閑話Ⅲ 母の問い
大陸歴662年・夏
慈善事業の準備が始まった日の夕暮れ、王都の夕日が窓辺の白いカーテンを薄い金色に染めていた。私はカップを二つ用意して、娘の帰りを待っていた。
私の名はシャルロット・モロー。旧姓ラヴィニエ。学院時代の友人たちは、今も私をシャルと呼んでいる。若い頃、教会での奉仕活動を通じて夫エドモンと出会った。今も折に触れて教会の仕事を手伝っている。
近頃のリネは、学院と教会の共同慈善事業を楽しみにしていた。衣類や保存食、学用品を地区の教会へ運び、必要な方々に配るのだという。リネは幼い頃から私と一緒に教会の奉仕に参加してきたけれど、今回は自分で参加を決め、学院の友人たちと準備を進めている。今朝も、品物が無事に届くよう祈った。
娘にとって、今日はどんな一日だったのだろう。帰ってきたら、ゆっくり話を聞きたかった。
「母様、ただいま戻りました」
「お帰りなさい、リネ。疲れたでしょう?」
「はい。でも、今日は楽しかったです」
「それならよかった。ちょうどお茶を入れたところよ」
リネは椅子へ近づいたものの、抱えていた書類をカップのそばに置きかけて、手を止めた。
「明日の確認に使う控えなんです。先に部屋へ置いてきますね」
「ええ。着替えていらっしゃい。お茶を飲みながら、ゆっくり聞かせてね」
戻ってきたリネは椅子に腰を下ろし、カップを両手で包んだ。そんな仕草は、ときどきエドモンに似ている。
「今日はずいぶん明るい顔で帰ってきたわね。何が楽しかったの?」
「最初は少し緊張したんです。初めてお話しする方も大勢いらしたので」
「あら、リネが?」
「もう、母様。私だって緊張します」
少しむくれたような顔が懐かしくて、私は笑ってしまった。
「そうね、ごめんなさい。少し意外だったものだから」
「マリーとエマが一緒だったので、すぐに落ち着きました。倉庫には箱がたくさんあって、三人で手分けして確かめたんです」
「ふふ。頼もしい二人だものね」
「私は品物の数を、エマは荷札と名簿を。マリーは地図を広げて、荷車の通る道を調べてくれました」
「ふふ。二人の様子が目に浮かぶわ」
「はい。エマは荷札を一枚ずつ並べて、何度も確かめてくれたんです。マリーも道順を丁寧に調べてくれて。私一人だったら、数を合わせるだけで精いっぱいでした」
「あなたも忙しかったでしょう?」
「近くの学生の方に箱の数を尋ねられたとき、すぐにお答えできたんです。母様と教会でお手伝いしてきたことが役に立ちました」
「そう。それは嬉しかったでしょう。小さい頃から、教会ではいつも丁寧に数を確かめていたものね」
「ええ。でも、今日は自分たちで相談して決めることも多くて。いつものお手伝いとは、また違いました」
「いつものお手伝いより、少し責任もあったのね」
「ほかの学生の方々とも声をかけ合えましたし、マリーとエマがいてくれて心強かったです」
友人たちのことを話す娘を見て、私は学院時代のエレナやマルグレートを思い出した。あの頃も、得意なことはそれぞれ違っていた。
「そういえば、いつもより帰りが遅かったから、少し心配したの。何かあった?」
「はい。実は、最後に書類を確かめていたとき、気になることが見つかったんです」
「何かしら?」
「名簿には東の教会で荷物を受け取る方が載っているのに、計画書では荷車が三台とも南の教会行きになっていたんです」
「大事なことね。よく気がついたわ」
「最初は私の見間違いかと思ったんです。でも、マリーとエマも一緒に確かめてくれました」
「そうね。自分の見間違いかもしれないと思うと、言い出すのにも勇気がいったでしょう」
「はい。少し迷いました。でも、ロシュフォール様にお伝えしたら、準備委員の方々が大聖堂へ確かめに行ってくださって。南へ二台、東へ一台に分けることになったんです」
「それはよかったわ。待っていらっしゃる方々に、ちゃんと届くのね」
「はい。明日から、みんなで行き先ごとに荷物を分ける予定です」
「それから、準備委員の代表を務めていらっしゃるオルヴェーヌ様にも、相談したんです」
「オルヴェーヌ様?公爵家のご嫡男ね」
「はい。私たちが東の教会へ行く案も、一緒に考えてくださったんです」
そのお名前を口にしたとき、リネの声がほんの少し弾んだ。私には、その小さな変化が聞き取れた。
「それは、心強かったでしょうね」
「はい。ご自分たちの見落としも認めて、私たちの話を最後まで聞いてくださいました」
「そう。きちんと向き合ってくださる方なのね」
「ええ。……お話ししてみると、思っていたよりずっと気さくな方でした。学院で評判になるのも分かります」
リネはそう言って、カップに口をつけた。もう少し尋ねてみたい気持ちもあったけれど、娘が自分から話してくれるまでは、そっとしておこうと思った。
「そう。お話しできてよかったわね」
「はい。三日後には、ご一緒に東の教会へ参ります」
「それなら、当日も心強いわね。でも、あなたも無理をしないでね」
リネも微笑み、カップをそっと置いた。
幼い頃、教会で何かを頼まれると、リネはよく私の顔を見上げた。今では自分で考え、友人たちと力を合わせている。頼もしい反面、もう私に確かめなくてもよいのだと思うと、ほんの少し寂しかった。けれど、こうして今日の出来事を話しに来てくれる。それが、何より嬉しかった。
「そういえば、母様も学院では、エレナ様たちとよくお話を?」
「ええ。授業のことも、ちょっとした噂話も。今思えば、よくあれだけ話すことがあったものね」
「私たちも、毎日そんな感じです」
「でしょうね」
リネはその後も学院であった小さな出来事を、ひとつ、またひとつと話してくれた。私は時々言葉を返し、ときには一緒に笑いながら耳を傾けた。
「もう一杯いただいてもよろしいですか?」
「もちろん。今日はまだ、ゆっくりお話しできるもの」
数日前、私はアデラート公爵夫人のお茶会に招かれていた。公爵夫人も、ご子息のこととなると、ほんの少し声が柔らかくなる方だった。母親というものは似たところがあるのかもしれない。
食事のあと、娘が自室へ戻ってから、私は机に向かった。公爵夫人へ、先日のお茶会のお礼を書いておかなければならない。便箋を前にして、私は先ほどのリネの笑顔を思い出した。
礼状には、お招きいただいたことへの感謝だけを綴った。今日のリネの話を、公爵夫人へ伝えることはしない。あの子が自分から話したくなったときに、また聞かせてもらえればいい。
窓の外では、夏の風が庭木を静かに揺らしていた。
――エマの手帳より
大陸歴662年・夏
『マリーの話では、ヴェルディス様が魔法科で練習に付き合い、検査室も案内してくださったそう』
『慈善事業でもよく顔を合わせているらしい。マリーがあの方の話をすることが、少し増えた』
『たまたまなのか、それとも何か理由があるのか。気になるが、今は聞かないでおく』




