(1) 「ロゼ」
「死」は、すべての終わりなのだろうか?
たとえ、残された時間がわずかだとしても──
限りある時のなかで、己が信じるものを守るため。
命のこたえを探すものよ、歩み続けるのだ。
その魂が、青に還るまで──。
序章-プロローグ
1.「ロゼ」
2010年3月19日 午前
ただの好奇心だった。親があそこは変な感じがするから近づくなと言っていたから、ずっと気になっていたんだ。
……ただ、それだけだった。
(これが例の小屋……)
(今なら行ける……確か番号は……)
震えた指を動かし、慣れない手付きで操作する。
魔法式ロックが解除され、扉の鍵が外れた。
行けた……!本当に行けた!
高鳴る鼓動を抑えながら、部屋の中へ踏み込んだ。
部屋には窓がなく薄暗い。家具はあまりなく、あるのは本棚くらいだ。思ったより普通の部屋でなんだか拍子抜けした。
私は部屋の中を探索していく。
荒れた様子もなく、クモの巣があるとか埃まみれだとか、そういうことはなかった。親がこの部屋に入っているところを見たことはないが、定期的に掃除しているのだろうか?
きょろきょろと辺りを見回していた、その時だった。
突如、何もないところから光が溢れ、何かを形作っていく。
(な、なに……!?)
戸惑う私を無視して光はあっという間にひとつの扉の形を作り出し、勝手に開いていった。
(どっどうしよう……入っていいのかな……? そもそも入れるのかな……?)
躊躇いながらも、吸い寄せられるように扉へ一歩踏み出した。
扉が私を呼んでいる——そんな気がした。
扉をくぐると、すぐに辺りは光に包まれ、反射的に目を瞑った。
(あ──)
鳥のさえずり。そよそよと吹く風。そして目を開けると、静かに揺れる木々や草花。あたたかくて柔らかい太陽の光。
(──すごい)
すべてが気持ちよく、心地よい。
窓の外から見える風景や、家族と出かける時の景色とは、全く違う。新鮮で、輝いていて、とても綺麗だ。
さて、これからどうする?適当に探索してもいい。そう、何をしてもいい!
……ここがどこなのか、どうして扉の先がここに繋がっているのか、何もわからないけれど。
私は自由だ! 一人の世界なんだ!
込み上げる歓喜を胸に、早速周囲を探索し始めた。
右を見ても左を見ても、見慣れない景色しかない。
(楽しい……!)
外をあまり知らない私にとっては、ここにあるもの全てが興味関心を引くものだった。
探索していると、ふとあるものが目に入った。
(青い…花……?)
青くて綺麗な花が、ぽつんと咲いている。
青と……花の中心にほんのりと白色が入っている。特に理由はないのに、なぜか私はその花に惹かれてしまった。
しゃがみこんでよく観察してみる。近くで見るとより綺麗だ。この花はもっとどこかに咲いていないのだろうか?
きょろきょろと辺りを見渡す。すると、草むらの奥にある木々の隙間から、何かを感じた。
(この先に……何かある?)
迷うことなく草を掻き分け、木々の隙間を抜けていく。
(ひい……思ったより深いな……)
やっと草むらから抜けると、桜の並木道が私を迎えた。花びらがひらひらと舞って美しい。……そうか、もうこんな季節か。
並木道を抜けると、今度はさっきのような木や道など何もない、広大な草原に出た。
視界に、さっき見た青い花が映った。進むほど、どんどん増えてくる。やがて辺り一面がその花で埋め尽くされていった。
(なんだろう、この花……幻想的で綺麗……)
更に少し遠くに、大きな桜の樹が一本、強い存在感を放ち立っていた。
やさしい風に吹かれて、青い花と桜の2つの花びらが宙を舞っていく。
(……きれい……)
青と桃色の組み合わせは非常に似合うことを知った。2色で埋め尽くされた空間は、楽園のようだった。
なんとなく樹の幹に触って、目を閉じ、耳を澄ませ……大自然を満喫する。
(今日からここは、私だけの秘密の花園……なんちゃって。それにしても、こんなに綺麗なところがあったなんて……どうしてもっと早くあの小屋を調べなかったんだろう、私!)
私だけの……。でも、ここで鬼ごっこしたら楽しそうだな。する人いないけど……。
風と一緒にかけっこしようか……。
私は、花を踏みつぶさないようにゆっくりと走り出した。
頬を通り抜ける風が気持ちいい。風も草も、花も樹も、全部私の友達だ。自然と一体化してるみたい。
心の中で鼻歌を歌いながら走っていると、目の前を何かが通り過ぎたような気がした。
足を止めて、通り過ぎた先を振り返る。
(青い……蝶だ。珍しいな)
普段見かける蝶は、だいたい白か黄色だった。だから、それ以外の色の蝶はほとんど見たことがない。
……いや、それだけじゃない。何故かはわからないけど、この蝶がとても気になって。気のせいだろうか、蝶自体がぼんやりと光っているように見える。それによく見ると、蝶が光を零している気もする。
もっと近くで見たい。私はやや急ぎ気味で走り出した。
……しかし、情けないことに追っている途中でこけてしまった。
(あっ……)
何もないところでこけてしまう私はなんてどんくさいのだろう。
(いてて……)
思ったより痛い。普段外に出ることが少ない分、ケガの経験も少ないからだ。擦った時の痛みをよく知らない。
上半身を起こす。あの蝶はもういなかった。次に手足の状態を確認する。幸いにも出血はしていなかった。やわらかい草がクッションになってくれていたのか。
(立ち上がらないと……)
そう思っているのに、小さな痛みは過度に感じて、何故か体が動かない。
(誰もいないのかな……)
あれ……私────
「大丈夫?」
ふいに声が聞こえて、私ははっとした。
顔を上げると、目の前に男の子がいた。
……優しく微笑んでいた。
青みがかった白銀の髪に、宝石のように綺麗で、泉のように透き通る青い眼……。
その瞳には、どこか陰りを落としていた。
色白の肌。白いワイシャツ。襟のところで結ばれた黒いリボン。黒いフードつきの上着。ぱっと見の彼の印象は白、青、黒だった。この3つの色は、彼にとてもよく似合うと思った。
(綺麗な顔……。)
彼の容姿、表情……全てが儚くて、なんだか目を離したら今にも消えてしまいそうだった。
私は、彼を見た瞬間に……。
その子はこちらに手を伸ばした。
(ぁ──)
聞こえるか聞こえないか程度の声しか出なかった。
私は、無意識にその手を掴んだ。
ゆっくりと立ち上がり、改めて間近で彼の顔を見る。
(やっぱり……すっごくかっこいい……)
──じゃなくて!!
私は想像の中で頭をぶんぶんと激しく振った。
「怪我はない?」
透き通るように綺麗な声で、彼は言う。
「あっ……う、うん……! 大丈夫……ちょっと擦っただけだよ! ありがとうっ、」
緊張してうまく話せない。
「そっか、よかった。……あ、でもここ……」
彼は私の膝にそっと手をかざした。
「……?」
彼の手の平に、柔らかな水色の光が集まっていく。
「はい、これで大丈夫だよ。」
気付いたら、さっきまであった擦り傷が全て綺麗に消え去っていた。勿論痛みもない。たった数秒の出来事に、私の理解はまったく追いつかなかった。
「す、凄い……治ってる! ありがとう……!」
「どういたしまして。」
彼はまた微笑んだ。
その笑顔にまた、どきりと胸が跳ねた気がした。
この人のことがもっと知りたい。名前は何といって、何が好きなのか、とにかくたくさん。
だけど、緊張して頭の中が真っ白になってしまう。
「あ、あの……!」
「……な、名前……なんていうの?」
「俺は──」
少しの沈黙のあと、彼は答えた。
「……ロゼ、だよ」
「ロゼ……」
ロゼ。何故かはわからないけれど、とても綺麗で、素敵な名前だと思った。1度聞いたら絶対に忘れられない。
一瞬、バラとか高貴なイメージもよぎるが。
「ロゼって、綺麗でかっこいい名前だね! ……って」
思っていたことをそのまま声に出してしまったのだが、それよりも気にするべき点があった。
いきなり呼び捨てにしてしまっている。初対面だというのに、あまりにも失礼だ。今すぐ5秒前に戻りたい気持ちで頭がいっぱいになる。
「ご、ごめん……っ! いきなり呼び捨てにしちゃって……」
だけど彼は、不満そうな顔一つせず、むしろ嬉しそうにふふ、と笑った。
「いいよ、呼び捨てで。代わりじゃないけど、俺も君のこと呼び捨てにしていい?」
「うんっ……! もちろん!」
よかった、と私は心底安心したが、そういえば自分の名前をまだ名乗っていなかったことに気づく。
「……君の名前は?」
「あ……えっと、私の、名前……」
名前。
どくん、と心臓が大きな音を立てた。
「……じ、実は、無くって……」
心の中が焦りと申し訳なさで埋め尽くされる。
彼は少しだけ何かを考えていたようだったが、すぐににっこりと微笑んでくれた。
「……じゃあ、俺がつけてあげる。」
「え、いいの……?!」
予想外の提案に私は目を丸くした。
ロゼが私に名前をつけてくれる。絶対的で誰にも侵されない権利……私の……唯一の、名前を。
「もちろん! そうだな……」
あっ、と何かいいことを思いついたようにぽんと手を小さく叩いて、彼は言った。
「『レイカ』、とかどうかな?」
レイカ。彼がつけてくれたからか、とても魅力的な名前に聞こえた。
最後がカで終わるのもなんとなくかわいくて好き。それに可憐な感じがする。
「レイカ……。うんっ!! すっごく好き! ありがとうロゼ……!!」
私は、ありったけの満面の笑みを彼に贈った。
彼もまた、嬉しそうな笑顔を見せた。
「よかった、気に入ってもらえて!」
なんて嬉しいことなんだろう。こんなに自分の名前を好きになったことはない。
私は、彼がつけてくれたこの名前を一生大切にしようと思った。
何があっても、私はレイカだと。そう心に誓った。




