテ······ルカ······ワカ······ラナイ」
「おぉ、すまぬ。其方は狂戦士の加護と、殺戮の加護をその身に宿しておる。狂戦士の加護があることで、知性を代償に得た力で、戦いにその身を投じ続ける、怪物に成り下がるじゃろう。殺戮の加護にしてもそうじゃ。人を殺す度に其方は強くなってしまう」
「ヨク······ワカラ······ナイ······オデ ハ······ドウ······スレ バ······イイ?」
「そなたに狂戦士の加護がある限り、人には成れぬ。それに、一度身に宿した加護を消し去ることは不可能じゃ······じゃが、加護は縛ることができる」
「シバ······ル?」
「うむ、其方をここに縛り付け苦しめていた方法と変わらぬ······呪縛じゃよ。それも、名を奪わねばらならぬ程、強力な呪縛じゃ」
少女は、恨めしそうな表情で自分の掌を睨みつける。
「ソレ······デ······イイ」
「しかし、呪縛によって其方を苦しめることになるやも知れぬのじゃぞ?」
「イイ······オデ ハ······オマエ ト······ヒト ニ······ナリ······タイ」
「妾を恨んで構わぬ······其方、名前は何と言うのじゃ?」
「ナマエ······?」
「そうじゃ、其方は怪物と呼ばれる他に、何と呼ばれておる?」
「······バーサーカー」
自分の名前を口にした時、少女はとても悲しそうな表情へと変わってしまう。
「狂戦士······皮肉な名を与えられたものじゃな。妾の名はウルスラ、其方を人にする者の名じゃ」
「ウル······スラ?」
「うむ。それで良い。やはり、名を呼ばれるのは嬉しいのう······」
ウルスラの瞳には涙が溜まりかけたが、雫が零れ落ちる事は無かった。
「其方の名を妾が奪い、良き名を与えてやろう。少しでも賢き人と成れるように······願いを込めて······」
少女の掌が胸に当てられる。
「狂戦士、其方の真名を奪い、新たな名を与え、我が力の半分を贄とする事で呪縛とする······これから其方の名は○○○○・―――」
その時、視界が突如暗転し、名を叫ぶ声が頭に響き渡った。
「狂戦士!」
それはあの日の少女の声ではなく、主の悲痛の叫び声だった。
そして全てを理解した。これは忘れたくない昔の夢なのだと。
そしてもう、愛おしい主人を抱き締める事すら叶わぬということを。




