第1話 流れ者のチャンピオン
ここはサイオン公国の城下町。
夕暮れ前の商業組合の窓口に、安宿の若亭主・ラークが訪れていた。
眼鏡の奥を曇らせ、浮かない顔でカウンターの前に立った。
「どうした、ラーク? 浮かない顔して」
受付のアルが、書類から顔を上げて尋ねた。
「アルさん、最近客にガラの悪いのが増えて困ってるんですよ……。ただでさえ、父さんが死んで男手が僕一人だってのに……」
大きな戦争が終わって半世紀。
世の中は概ね平和だが、流れ者も増え、町の治安はじわじわと悪化していた。
安宿の『ハインド亭』に来る客も例外ではない。
「それで用心棒になりそうな人を雇おうと思ったんだけど……いい人います?」
アルがうーんと唸る。
「最近はどこも人手不足だからな……。いくら出すつもりなんだ?」
「日で銀貨8枚……」
「おいおい、今は用心棒なら金貨1枚でも安いぐらいなんだぞ。それじゃ誰も雇えん」
「ですよね……」
ラークが深いため息をつく。
アルはしばらく考え込み、ふと顔を上げた。
「……そうだ。流れ者で住む場所にも困ってる奴がいる。お前のとこで住ませりゃ、安く済みそうだぞ」
そう言うと、奥の部屋に向かって大声で叫んだ。
「おーい、『チャンピオン』! ちょっと来てくれ!」
「……チャンピオン?」
「どっかの国のコロシアムのチャンピオンだったらしいから、そう呼んでるんだ。本当かどうかは知らんがな」
すると、奥から重い足音が近づいてきた。
のっしのっしと出てきた男は、ラークより一回りも大きい。
丸太のような腕には、無数の穴が空いたような傷が並び、左腕には大きな刀傷が走っている。
右頬にも刀傷があり、髪も髭も伸び放題だ。
それに、お腹はぽっこりと出ている。
「こいつ、可哀想な奴でな。腰痛で動けなくなった時に、キャラバンに置いてかれちまったんだ……。齢はいってるが、このガタイだから用心棒としては十分だろ?」
「ふーん……」
ラークは眼鏡の位置をクイッと直し、男をじっと見た。
「僕は宿屋やってるラーク。用心棒を探してるんだけど……おじさんに住む場所と三食、それに日で銀貨5枚でうちに雇われない?」
(随分安く買い叩こうとしてるな……)
アルが苦笑いを浮かべる。
男は、わずかに目を細めただけで、すぐに答えた。
「……それでいい」
「じゃあ決まりだ。おじさんの名前は?」
「……バースだ」
二人は握手を交わし、商業組合を出て宿へと向かった。
道すがら、ラークが話しかける。
「おじさんはどこから来たんです?」
「……ずっと遠くの国だ」
「へえ。ずっと用心棒やってるんですか?」
「……いや」
だが、会話が続かない。
バースはほとんど口を開かず、ただ重い足取りで歩くだけだった。
(身体は大きいのに、何か暗い人だな……)
ラークがそう考えているうちに、宿に着いた。
素朴な木造の二階建てで、看板には『ハインド亭』と書かれている。
「ここが僕の宿だよ。一階が食堂と僕らの住居。二階には客室が十部屋。夕方から食堂で酒場を開いてる。おじさんの部屋は一階の空き部屋ね」
簡単に説明すると、二人は中へ入った。
「おーい! 用心棒連れてきたよー!」
ラークの声に、三人の女性が出てきた。
「まずは僕の母のマリア。料理担当」
「随分大きいわねー。よろしくね、用心棒さん!」
ふくよかなマリアが、サバサバとした調子で言う。
「こっちが妹のサラ。掃除・洗濯、あと酒場で給仕をしてる」
「……」
綺麗好きなサラは、バースをジッと見つめたまま何も言わなかった。
「こっちはサラの友達でキアル。昼間は裁縫の仕事をしてて、酒場のときは手伝ってくれてるよ」
「よろしくー」
キアルが白い歯を見せながら、明るく手を上げる。
「っで、今日から用心棒で雇ったバースさん」
ラークが三人に紹介すると、バースはボソッと頭を下げた。
「……よろしく」
その瞬間、先ほど無言だったサラが口を開いた。
「ちょっと、おじさん……」
言い終わらないうちに、サラは手にした布切れをバースの顔に投げつけた。
「臭いから裏で身体洗ってきて! あと服もボロボロだから着替えて!」
「……服はこれしかない」
バースが申し訳なさそうに呟く。
「キアル! キアルが手伝ってるお店から、大きめの服一着持ってきて!」
「あいあいさー!」
キアルがすぐに宿から飛び出した。
「身体洗い終わったら、髪と髭も切るからね!」
「……お、おう……」
バースはサラの勢いに完全に押され、マリアに連れられて裏手へと向かった。
「いつまで雇うかわかんないんだから、そこまでしなくていいんじゃないか?」
ラークが頭を掻くと、サラは頬を膨らませて言い返した。
「私、汚い人と一緒に働きたくないから!」
日が暮れ、酒場が開いた頃。
伸び放題だった髪と髭は短く整えられ、キアルが持ってきた大きめの服を着て、バースは小綺麗になっていた。
バースは、カウンターの隅の席で、出された食事を黙々と食べていた。
(あのおじさん、何か起こった時に役に立つかな……。しばらく雇ってみて駄目そうなら、おじさんには悪いけどクビかな……)
大きな身体を小さく丸めているバースの背中を見て、ラークは内心でそう思った。
店は泊まり客、地元の常連、旅行客で半分ほどうまっている。
時間が経ち、店が賑やかになってきた頃、一人の客が騒ぎ出した。
「おい、酒はまだか! いつまで待たせるつもりだよ、この店はよぉ!」
片手になみなみと酒が入った杯を振りかざしながら叫ぶ。
顔は赤く、すでに相当酔っている様子だ。
「えぇー……さっき、お酒渡したばっかだよ……」
キアルが小さくぼやく。
(おじさんが役に立つか試すのには、ちょうどよさそうだな……)
ラークはバースに声をかけた。
「おじさん。ちょっと、お客さんにもう少し静かにしてもらうよう注意して貰える?」
「……わかった」
バースは重い腰を上げ、のしのしと騒いでいる客の前に立ち、無言で見下ろした。
「あぁ? 何だ、おっさん?! 俺に文句でもあんのか!?」
客が立ち上がるとバースはゆっくりと、手の平を客に向けた。
「何だ、やんのか!?」
客が拳を上げかけた、その時――
バースが口を開いた。
「……ちょっと待て。今、最強になるから」
そう言い残すと、バースはあっさりとカウンターへ戻り、厨房に向かって声を上げた。
「女将さん! 酒1杯くれ!」
「あいよー!」
厨房から、マリアの威勢のいい返事が返ってくる。
「「……は?」」
騒いでいた客とラークが、同時に声を揃えた。
「普通、揉め事中にお酒飲む? 信じらんない!」
サラが文句を言いながら、安酒をバースに差し出す。
バースはそれを受け取ると、一気に飲み干した。
「……ぷはぁ……」
バースが大きく息を吐く。
(お酒飲んで気合入れたのかな?)
ラークがそう思っていると、バースはおもむろにまた手を上げた。
「女将さん! もう1杯!」
「あいよー!」
ラークと客がズッコケる。
二杯目を受け取ると、バースは一口飲み、カウンターにある皿の残り物をつまみ始めた。
「……この煮込み、美味いな」
バースはまったりと酒を飲んでいる。
「おい! なんで、あのおっさんは普通に飲み始めてんだ?!」
客がラークに詰め寄る。
「さあ……。今日雇ったばっかだから、僕にもわかりません……」
二人はしばらくバースを観察した。
ゆっくりと二杯目を飲み干すと、バースは手の平を開いたり閉じたりしながら、何か呟いている。
「まだ、調子出んな……よし! もう1杯!」
「あいよー!」
あろうことか三杯目を注文し始めた。
「……酔いも覚めちまったよ……。おい、勘定」
「あ、はい」
騒いでいた客は、普通に酒を飲むバースに完全にペースを崩され、呆れて帰っていった。
客が帰ってしばらくすると、バースが三杯目を飲み終えた。
「よし! いい感じだ! 騒いでる奴はどこだ?!」
勢いよく立ち上がり、辺りを見渡す。
「普通に飲んでるおじさん見て、呆れて帰りましたよ……」
ラークがため息をつく。
「なに?! せっかく酒飲んで最強になったのに!」
バースが力瘤を強調しながら叫んだ。
「……とりあえず、飲んだ安酒の代金15銅貨は日当から天引きですからね」
ラークは冷ややかな目をバースに向けながら言い、(このおじさんを雇ったの失敗だったかな……?)と思った。
死んだ父親から安宿を継いだばかりの若亭主。
酒を飲むと自称『最強』と叫ぶおじさん。
二人の出会いの日は、おじさんの実力がわからないまま過ぎていった。




