第一話
「じゃあ、後は任せたぞ!!」
「かしこまりました」
――いつものことだ、とアリアは溜息をついた。
この国の第一王子であるイライアス・フォン・アルセニアは、アルセニア王国筆頭公爵家の長女である、アリア・フォン・セルヴィアスの婚約者だ。しかし、婚約者であるはずのイライアスの隣には、別の女性が寄り沿っている。
”聖女”——エリーゼ・ルーシェル。
ルーシェル侯爵家の”次女”である彼女がこの王宮に来て、もうすぐ一年になる。
"聖女"とは、広範囲の癒しの魔術を使える光の魔力を有する者のことであり、数十年に一人しか産まれないという、希少な存在だ。
平民産まれの彼女は、去年母親が倒れた時に偶然光の魔力に目覚めて、ルーシェル侯爵家の養女となった。
勿論、そんな希少な存在を王家が見逃す訳がなく、公爵家を目指すルーシェル侯爵家との利害が合致して、王宮に送り込まれたのだ。
このアルセニア王国全土には、魔導結界が張り巡らされている。
魔導結界とは、王国の守護を支える根幹であり、事前に敵国の侵攻を察知し、魔物の越境を抑制し、王都から辺境までの緊急連絡を可能にするための、重要な結界だった。
王国全土あちこちに散りばめられた八十八の結界塔に、均等に魔力を流すことによって成立している魔導結界。それを制御しているのが、今アリアの居るこの管制室であり、この床の制御魔法陣だった。
その魔法陣には、八十八もの魔石が填められている。
各主要都市との緊急連絡を受けるのも、この部屋にある魔導鏡で、鏡越しに直接話を聞くことができた。だが、その都市と対応した魔石の魔力の消耗が激しいので、緊急時のみ使用を許されている。
この魔石に一日一回魔力を注ぐのが、王族の義務であり、また"聖女"に与えられた仕事のひとつでもだった。ルーシェル侯爵家がエリーゼを王宮に送り込んだ名目が「聖女の希少な魔力をぜひ王国にお役立て下さい」というものだったのだ。
しかし、イライアスに連れられて意気揚々とやってきたエリーゼが、魔石に魔力を注いだのは、初日だけだった。
結界の維持には膨大な魔力と、絶妙なバランスが必要なのである。八十八もの魔石全部を満たすには、例え王族やそれに連なる者の魔力量がどれほど多くとも、とてもではないが魔力が足りない。
なので、必要な魔石にのみ、全体の魔力量のバランスが崩れないように、調整しながら魔力を注ぐ必要があるのだ。
アリアは事前にエリーゼにそう説明したものの、魔力を抑えるという経験のない彼女は、全力で魔力を注ごうとした。慌てたアリアは魔力供給を止めされるためにエリーゼの手を魔石から離したのだ。
だが、エリーゼは「アリアが私の光の魔力に嫉妬して手を叩いた」と騒ぎ出して、その場にいたイライアスですら、その言い訳を信じた。
それ以来、エリーゼは自分の仕事である魔力供給をアリアに押し付けるようになったのだ。
王族の義務である以上、王太子であるイライアスが魔力供給を止めることはない。だが、あの日以来わざわざエリーゼを連れてくるようになり、魔力を注ぐと二人でさっさと退出するようになったのだ。
そもそも、エリーゼが来る前から、イライアス本人もアリアに言われるがままに魔力供給をしているだけだった。
イライアスには全体のバランスをどう見ればいいのか、などという制御方法を学ぶつもりは一切ない。全てをアリアに押し付けるつもりでいる。
なので、前任である王妃からこの仕事を引き継いで以来、アリアが一人で廻しているのであった。
そもそもアリア・フォン・セルヴィアスが、イライアスの婚約者となったのは、幼い頃に王宮にお披露目に来たアリアを見た王家からの強い要望で、押し切られたのである。
アリアには、同い年の高位貴族の娘の中では、一つ頭の抜けた魔力量を持っていた。結界の維持のためにも、王妃は魔力量が多い者から選ぶというアルセリア王家の決まりがある。
それ故に、アリアは幼いころから婚約者候補として目をつけられ、十歳になった時に正式に婚約者となったのであった。
十歳から王太子妃教育が始まり、五年で終わらせたアリアは、その後は結界の制御を現王妃ヴェロニカから教わった。そうして二年でノウハウを学び終えたアリアは、ヴェロニカから仕事を引き継いだ。
それから三年、三年間アリアは一日のほとんどをこの部屋で過ごすようになったのだ。
「……北東の第六十七拠点、微妙にズレてる」
魔石をチェックしていたアリアは、手元の羊皮紙に羽根ペンを走らせた。その羊皮紙の束は、これまでアリアが一人で抱えてきた、結界の管理台帳である。
毎日魔力の供給をしてバランスを整えているので、魔力の消費量は一定なはずだった。バランスが崩れるのは、その区域で何かトラブルがあるからだ。
その魔力量の調整をするのは、今やアリア一人だった。
多少のバランスが崩れても、結界は弱まるだけで済む。だが、これが大いに崩れると一瞬で結界は崩壊する。
――故に、可能な限り、誰かが側にいなければならない。
だが、アリアの他には王太子であるイライアスやエリーゼがその担当なのだが、彼らは"仕事"を覚えるつもりはなかった。
それには国王であるオズワルドも頭を悩ませているが、エリーゼがイライアスと共に行動することを望んでいるので、王家としても強く出れなくなっている。彼女の力が希少なのは、確かだからだ。
だから、今日もいつものように、アリアはひとり管制室で過ごすのだった。




