23.新人戦予選 伍 天才その二
体育館に戻ると、美咲のすがたが見えた。彼女もこちらに気づくと、ぺこりと会釈をする。ようやく美咲の試合か。
「一条は応援しに来たんだっけ」
「んーまあ、そう。がんばれ~とか言わないけど」
午前中に座ってた席はすでに取られていて、おれたちは席を探すことになった。
おれが解説をすることもあってか、本当はあまり人のいない後ろのほうがよかったが、どうやら都合のいい席はなさそうだ。どうしても周囲に人がいて、二人で座ることはできても迷惑をかけてしまう。
真ん中寄りの前側が頃合いのよさそうな場所だったので、仕方なくおれたちはそこへ向かう。
思い返せば、人が明らかに増えている。いったいなぜだ?
周囲を見渡すと、午前中はまばらだった席も、七割がた埋まっている。なにが理由で、いきなりこんな地方大会を観戦する人が増えた?
「琴音、なんで人が増えたと思う」
「え、三回戦だからじゃないの?」
そんな単純な理由か。
この大会に勝ったところで、東京から出場する高校が二つ決まるだけ。県大会みたいなものだぞ。
パイプ椅子に座っている人たちの動きが減ってきたあたりで、実況が口を開く。
「はい、ということで。ついに三回戦、シード校が出場しますね」
「ですね」
それに合わせる解説者。
「あんまりね。実況者という立場で語るのも良くないんですが、まして僕はここの高校の応援をする立場でございます」
「はい」
「しかしね、やっぱりね……。東京代表はシード権で出てくる二校になるんですよ」
前に出てる代表は美咲か。そういや、うちの高校って全国四位だった。それは三年生たちの話だったけれど、美咲たちもそれに近い成績は残すだろう。
となると、もう一校はどこだ。
「うちの高校は残念ながら、相当厳しい戦いになると思いますが、ぜひ一個人の意見として、頑張っていただけたらな、と」
「私情ですねー。三回戦の一試合目は、開清高等学校バーサス、比企谷高等学校です」
実況と解説は仲良く交互にしゃべていく。
実況者は比企谷高校を応援……というよりも比企谷高校の生徒ってわけだ。
「開清高校はシード校の一つ、そして比企谷高校は都内三番手の強さをほこるということで。期待の一戦になるでしょう」
「楽しみですね」
琴音はようやくか。と不満そうに言葉をもらす。その後、前後とあまり間隔の空いていないパイプ椅子を動かし、位置を調整する。
勉強の前には掃除をするタイプとみた。
そんなことを考えていると、気づけば周りがざわついていることと、体育館の入り口のあたりが明るいことに気がついた。
「なんかうるさいな。せっかくはじまるのに」
「イライラすんなよ琴ねーちゃん」
「新しいのつくるな」
どうやら人々が喧騒している原因は人が理由らしく、音がこちらへ向かっていることから、徐々に近づいてきているのは明らかだ。
やがて、椅子の森から抜けたその人が見えた瞬間に、おれは人々がかしましくなっているのに納得した。
「すみません。ちょっと通してください」
そう言って、少女はせまい通路を歩く。どんどん距離は縮まっていき、おれの前を通る。淡い風が吹き、鼻腔にかぐわしい香りが広がる。まるでバニラのように濃密で、自然と息を吸っていたはずなのに、次は深呼吸をしたくなるような香りだ。彼女の真っ白な右腕と、大きいおっぱい。そして、特に目立つのが絹のようにあでやかで、油気のないさらさらとした白金色の髪。美咲とおなじか、それ以上の存在感を放っている彼女が、間違いなく元凶だ。
そして、まさかのおれの隣に座る。
脳内で彼女の容姿を思い出す、目を引いたのが青色の瞳だ。明らかに日本人じゃない。
けれど、発音は出身が母国のそれだった。
「あ。見たことある」
琴音はぼそりと言った。
「どうも」
返事が帰ってきたのに驚いて、琴音は「あ、なんかすみません」と、ぎこちない敬語を使う。
冷徹な雰囲気をかもしだす彼女の言い方は、美咲のそれとはまったく別物だった。美咲が完全な無をあらわす口調なら、彼女は拒否の意思をあらわしている。
ちらりと右方に目を動かす。どうやら彼女の身長は琴音よりも若干高いようで、とにかく肢体のバランスが美しい。
おれのなかの美少女ランキングが更新されたかもしれない。隣の人物、美咲、琴音の順だ。
「えーと、マカロワさん、ジュガーノフさん?」
「だれかをミドルネームで呼ぶことは基本的にないですよ。なので、ジュガーノフか、エレナと呼ぶのが普通です」
「ふーん。じゃあジュガーノフさん、だよね。雑誌で見たことあるよ」
全然わかんねえ。
おれは琴音に説明を求めた。
「え、逆に一条がしらないのかよ。エレナ・マカロワ・ジュガーノフさん、全日本中学生大会の優勝チームのリーダーだったはず」
「くわしいですね」
エレナは長い髪を片手ですくい上げながら梳いた。それと同時に、すごくいい匂いがあたりにただよう。
「へえ。観戦しに来たんですか?」と、おれはたずねてみる。
世間的に有名な人がなんてこんな地方にいるんだ。
「え、いや。わたし出場するので」
「あ、選手。シード校か」
なるほどね。大騒ぎになる理由の一つでもあるわけか。
「一条。なんで三回戦から人が増えるのかわかったね」
「ジュガーノフさんを見に来てんのかみんな」
彼女は照れる様子もなく、凍てつくようなまなざしでプロジェクターを見ながら言う。
「そんなこともないと思いますが。開清高校もありますし」
なんとなく彼女に目線を合わせづらい。美人すぎて、まるでおれが美咲に話しかけられなかったときのことを思いだす。
あー、そういや……そうやって後悔したんだっけ。もしかしたら、この人も本当は人見知りとかだったりすんのかな。
そう思って、彼女の方に視線を向けるが、どうも顔を合わせるのは無理そうだ。
「なにか」
エレナはおれが注視していることに気づいたのか、こちらを振り向く。
「かわいいな。と思って」
「あ、ありがとうございます」
硬かった表情が、急に緩む。
なんだ、そういう女の子っぽい表情もできるのか。
「あ、名前でいいですよ。呼びづらいでしょう?」
まあ確かに。おれは琴音にどうするのかと合図を送るように首を動かす。
「よかった。面倒くさかったんで」
なれなれしいな、おい。
学校では琴音という女に対するイメージはかなりひどいもんなのに、実際のこいつはどうだろう。自分の興味さえあれば、とことん行くタイプって感じなのかもね。
「め、面倒くさい……。なんだかすみません」
「あ、いや、そういう意味じゃなくて」
そのやり取りが面倒くせえ!
「エレナさんはロシア人とかですか」
おれは話を切りかえるために話を振る。
「おお、よくわかりましたね。ロシアと日本のハーフですよ」
この白金色の髪の毛と青色の目は、マジでラノベにありがちなロシア人設定からか。まあ、実際のロシア人は黒髪ばっからしいけど。
そういえば、この人は日本一位なんだっけ、中学生までなら。
じゃあ美咲よりはるかに上手いことになるよな、たぶん。
待てよ?
この人っておれの世界にいたのか?
冷静に考えろおれ。おれの来ているこの異世界、時間軸は過去で、流行っているものが多少なりと違えど、世界の構造に差はなかった。
例えば、”前の世界”にいなかった人がおれの学校にいたか? いや、いない。ということはだ、このエレナ・マカロワ・ジュガーノフって人は、おれの世界にもいた可能性が高い。なら、Not Aloneの実力者であるはずが、なんでおれがこの人のことを認知していない?
琴音といますぐにでも議論したいところだが、そうは問屋がおろさない。
こんな状況下でしゃべれっこないし、いまのタイミングで外に出たくもない。
「そういえばまだ自己紹介してなかった。鈴森 琴音です」
「一条 一樹です。もしかしたら、いつか試合をするかも」
「ふうん、一条さんもe-sports部なんですか」
おれは唇を広げながら口角をすこしだけ持ち上げて、うなずく。
「どこの高校なんですか?」
「開清高校ですよ」
「え? いまから試合じゃないで――あ、応援ですか」
そんな彼女は、まるで禁忌に触れたかのように過剰な表現をしていた。おれはそれを気にもとめていなかったが、なぜか琴音が身体を、おれをはさんで乗り出す。
「次の、冬の大会はこいつ出るんで」
「は、はあ」
「なんで琴音がわざわざ言うんだよ」
琴音は乗り出した身を、頬を紅潮させながら戻す。おれが馬鹿にされたわけでもないし、恥ずかしいなら言うのやめとけよ。
うれしかったけどさ。
「エレナさん。私このゲームはじめたばっかで、一条にいろいろと教えてもらってるんだけど、エレナさんもよかったら」
「いいですよ。そのぐらい」
優しいなこの人。最初の冷たい感じはまだ消えてないけど、親切心はある。
この人も誤解されてるんだろうなあ。
「なんでニヤついてんの琴音」
「別に」
琴音がにんまりとしている理由は、なんとなくわかる。
おおかた、中学最強チャンプの彼女を、ぽっと出の男の子がはるか上の次元の解説をしているのを聞かせたいんだろう。
気持ちは汲み取ってやるけどさ。
さて、大指揮官様のお通りだ。




