第四話
「やっと帰れた〜」
風音は寮の前で大きなため息をついた。実習が終わってからというもの、担任の先生からは無茶をするなと怒られ、保健室の先生からもまた無茶をして! と怒られて散々であった。
放課後にも説教をされてしまい、帰るのが遅くなってしまった。陽もほとんど落ちかけ、辺りは暗くなり始めていた。
風音は着替えるのも面倒だったので、そのまま食堂で夕食を取る事にした。食堂に入るとスパイスの良い香りが風音の鼻腔をついた。今日のメニューはカレーのようだ。手を洗った後に風音はカレー皿を取って山盛りにご飯を盛り付け、たっぷりカレーをかけてからテーブルへと向かった。すると、テーブルの端にアイリスが座っているのが目に入った。
「アイリス!」
風音は呼びかけながらアイリスの隣に座った。アイリスは驚いた表情で風音を見た。
「風音! もう大丈夫なの?」
「うん大丈夫だよ。保健室の先生に無理やり回復魔法かけられたし」
風音がお腹をさすりながら苦笑いをした。
「そう、それなら良かった」
アイリスが安心したようにホッと胸を撫で下ろした。そんなアイリスを見ながら、風音はカレーライスをスプーンで掬い、口へと運んだ。
「うーん、うちのカレーと違ってちょっと辛いかも」
そう言いながら、風音はお皿のカレーを平らげていった。そんな風音に釣られてアイリスもカレーを口に運んだ。
「そういえば、アイリスの方は大丈夫? ちょっとやりすぎちゃったかなーって思ってたんだ」
「うん、私は全然大丈夫だよ。魔導服着てたし、先生の防護魔法で壁には当たらなかったから」
「そっか、良かった〜」
風音はニコニコと笑いながらお皿のカレーを全部食べ切った。
「あのね、風音」
アイリスはスプーンをお皿の上に置き、風音の顔を真っ直ぐに見つめた。
「ちょっと、話したいことがあるんだけど、この後いいかな?」
「うん? いいよ?」
「ありがとう。じゃあすぐに食べちゃうね」
そう言ってアイリスはお皿のカレーをパクパクと急いで片付けた。
食事を終えて一休みすることなく、アイリスは風音を連れて二階のバルコニーへとやってきた。すでに太陽が落ち切って、空は月明かりに照らされてぼんやりと紺色に染められていた。風音はバルコニーの端に駆け寄り、柵に手をかけて周りの景色を眺めた。
「わ! 校舎が見える! 窓の明かりがなんだか綺麗だな〜。わあ〜上から見ると本当に木が沢山あるんだね! 森みたいだ」
初めてみるバルコニーからの景色に、風音は散歩に連れて行く時の子犬のようにはしゃいでいた。そんな風音をアイリスは後ろから見つめていた。
「それで、話ってなあに?」
風音がくるりと後ろを振り返ってアイリスの方を向いた。アイリスは何だか浮かない顔で足元に目を落とした。
「あのね、風音……」
「うん?」
「どうしてあんな危険な魔法を使ったの?」
アイリスの問いに風音はうーんと考え込んだ後、笑顔で答えた。
「魔法はね、魔法使いを壊せば無くなるんだよ」
風音はパンと胸の前で何かを押しつぶすように両手を合わせた。
「魔法を使う前に魔法使いを壊せばいい。そのためにはとにかく速く動けばいいんだって」
「で、でも、そんなことしたら風音の体が壊れてしまう! そんなのダメだよ!」
「そうなんだよね、速く動くと体が動かなくなっちゃう。だから鍛えてるんだ!」
風音は両腕を力コブを作るように曲げてみせた。
「それでも……危険な魔法の使い方はダメだよ……。どうしてそこまでして勝ちたかったの?」
アイリスは胸の前で手を組み、悲しそうな顔で風音を見た。その顔を見た風音は少し困った顔をして空を見上げた。
「アイリスは友達だから、教えてあげるね」
その時、風音の笑顔を覆い隠すように、流れてきた雲が月明かりを遮った。その闇の中で風音は頭のサイドテールをいじりながら話し始めた。
「今日、アイリスのすごい魔法を間近で見て思ったんだ。魔法ってすごいんだな、色んなことが出来るんだなって」
風音の目がアイリスを視界に入れた。まるで忌むべきものを見るようなその目は冷たく深かった。
「でも、やっぱり壊さなきゃとも思ったんだ」
その声はいつもの風音とは違い、無機質で冷たかった。
「私はね、魔法が嫌いなんだ。そして、魔法使いが、憎い」
月明かりが消えたバルコニーを覆う暗い闇よりも、更に深い黒で染まった風音の冷たい眼差しがアイリスの姿を突き刺した。アイリスはその目の昏さにたじろぎ、一歩後ずさった。
「な……んで?」
「私のお母さん、魔法使いに殺されたんだ」
風音の告白に、アイリスは息が詰まった。
「でもね、あの時のお母さんの顔は安らかだった。死ぬことは苦しいことじゃないんだって思ったんだ」
アイリスは風音と初めて会った時の事を思い出した。あの時、小鳥を抱いていた風音は、本当は小鳥を——
「それでも、魔法は私の好きだったものを殺した。魔法使いが私の好きだった時間を壊したんだ」
風音が空を見上げた。そして空の彼方にいる何かに届かせるように小さな手を伸ばした。
「私は魔法を殺したい。魔法使いを壊したいの」
風音が伸ばした手をぎりりと音が鳴りそうなほど力一杯握った。そしてその手を下ろし、アイリスへもう一度向き直った。空の雲が風に流され、月が顔を出した。
「わたし、復讐するんだ」
嗤っているような、それでいて泣いているかのような風音の顔は、月明かりに照らされとても綺麗だった。そしてアイリスを、いや、魔法使いを見つめるその冷たく昏い瞳にアイリスは飲み込まれそうだった。
「わ、たし、は……」
風音の雰囲気に押し殺されそうだったアイリスは、必死に自分を取り戻して言葉を紡いだ。
「私は……人間では、ないの」
アイリスは意を決して風音を真っ直ぐに見つめた。
「私は、魔法によって作られた人工生命体、ホムンクルスなの」
「え!?」
アイリスの告白に風音は驚いた。魔法で人を造る、そんな非人道的な行為が行われる事を風音はどこかで聞いたことがあった。しかし、実際にそんなことが行われているとは信じられなかった。実際にアイリスがそうだと言われても、信じることはできなかった。
「うそ、でしょ?」
「本当よ。だから私は魔法の適性が高いの。魔法を扱うために作られた存在。それが私なの」
アイリスは身を切られるような辛そうな表情で続けた。
「だから、私は周りの人から認められていない。私は人間じゃないから」
いつもアイリスが一人だったのはそういうことだったのかと、風音は今になって思い当たった。確かに、こんなに綺麗ですごい魔法が使える子がいつも一人なんておかしい。風音は真っ黒なパズルのピースが組み上がっていくような気持ちになった。
「風音は、こんな、魔法でできた人間じゃない私も壊すの?」
アイリスは今にも泣き出しそうな濡れた瞳で縋るように問いかけた。アイリスの銀髪と瞳が月明かりで淡く輝いていた。
「……私はね、お父さんと約束したんだ」
風音が月のように優しい声で話し始めた。
「魔法学園に行って、色々な魔法や魔法使いを見てきなさい。そうすれば、きっと風音の心は変わる。そうしたら、もう一度自分がどうしたいのかを考えてみなさいって」
風音は父親を思い出して優しい顔になっていた。
「わたし、アイリスと出会って、魔法使いにもこんな優しい子がいるんだって思った」
その言葉に、アイリスの胸がつまった。
「アイリスが魔法で生み出されたって聞いてもそれは変わらないよ。アイリスは優しい女の子!」
風音は満天の星が輝く夜空を見上げた。
「お父さんの言ったことは本当かもしれない。色々な人を知れば、私の心は変われるかもしれないって思ったよ」
風音は星を掴むように夜空に両手を掲げた。そして風音は強い思いがこもった眼差しをアイリスへと向けた。
「それでも、私は魔法を赦すことはできない。私は、魔法を壊すマジカルブレイカーになる。……今はまだ、そう思ってる」
そう言うと、風音がアイリスに向かって真っ直ぐに右手を伸ばした。
「アイリス、私が変わるのを一緒に見守ってくれる?」
アイリスは恐る恐る両手を伸ばして、風音の手を取った。
「私も……私も本当は人に認められたい、生きていていいんだっていう証明が欲しい!」
アイリスが両手で風音の手を強く包んだ。アイリスの目から零れ落ちる涙が、月明かりに輝いた。
「風音がそう言ってくれるのなら、私も一緒に変わりたい! 自分のことを好きになれるようになりたい!」
「うん! じゃあ一緒に頑張ろう!」
「うん!」
風音が満面の笑顔でアイリスの手を優しく撫でた。
そんな二人を月は優しく照らし続けていた。
「アイリス! 早く! 遅刻しちゃうよ!」
「ちょっと待って! まだ時間あるから全然大丈夫だよ!」
アイリスが綺麗な銀髪にリボンを結びながら寮の玄関から出てきた。
「今日も実習があるから楽しみなんだ〜。早く行こう!」
「もう、あんまり張り切ると、また先生に怒られるよ?」
「大丈夫、今度はちゃんと手加減するから!」
そう言って風音はアイリスの手を取って歩き出した。アイリスは少し照れながら風音の横へと並んだ。
月明かりで誓い合った二人の闇を振り払うように、少女たちは朝日に向かって歩いていく。
そんな二人の魔法使いたちの物語が今、動き出した。




