前編
私は公爵令嬢のリディア・エヴァンス。
なぜか、ある日突然、前世の記憶が蘇った。
前世では仕事漬けの会社員で、最後は過労で人生を終えたの。
そして生まれ変わった先は、前世で遊んだ乙女ゲームの世界。
しかも私は、本来なら王太子から婚約を破棄され、野垂れ死ぬはずの悪役令嬢だった。
……はずなんだけど。
野垂れ死には嫌だとばかりに必死に足掻いた結果、なぜかその王太子アルベルトと結婚しちゃった。
しかもこの夫。
外見はもろ好みのど真ん中。
だけど中身は私と同じ転生者で、前世は新進気鋭のベンチャー企業を立ち上げた敏腕CEOだったわけ。
私の第二の人生、いったいどうなってるんだ。
もし神様が目の前にいたら、正座させてこんこんと問い詰めてやりたい。
そんな私たちが結婚して、半年。
私はようやく、一つの重要な事実を理解し始めていた。
王太子妃という仕事は、思っていたよりずっと忙しい。
違うわね。正確には王太子妃だから忙しいんじゃないわ。
夫が次から次へと仕事を見つけてくれるのよ。
しかも、私のこと見透かしてるかのように、面白そうな仕事ばかり。
悔しいことに、これがまた仕事中毒の琴線に触れるのよ。
ほんと、ムカつく。
「リディア」
ほら、また来た。
王城の執務室で仕事をしていた私は、手元の書類から顔を上げた。
銀色の髪をきれいに整えた夫――アルベルトが、部屋に入ってくるなり、こちらへ一枚の紙を差し出した。
確か国王陛下に呼ばれていたはずなんだけど、いつものごとく浮かべているにこにことした笑顔がかえってうさん臭いのよ。
「何でしょう」
「隣国から支援要請が来た」
嫌な予感しかしない。
「財政支援ですか。拝見しても?」
「もちろんだ」
差し出された紙を受け取り、目を通す。
北東に国境を接するゼールラント王国。
国土の大半を山岳地帯が占める小国で、人口は我が国の五分の一ほど。
農業にはあまり向かないが、美しい山々の景色を売りにした観光業が盛んで、金属加工や精密機械にも優れている。
中でも時計は、王侯貴族の間で名品として知られていた。
そのゼールラント王国が、財政危機に陥っているらしい。
要請されている金額を見て、私は眉をひそめた。
「結構な額ですね」
「だろ?」
「一時的な資金繰りという数字ではありませんね」
「リディアもそう思うか。俺も同じことを思った」
うっ、嫌な言葉を聞いてしまった。
前世でも散々聞いたわ。
上司が「俺もそう思った」と言った時、大抵その次に来るのはろくでもない追加業務のお約束がついてまわる。
「それで?」
警戒しながら尋ねる。
一瞬、アルベルトの目がわずかに細められ、不敵に光った。
……気がする。
「父上がすべてお前に任せる、と」
「……あ・な・た、にですよね?」
ちゃんとわかるように、ゆっくり丁寧に言い聞かせてやった。
「俺たちに」
……が、増えた。
一人増えやがりましたよ。
誰が追加しろといった?
「で、そもそも陛下は何とおっしゃっていたのよ?」
「お前、こういうの得意だろう。全部任せるから見ておけ、とか言ってな」
「それだけですか?」
「それだけだな」
国王陛下。
隣国の財政危機ですよ?
もう少しこう、国際情勢とか外交関係とか、いろいろありません?
私は両肘を机につき、頭を抱えるようにして、しばらくこめかみを揉んだ。
はあ、頭が痛いわ。
「それだけのはずないでしょう? ほかにもいろいろと言ってるはずでしょうが」
「ほかにつってもなあ、『まとまったら持ってこい。問題なければサインしてやる』、ぐらいだぞ」
アルベルトはいつの間にやら、自分の席に戻って背もたれに深く背を預けていた。
「……ずいぶん信頼されていますね」
「便利に使われてるだけじゃないか?」
それをあなたが言いますか。
私は何度、同じことをあなたにされたと思っているんですか。
「リディア、前世の会社じゃ資金援助案件やったことないって言ってただろ? 興味ない?」
飄々と言ってくるアルベルトに対し、話を覚えてくれてたことに対するうれしさ半分、悔しさ半分。
……そういうところが、ほんとずるい夫よね。
とはいえ、隣国が本当に財政破綻寸前なら、放っておくわけにもいかない。
国境を接する国が混乱すれば、難民も出るし、交易にも影響が出る。
場合によっては治安まで悪化する。
仕方なく、彼の席に向かって歩み寄った。
「どうせ詳しい資料、もうあるんでしょ。ちょっと見せてください」
「さすが」
「褒めても何も出ませんからね」
「出るだろ。意見が」
「そういうところですよ。まったく」
◇
――三時間後。
私たちは二人揃って黙り込んでいた。
机の上には、ゼールラント王国から提出された財政資料と、我が国の商務省がまとめた交易統計が広がっている。
「……おかしくないですか?」
「やっぱり、そう思うか」
数字だけを見れば、確かにひどい。
税収は落ちているにも関わらず、王室の歳費は高い。
国債に相当する借入金も増え続け、ここ数年は歳入のかなりの割合が利払いに消えている。
典型的な財政難。
ただ、それだけなら分かる。
分からないのは、その一方で存在している産業だった。
「観光業は良くも悪くも安定しているな。加えて精密加工品の品質評価は非常に高い」
「ゼールラントの時計は特に有名ですものね。貴族の皆さんはたいてい一つはお持ちですよね」
「測量器や医療器具なども作っているな。しかも精度も高くてどれも評判は悪くない」
「意外だったんですけど、鉱山もありますね」
「そうだね、鉄も銅も出ている」
「なのに、産業規模の割には輸出額が妙に小さい」
二人同時に止まった。
アルベルトが顔を上げる。
私も同じところを見ていた。
彼は目を閉じ、祈るように両手を合わせると、指先を唇に当てた。
結婚後に知った、深く考えているときの癖だった。
「そもそも、生産キャパが足りてないとかか?」
「いえ。それなら、この工房の数と職人数は説明がつきません」
「そうだよな。それだけの人数抱えててキャパ不足ってのもおかしい。じゃあ、国内マーケットだけで吸収してるってことは?」
「こんな小国で全部消費できるマーケットじゃないですよ。それにそもそも庶民には手が出ません」
「じゃあ、どこに消えてる?」
私は交易統計を一枚めくった。
答えは、どこにも消えていない、だった。
そもそも売っていないのだ。
「……ちょっと待ってください」
私は交易統計の細目が書いてあるページで、時計の項目をたどった。
輸出額そのものは、決して大きくはないが、全体に占める割合を見ても、主要産業と胸を張って言える額だ。
けれど、その横に記された輸出個数を見て、思わず眉を寄せる。
「何これ。数、少なっ」
「……やっぱり、そこだよな。輸出額の割合だけ見れば、それなりにある。なのに数が出てない」
「ということは……」
私は輸出額を個数で割るように、ざっと頭の中で計算した。
たっか。高すぎるでしょ。
「これ、ほとんど超高級品しか売ってません?」
そこでようやくアルベルトが目を開いた。
「ハイエンドに寄せすぎてるな」
「寄せすぎっていうか、ハイエンドしかないんじゃないです?」
「それなら価格帯のポートフォリオが完全におかしい。生産量そのものは、高級品だということを差し引いても、それなりにある。なのに国外へ出てる数が少なすぎる。統計をごまかしてない限りはな。だったら、単純に需要が一巡して売れなくなった、ってわけでもなさそうだ」
ゼールラントの時計は、我が国でもとても有名だ。
けれど、それはあくまで王侯貴族の間だけでの話。
……いや、待って。
貴族ならたいてい一つは持っているものだと、何となく思っていたけれど、そういえば私が社交の場で見かけた時計を持っていたのは、皆、裕福な上級貴族ばかりだった。
金や宝石でこれでもかと飾られた、いかにも「お高いです」と全身で主張しているような時計ばかり。
一方、下級貴族などは「いつかはゼールラントの時計を」と話しているのを何度も聞いたことがある。
だとすれば、アルベルトの言う通り、需要そのものがなくなったわけではない。
欲しい人は、まだいるのだ。
なのに、数が出ていない。
「……もしかして」
私は別の品目にも目を走らせた。
測量器や医療器具。どれも同じで、品質評価は高く、また、単価も高い。
なのに、数が出ていない。
「もしかして、売れないんじゃなくて、国外には超高級品しか出してないってこと? 出さない、出せない、どっちなの?」
「販売チャネルにボトルネックがある可能性もあるな」
「それか、そもそもの商品ラインナップがおかしいという可能性もありますよね」
アルベルトと目が合った。やばい。
「現地へ行こう」
アルベルトが言った。
予想はしていた。
予想していたけれど、こういうときの決断の速さときたら。
尊敬よりも先に、振り回されるこっちの身にもなってほしいと切実に願う私は悪くないと思うの。
「……やっぱりそうなります?」
「数字だけじゃボトルネックを特定できん」
「ですよね~」
私も否定はできない。
むしろ前世の私だって、自分から現場を見たいと言って、無理やりにでも出張を認めさせているところだ。
こういうところが本当に嫌になる。
私は逃げようとしていた元ワーカーホリックなのだ。
なのに今、仕事が面白くなってきている。
全然治ってないどころか、悪くなっていることに思わず天を仰いだ。
◇
ゼールラント王国の王都は、山の斜面に沿うように広がっていた。
石造りの建物が段々畑のように斜面へ連なり、その間を縫う細い道の脇には、春先だというのにまだ結構雪が残っている。
遠くには白く雪をかぶった山々が幾重にも連なり、青い空との境をくっきりと描いていた。
窓を少し開けると、冷たい空気が馬車の中へ一気に流れ込んでくる。
「寒っ」
思わず肩をすくめ、すぐに窓を半分ほど閉めた。
標高が高いせいもあるのだろう。
我が国ならもうずいぶん春らしくなっている時期なのに、こちらではまだ冬の名残がそこかしこに残っている。
けれど、街そのものは意外なほど活気があった。
通りには荷車が行き交い、店先では商人たちが声を張り上げている。
山の斜面を利用して建てられた工房の前では、煤で汚れた職人らしい男たちが資材を運び込み、その奥から絶え間なく槌を打つ音が響いていた。
馬車が職人街へ入ると、今度は金属を削る独特の匂いまで漂ってくる。
私は窓越しにその様子を眺めながら、首をかしげた。
「思っていたより元気ですね」
「そのようだな。思ったより沈んでない。活力がある」
隣に座るアルベルトも、窓の外へ視線を向けていた。
財政危機と聞いて、もっと街全体が沈んでいるのかと思っていた。
けれど、人は精力的に働いている。
店も開いているし、工房からは絶えず槌の音が聞こえてくる。
国の財布は火の車なのに、産業そのものが死んでいるようには見えない。
……やっぱり、何かおかしい。
などと考えていたはずなのに。
窓枠に肘を乗せて外を鋭く眺める姿がまた、絵になっててうっかり見とれてしまいそうで怖いわ。
そうだ、時計作れるくらいなんだから、カメラも作れないかしら。
聞いたら、アルベルトに怒られるかな。
でも、旦那の写真撮りたいじゃない――
「キャッ?!」
別なことに気を取られていたせいなのか、馬車が段差にでも乗り上げたのか急に揺れて、思わず悲鳴を上をげちゃったわ。
座席から転がり落ちそうになるし。
くそぅ。
アルベルトめ、目線だけこっちによこして、恥ずかしい奴とでも思ってるわね。
あの目は絶対笑っているわ。
後でとっちめてやる。
「大丈夫ですか?」
向かいから声がして、私は視線を戻した。
今回、私たちの案内役を任されたゼールラント王家の第五王子、エミール殿下だった。
年齢は二十代前半。
四人も兄がいるからなのか、王族という肩書から想像していたような華美な雰囲気はあまりない。
衣服も仕立てこそ良いものの装飾は控えめで、こちらへ同行してからも、王族らしくふんぞり返る様子は一度もなかった。
むしろ先ほどから、馬車が工房の前を通るたびに窓の外へ目を向けている。
「この辺りは昔から金属加工の工房が多い地域です。あちらは主に精密歯車を作っています。その隣が時計のケース加工ですね」
「詳しいですね」
何気なく言うと、エミール殿下は少しだけ困ったように笑った。
「昔から、この辺りにはよく来ていますので」
馬車が角を曲がると、今度は殿下が窓の外を指した。
「この先の工房ですが、三年前に旋盤を入れ替えています。その際、国へ設備更新の補助金を申請したのですが、結局認められませんでした」
……妙に詳しいわね。
アルベルトも同じことを思ったらしく、わずかに眉を上げた。
「理由は?」
窓枠に肘をついたままって、なんでそんなにあんたは偉そうなのよ。
相手も王族よ、王族。
対等でしょうが。
「既存工房の設備更新は、産業振興の対象外だと」
エミール殿下も、素直に答えないでよ。
なに? 思わず従っちゃうオーラでもあるというのかしら。
わからなくもないけどさ。
「新規事業だけが、産業振興の対象というのか?」
「はい」
「なんで?」
「さあ? 実は私にも分かりません。そこら辺のことは兄の管轄でして。私には口を出す権限がありませんので」
エミール殿下が苦笑する。
その笑い方には、初めて聞いた話を説明しているというより、何度も同じ壁にぶつかって、もう呆れるしかなくなった人間の色がわずかに混じっていた。
あ。この人。たぶん苦労してる。
何となく分かる。
前世にもいた。
現場の問題はちゃんと見えているし、何を直せばいいかも分かっている。
なのに上が聞いてくれなくて、気づけば説明することそのものに疲れ始めている中間管理職。
この人、私とおんなじ社畜の臭いがするのよねえ。
……王子なんだけど。
◇
案内された時計工房の看板には、『レロックス』と書いてあった。
何も言うまい。
で、私は工房に足を踏み入れて、しばらく言葉を失った。
別な国の貴族に売る予定の商品を特別に見せてもらったのだが、金のケースに、技巧を凝らした細かな彫金。
文字盤には宝石が埋め込まれ、蓋には貴族家の紋章まで彫られている。
確かに、美しい。
前世ではただの庶民だった私にだって分かる。
間違いなく芸術性は高い。
一級のアートだよ、これは。
加えて中身もすごい。
小さな歯車が複雑に組み合わされ、手のひらに収まるほどの機械が正確に時を刻んでいる。
前世の元彼が沼にはまってた機械式時計を思い出した。
機能美というのだろう。
工芸品としても一級品で、男の人はこういうの好きだよねえ。
「元彼もこういうの好きだったなあ……」
ぽろっと口から出た。
……あ。
しまった。
恐る恐る顔を上げる。
アルベルトが笑顔でこっちを見ていた。
怖っ。
絶対聞こえてただろ。目が笑ってねえよ。
「……何ですか」
「いや?」
「いや、じゃないでしょう。その顔」
「何のことだ?」
しらばっくれやがった。
絶対聞いてた。
しかも絶対気にしてる。
だったら聞けばいいのに、アルベルトは何事もなかったように手元の時計へ視線を戻した。
「ちなみに、これのリードタイムは?」
工房主がきょとんとした。
「……りーど、たいむ?」
「ああ、すまない」
アルベルトが一瞬だけ私を見る。
「注文を受けてから完成するまで、どれくらいかかる?」
「こちらの品ですと、およそ三か月ほどでございます。装飾の多い品になりますと、半年以上かかることも」
「なるほど。工程は分業か?」
今度は工房主が完全に困った顔をした。
「つまり、最初から最後まで、この工房だけで作っているのか?」
「いいえ。歯車やぜんまいは、それぞれ専門の工房から仕入れております。当工房では組み立てと調整、それに外装の仕上げを」
「なるほど」
横で聞きながら、私は少しだけ笑いそうになった。
さっきまで元彼の一言にあんな顔してたくせに、もう完全に仕事の顔してる。
切り替え早すぎない?
それに、二人だけの時は、ハイエンドだのポートフォリオだのと好き勝手言っていたくせに、ちゃんと通じる言葉に直してる。
こういうところだけは、さすが元CEOよね。
本人に言ったら絶対調子に乗るから、言わないけど。
「誤差は?」
アルベルトがさらに興味深そうに質問を続ける。
よかった。すっかり機嫌が直ってるみたい。
あとで蒸し返されたらどうしようかと思って気が気じゃなかったから、ほっとした。
「こちらでございましたら、一日に十秒とずれません」
老職人が胸を張って答えると、アルベルトの目が光った。
まずい。分かる。
これ、完全に前世の社長モードだ。
「これ、ケースを真鍮に変えたらどうなんだ?」
「……はい?」
工房の空気が止まった。
老職人の顔が引きつる。
アルベルトは気にしない。
「宝石もいらない。彫金も最低限にする――」
「アルベルト様?」
「文字盤も簡素でいい。機構はそのまま」
「おーい。アルベルト殿下」
私は慌てて袖を引いて止めようとしたが、もう遅かった。
老職人は明らかに不機嫌になっている。
「恐れながら殿下。我々の時計は、ゼールラント二百年の伝統を受け継ぐ品でございます」
「そうだな」
「王侯貴族にお持ちいただくためのものとして、全身全霊をもって製作しておりますれば」
「それは十分に分かった」
アルベルトは時計を裏返し、また中を見た。
「だから、その高級品はそのまま作り続けてほしい」
「……は?」
「これはこれで売る。むしろもっと高くてもいいくらいだ」
老職人が驚きを隠せない様子で何度か瞬きをした。
私もしちゃったよ。
そっち?
「俺が言ってるのは、別の商品案の話だ」
アルベルトが職人に敬意を示すかのように、丁重に時計を台の上に戻した。
こういう、そつのないところが、憎めないのよねえ。
「この見事な機構を使いつつ、装飾を減らす。ケースの材質を変え、部品も可能な限り共通化する。そうすれば値段はかなり落とせるだろ?」
老職人は言ってる意味は分かっているのだろうけど、困惑したままだ。
ゴールが何かがわからないのだろう。
「しかし、そのような美しさのかけらもないものを誰が……」
「商人」
アルベルトが指を一本立てた。
「船長。医者。工場の責任者。軍人。役人。時間を正確に知る必要のある人間はいくらでもいる」
また一本と、次々と指を立てていった。
「高級品を買える人間だけに売って、他の客を全部捨てる理由がない」
老職人は黙り込んだ。
なるほど。
この人、ただ安い時計を作ろうとしてるんじゃない。
時計という商品の価値そのものを、リフレーミングしようとしてるんだ。
王侯貴族が身につける高級な装飾品から、時間を正確に知る必要がある人間のための実用品へ。
そのうえで、今まで顧客として数えてすらいなかった層に、新しいマーケットを作ろうとしている。
ハイエンドは残す。
その下に、まったく別のミドルレンジやローエンドなどの価格帯と用途を作る。
ブランドを壊さず、顧客だけを増やすつもりなのね。
横を見る。
エミール殿下は、まるで地上に降り立った戦神でも眺めるかのように、恍惚とした目をしていた。
あちゃ~
完全に魅せられてるわね
一人、信者が増えた気がする。
私はというと、嫌な予感がした。
いや、もう予感じゃないわね。
すでに、始まっているのか……。
◇
調べれば調べるほど、ひどかった。
時計の輸出には王室の許可がいる。
国外で販売できる商会も限定されている。
価格は王室認可商会が事実上決めている。
廉価な時計を作ろうとすると、
「ゼールラント時計の格式を損なう」
として王族の息のかかった職人組合から認可が下りない。
しかも王家は、その仕組みを「伝統の保護」と呼んでいた。
そして程度の差こそあれ、時計以外の工業品も基本的には同じだった。
私は書類を机に置いた。
「……ゼールラント、自分で自分の首絞めてませんか?」
「間違いなく、絞めてるな」
宿舎として用意された迎賓館。
アルベルトはソファに深く座ったまま、先ほどから資料を読み続けている。
資料の出どころは、やけに張り切りだしたエミール王子だ。
これ、国家機密じゃないのと疑いたくなるような微妙なデータもあっさり出てきた。
「王室御用商会の手数料、これ何です?」
「高いな」
「高いどころじゃありませんよ。輸出価格の二割持っていってます」
「そのうえ許可税やら国境通過税などなど、びっくりするくらいの集金システムですね」
「これじゃ、売れるもんも売れるわけないだろな」
アルベルトが鼻で笑って、新たな資料を開いた。
ですよね。
尊大な態度はどうかと思うけど、冷笑したい気持ちはよくわかる。
私は別の資料を手に取って読み始める。
「しかも工房への設備投資支援は、ほとんどありませんね」
「王宮改修にはふんだんに金を使ってるけどな」
「今年だけで三回ですね」
「何をそんなに改修するんだ?」
知りませんよ。
壁でも毎月塗り直してるんですかね。
そこへ、同席していたエミール殿下が少し言いにくそうに口を開いた。
「父は……我が国の時計産業は今も世界一だと考えております」
「わかってます。間違いなく技術は一流ですよ。疑いようがありません」
私が答える。
これは本当だ。
「ただ、売り方がちょっと……」
エミール殿下を傷つけないように慎重に言葉を選んだ。
だけど、アルベルトは選ばなかった。
おいっ。
「最悪だな。クソみたいに利益を吸い上げる仕組みに、現場を見ない経営陣。これじゃ潰れるに決まってる」
「……アルベルト様、もうちょっと言葉を選んでください」
いやいや、エミール殿下の目の前だからね?
下手したら王族への侮辱だから、それ。
思わずたしなめる。
だが、ちらりと殿下を横目で見ると、なぜか、うんうんと深く頷いていた。
……信者こわっ。
そして、エミール殿下は、少し困ったように苦笑した。
「否定はできません」
アルベルトが資料を閉じて、ぞんざいにテーブルの上に放り投げた。
「援助しても駄目だ。構造そのものを根本的なところから立て直さないと意味がない」
私は黙るしかなかった。
アルベルトと全く同じ結論だったからだ。
仮に今回、我が国が資金を貸したとしても。
王家が今の体制を続ける限り、数年後にはまた同じことになる。
援助した資金は確実に帰ってこないのも火を見るよりも明らかだ。
「産業構造自体が悪いわけじゃない。だが、それを支える運営の仕組みを変えないとな」
「はい、その通りですね。」
「流通」
「はい」
「税制」
「はい」
「王家」
「は……い??」
一瞬止まった。
畳みかけてくるから思わず返事しちゃったじゃないの。
「ちょっと待ってください。……今、何て言いました?」
「王家」
「いやいや、そこだけ規模がおかしくないですか?」
アルベルトは当然のように私を見た。
「経営者が問題なのは分かってんだろ? 一族経営の悪い部分が出た典型例じゃないか」
「国が、です。会社じゃありませんよ」
「分かってる」
「本当に?」
ものすごく怪しい。
胡乱な目を向けてみせるが、一瞥するだけでさらりとかわし、アルベルトは机の上にあった地図を広げた。
今、私のことも鼻で笑ったよね?
私のことなど眼中にないのかアルベルトが地図上を指でなぞった。
我が国とゼールラント王国との間に、長い国境線が一本走っている。
「金を貸すより、こっちで引き受けた方が早いだろ。というか、じゃないと金をどぶに捨てるだけだぞ」
「…………」
「債務を整理する。王室の権限を外す。行政と税制を統合。産業規制を撤廃して――」
「待ってください」
「何だ?」
「今、さらっとものとんでもないこと言ってますよね。自覚あります?」
「そうか?」
クッ。すっとぼけやがって。
「それ、実際のところ中身は国の統合ですよね?」
「まあな」
「財政支援の検討をするために現地調査に来たんじゃなかったんですかね?」
「ああ、そうだな。リディアの認識は間違ってないぞ」
「だから、どうしてそうなるんですか!」
アルベルトは腕を組んで少し考えた後に、まじめな顔してさらりと言ってのけた。
「その方が合理的だから?」
疑問形にするな。
あんた、確信持って言ってるだろ。
そのにやけ面に、無性に顔面パンチを浴びせたくなった。
まあ、できないけど。
「下手したら国家侵略を疑われますよ? M&Aじゃありませんからね!?」
食って掛かる私の態度がツボに入ったのか、アルベルトが声を出して笑った。
「似たようなものだろ」
「国民を社員みたいに数えないでください!」
私は頭を抱えた。
エミール殿下は何も聞いてませんというかのように、窓の外を眺めて、「春が近いな」などと言ってるし。
国王陛下。
あなたが息子に丸投げした案件。
なんかもう、国境線が危ないです。
侵略者の汚名は甘んじて着てください。
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