ちいさなおうさま02 デコレーション
こんなお姉さんは、好きですか?
お姉さんの爪にはお花や星等の色鮮やかな模様が付いています。
鳥の嘴のように長い爪を上手に逸らして、スマートフォンを操作しています。
「あの店あんまり好きじゃないけど、いっか」
メールの返信が済むと、お姉さんは脱いだ寝間着を部屋の隅に放り投げました。
「何着てこうかな」
お姉さんは立ち上がり、周りを見回して足元の物を足で押し分けました。
「あったあった」
足に黒いフリフリの生地が引っ掛かりました。
摘み上げると、何かに引っ掛かります。
少し力を込めて引っ張るとそれが正体を現しました。
黒いワンピースです。
お姉さんはワンピースに鼻を近づけました。
「うん。オッケー」
時計を見ると学生達が下校するくらいの時間です。
寝すぎてしまった事を少し後悔しながら、シャワーを浴び、見える歯だけ磨いて着替えました。
今度はスタンドミラーの前に立ち、角度をいろいろ変えてみます。
時計を見るとまだバスの時間に余裕があります。
お姉さんは台所の換気扇を回しました。
ハンドバッグの中からタバコの箱を取り出し、器用に爪を使って一本取り出しました。
お姉さんの鼻や口から煙が立ち上り、換気扇に勢いよく吸い込まれていきます。
お姉さんはふと思い出し、ハンドバッグの中から一本の瓶を取り出しました。
タバコを口に咥え、瓶の蓋を開けると両手首に五回程噴霧しました。
手首を擦り合わせ、首や腕に塗り伸ばします。
「こんなもんかな」
お姉さんは手首に鼻を近づけて頷きました。
タバコを灰皿に放り込むと、ファーの付いたコートを羽織り、ファーの付いた底の厚い靴を履いて家を飛び出しました。
お姉さんは待ち合わせ場所に早めに着いてしまいました。
ハンドバッグからスマートフォンとタバコを取り出しました。
スマートフォンを右手で操作し、左手からは紫煙が立ち上っています。
半分までタバコを吸い終わると灰皿にタバコを投げ入れました。
スマートフォンで友達との連絡に熱中していると、男の人が時間通りにやって来ました。
「ごめん待たせちゃいましたか?」
「ううん。私も今来たとこだから大丈夫です」
最高の笑顔を作り、微妙に首を揺らして顔を左右に小さく振りました。
「それは良かった。じゃあ行きましょう」
男の人はあまり歩かなくて良い場所に予約を取ってくれていました。
しかし、お姉さんは少し不機嫌です。
味は文句無しに美味しいお店ですが、値段は安いお店です。
甘く見られてしまった気がして仕方がありませんでした。
しかし、お姉さんは顔に出さないように努力をしました。
「でね、あの子はね。自分勝手だし私が注意しても全然聞いてないし、ふてくされちゃったりするんですよ」
お姉さんは仕事の愚痴を話題にしました。
男の人は目を合わせて聞いてくれています。
「うんうん。自分勝手な子なんですね。そういう子、ウチの職場にもいますよ」
男の人は相槌を打ち、笑顔を絶やしません。
お姉さんも時々、笑顔と顔を揺らすのを忘れないようにしています。
食事が終わってもお姉さんは話をするのが楽しくて仕方ありません。
お冷のサービスが何度か来ても止まりません。
「ごめんなさい。何だか愚痴を言ってたら吸いたくなっちゃった。吸っても良いですか?」
「構いませんよ」
「職場に行くとイライラしっぱなしでタバコ辞められないんですよねぇ」
そう言ってお姉さんは盛大に鼻と口から煙を吐き出しました。
男の人はお姉さんがタバコを吸い終わるのを見計らって言いました。
「そろそろ出ましょうか。結構長い時間いましたし」
男の人は腕時計を指差しました。
お姉さんは伝票を手に取りました。
伝票を見ると食べた分はちょうど千円です。
お姉さんは財布から千円札を取り出しました。
男の人はお姉さんから伝票を受け取って頷きました。
「じゃあ、ここはワリカンにしましょう」
「はい」
お姉さんは笑顔を作り、千円札を男の人に渡しました。
お店の外に出ると真っ暗になっていました。
「まだ最終のバスまで時間あるし少し飲みませんか? 良いお店見つけたんですよ」
男の人は爽やかな笑顔をお姉さんに向けました。
「う~ん。最近お腹の調子悪くてあんまり飲めないんですよぉ。今日は帰ろっかな」
お姉さんはスマートフォンに目を落とし、操作しながら話をしています。
「そうだったんですか? なら無理はいけないですね。じゃあまた今度にしましょう」
男の人は少し肩を落としましたが、笑顔を絶やさずお姉さんがバス停に着くまで付き添いました。
バス停に着くまでもお姉さんはずっと下を向き、スマートフォンを操作しています。
バス停に着くまでお姉さんは一言も発しませんでした。
電光掲示板を見るとお姉さんの乗るバスが隣のバス停を出発したようです。
男の人はずっと下を向くお姉さんに、声をかけました。
「じゃあ、今度はどこか遊びに行きませんか。今月中はどうですか?」
男の人はお姉さんの顔を覗き込みます。
「う~ん。今、すっごく忙しくなっちゃったんですよねぇ」
お姉さんは顔を逸らしました。
「そうなんですか。じゃあ、落ち着いたら行きましょう」
「ですねぇ。でもいつになるか分からないんですよねぇ」
お姉さんはスマートフォンを操作しながら男の人と話をしています。
「そうなんですね。じゃあ、また連絡します」
男の人は一歩後ろに下がり、頷きました。
「バス来ちゃいました。わたしはこれで」
お姉さんは振り返る事も無くバスに乗り込みました。
(さっき言ってたのホント? メシおごらないなんてダメじゃね?)
友達からのメールです。
(そうだよ~。せっかく行ったのにサイアク)
バスは立っている人もおらず、好きな席に座れます。
お姉さんは一番後ろの席の真ん中に足を組んで座りました。
(もしかしたら試されてるんじゃない? それか見切られた? 笑)
お姉さんは友達のメールに少し腹が立ちました。
(それは無いかな。あっちから声かけてきたんだし帰りの時、遊びに行こうって言ってた。試すとかだったらマヂ腹立つな。金の事でわたしを試すとか? ウケる〜笑。ワリカンするしないで人を試せるかって思うけど。それに逆に試してやったよ。わたし忙しいって言ったけど、わたしの事、気になってるんだから絶対メールしてくるよアイツ 笑)
バスは誰も降ろさず中心街に近づいて行きます。
お客さんが増えて来ました。
席がほとんど埋まっています。
お姉さんの両脇だけがまだ空いています。
バス停に停まる度にお客さんが増えて行きます。
立っているお客さんで前が見えなくなってきました。
しかし、お姉さんの両脇だけはまだ空いています。
スマートフォンに目を落とすと、友達からの返信が来ています。
(じゃあ、試されてるよきっと。それかまた香水つけすぎて逃げられたとか 笑)
(わたしのはブランド品の香水だよ。ネイルも気合いれたからね。あんたもオシャレしなよ。良い店知ってるから紹介してあげよっか? 香水付けてみなよ。人生変わるよ。ていうかアイツさ、わたしより後に待ち合わせ場所に来るなんてありえないよ)
メールを送信して顔を上げると目の前にちいさな女の子が立っていました。
隣に立つ母親のスカートを握りしめています。
「くっちゃ〜い」
ちいさな女の子が鼻を抑えています。
慌てて母親が女の子の口を押さえました。
「くるしいよ」
ちいさな女の子はジタバタしました。
お姉さんはスマートフォンに目線を戻しました。
次のバス停に停まると、さっきの親子が降りて行くのが視界に入りました。
「さっきの人の爪すごいね。おにばばみたい。臭いし」
ちいさな女の子の声が聞こえて来ました。
「こらっ。静かにしなさい」
周りのお客さんが含み笑いをしているのが見えます。
母親は女の子の口を抑えて急いで降りて行きました。
周りに仕事帰りのおじさん達がいるから臭いのは分かるけれど、爪が長いのは自分だけです。
少し考えましたが、もしお姉さんの事を言っていたのなら、オシャレが分からないんだから仕方ないと思う事にしました。
まだお姉さんの両脇は空いています。
お姉さんは少し不思議に思いましたが、自分が女だから気を使って誰も座らないんだと思いました。
再びスマートフォンに目を落とし、待ち受け画面を開きました。
画面には何の通知も表示されていませんでした。
「良い人だと思ったんだけどね。香水付けすぎていて臭いんだよなぁ。タバコも吸うし。待ち合わせ場所に行った時すごかったよ、タバコと香水の匂いが混ざって半端無かった」
男の人はエイヒレにたっぷりとマヨネーズを付け、口に放り込みました。
「まじか。やっぱり良い女に見えて難アリだったりするんだな。女運無いよなお前」
友達は短く笑うとお猪口を口に運びました。
「今日デートだって言ってたから、お前から飲みの誘いが来るとは思ってなかったよ。詳しく聞かせろよ」
「この間の合コンに行った時にメールアドレスを交換したんだ。その時はあんまり変な感じ無かったんだけどね。ただ、ブランド品で固めてるからちょっと難ありかなっては思ってたんだ。そうそう、次の店は予約していて、奢るつもりだったし、ワリカンにすれば気を使わないかなって思ってワリカンにしようって言ったんだ。そうしたら、ワリカンって言った瞬間から急に態度が変わって、まだこんな時間なのに帰るって」
「でもさ、結構あっちも乗り気だったんだろ。まさかワリカンで金出すの嫌だったとかな」
「どうなんだろうね。食事の後も結構、機嫌良く喋ってたんだ。まぁタバコと香水はきつかったけどさ。これで後は会わないってなると失礼だと思って一応言ったんだ。今度遊びに行こうって。返事は忙しいの一言。いつ落ち着くかも分からないって」
「なんだよそれ。まぁ、あっちは脈ナシって判断したのかも知れないな。それにホントにワリカンくらいで機嫌悪くするような女なら、こっちから願い下げって事で良いんじゃねえの。お前、香水もタバコも嫌いだったじゃん。もう次行こうぜ。さ、飲めよ」
友達は男の人にお酒を注いであげました。
「そうだね。香水とタバコなら少しは我慢出来たけど、自分の思い通りにならないと機嫌が悪くなるような人ならやめておいた方が良いね」
「そうそう。それにブランド品は追うのでは無く、追われろってね」
「なんだよそれ」
男の人は鼻で笑うと、お猪口を口に付けようとして手を止めました。
「そういえば」
「何だ?」
「あの首を動かすって言うか、顔を動かすっていうか、あれって何なの?」
「何だそれ?」
「ほら、あの化粧品のコマーシャルの女の人とか、芸能人とかやるの見た事無い?」
男の人は笑顔を作って、微妙に首を揺らして顔を左右に小さく振りました。
「ああアレね! つうかお前キモいわ」
「アレアレ」
「アレは多分、可愛さアピールだ」
「可愛さアピール?」
「私可愛いでしょ? 見て見て! ってやりたいんだよ。そういう女、俺は嫌いだ」
「なるほどね、可愛さアピールか。そこまで飾らなくて良いのに」
「飾りたいんだろ。可愛さアピールに、香水、ブランド品だろ?」
「あ、爪もすごかった」
「なるほどな、飾らないと人前に出れないんだから、大した女じゃねぇよ。やめて正解だって」
「そうかもしれないね」
男の人はお猪口のお酒を一気に飲み干し、学生時代の話などで友達との楽しい時間を過ごしました。
お店を出ると道路は薄らと白く化粧をしていました。
「アイツからメール来るまでしないでやろうっと」
お姉さんは足の踏み場の無い部屋で缶ビールを飲んでいました。
帰り道に何度もスマートフォンを確認しましたが、あの男の人からも友達からもメールは届いていません。
「クリスマスまであと一週間かぁ。アイツは彼氏いないし、あの男だってクリスマスを一人で過ごすなんて嫌なんだろうから必ず連絡してくるな」
お姉さんがテレビを見ていると、人気男性アイドルが香水やブランド品のランキング番組に出ていました。
食い入るように見ていると、自分の使っている物も出てきました。
「やっぱわたし使ってるの出てる」
残っていたビールを一気に流し込むと、次の缶ビールの蓋を開けました。
「僕的にはこれも良いですね」
男性アイドルは爽やかな笑顔で商品の紹介をして行きます。
ほとんどがお姉さんの持っている香水やブランド品でした。
「ああ……。僕はこれはあんまり好きではないですねぇ」
「そうそうこれは良くないよねぇ。分かる分かるぅ」
独り言が多くなってきた頃、番組も終盤に差し掛かりました。
「さ、ランキングの発表です。第五位」
コマーシャルです。
「んだよ。CMかよっ!」
お姉さんは一人で突っ込むと缶の残りを一気に流し込み、冷蔵庫から新しい缶ビールを持ってきました。
番組は勿体ぶりながら、やっと第一位の発表になりました。
「今年最高のブランド品はこれだ!」
そこにはお姉さんの持っていないブランド品が映っていました。
「これかぁ。そういえば持って無いなぁ」
お姉さんはスマートフォンを持ち、いつもの通販サイトを開きました。
「あ、これこれ」
お姉さんは迷う事無く購入手続きを済ませました。
(これ買ったよ。さっきの見てた? あんたも買っちゃいなよ)
お姉さんは早速友達に画像付きメールを送りました。
友達は机に座り、小さな蛍光灯の明かりの中で書き物をしていました。
ヘッドホンから流れるハイテンポなドラムのリズムと重低音に包まれて集中しています。
ベットの枕元で充電している携帯電話が着信音を鳴らしたけれど、友達には聞こえていないようです。
机の脇の壁には世界地図が貼られ、大きな大陸に赤丸が付いています。
ドアをノックする音がしましたが、友達は気づきませんでした。
ドアが開き、部屋に誰かが入って来ました。
友達の後ろに立つと、そっと友達の肩に手を置きました。
友達は驚いてヘッドホンを勢い良く外し、後ろを振り返りました。
「なんだ、母さん、びっくりさせないでよ」
「ごめんね。また書き物? へぇ、ちいさなおうさまって言うの? そのお話」
「ちょっと見ないでよ。で、何か用なの?」
「うん。ちょっとさ」
「またお金?」
「うん。三千円で良いんだけど」
「どうせ三千円じゃ足りないんでしょ?」
「いや、なんとかするし」
「なんとかって……。もういいよ。まだ母さんの給料日まで一週間あるし、また貸してって言うんでしょ?」
机の上のデフォルメされたカエルの顔が貼られた財布から一万円札を取出しました。
母さんは申し訳なさそうな顔をしました。
「ごめんね。ちゃんと給料出たら返すから」
そう言って母さんは部屋をすぐに出て行きました。
「毎月これだもんな。返してもらってもすぐに貸してって言われるからなぁ」
友達は手帳を開き、数字の並んだページを出しました。
「何とか少しずつは貯金出来てるか。母さんは後五年でパート終わりだし、宗教にお金使うし、父さんは仕事して無いし、兄さんもギャンブルばっかりだもんな」
大きく溜息をつき、手帳を閉じました。
「今の気持ちをみんなに伝える為にも、この本を早く完成させてネットにアップしなくちゃ。後はお金を貯めてあの国に住もう。一生搾取され続けるなんてもう嫌」
友達はヘッドホンを付け直し、書き物の続きを始めました。
「あれ、メール届かなかったのかな」
お姉さんは目覚めて直ぐにスマートフォンの画面を確認しましたが、誰からもメールが届いていません。
「さむ」
布団を被ったまま壁にあるエアコンのスイッチを入れに行き、カーテンを開けてみました。
「あ、雪。積もったんだ」
背後でスマートフォンの着信音が鳴りました。
「どれどれ」
お姉さんは急いで枕元のスマートフォンを手にしました。
ホーム画面を操作し、メール画面を開きました。
(この度はご注文ありがとうございます。商品の発送については……)
もしかしたら、お姉さんはお姉さんが創りあげた、ちいさな世界のちいさなちいさな女王さま。
だったのかもしれません。
飾る事も大切なんですけどねぇ。