12.初めての重傷者
モーリスはドワーフ隊のリーダーを呼び出した。
バージという名の、顔の下半分が黒いひげに覆われた中年のドワーフだ。ドワーフ族らしく、身長は低いが全身が筋肉の鎧で覆われている。
彼を呼んだのは、坑道掘りの状況を確認するためである。
「思っとったより地盤がゆるい。城壁の基部まで掘り進むには、まあ1か月ってところだ」
バージは司令官のモーリスに対しても遠慮なくものを言う。ドワーフたちは技術者として金で雇われているだけで、軍に所属しているわけではないからだ。
「遅い、20日でやれ」
モーリスがそう言うと、バージは激高した。
「若造がなめた口をきくな! ドワーフの仕事は早さよりも安全が優先だ! 無理な工事をして死人が出たら、あんたは責任を取れるのか!」
(戦争なんだから犠牲が出るのは当たり前だろうが)
バージの態度に腹は立つが、ドワーフを怒らせるわけにはいかない。モーリスは諭すように言った。
「あまり時間をかけるとトカゲどもが全滅するのだ。敵は予想以上に統制が取れている」
守備側に女しかいないならば、寒さで動きが鈍いリザードマンでも城壁を越えられるかもしれない。そう期待していたのだが、甘くはなかった。ガルズが言っていたように、士官学校を出た指揮官がいるのかもしれない。
「あんた、リザードマンたちに対してずいぶん酷な扱いをしておるようだな。あれじゃあ無駄死にだぞ」
「ハシゴ登りは坑道戦のカムフラージュのためにも必要なことだ。坑道を掘っていることを敵に知られたら、おまえたちも危険な目にあうんだぞ」
スネイカーはすでに坑道掘りを見破っているのだが、もちろん彼らはそれを知らない。
「ふん、トカゲたちがどうなろうと知ったこっちゃないが、わしらまで共犯にするのはやめてもらおうか」
「共犯だと?」
「少なくとも建前上は、リザードマンにも他種族と同等の権利が与えられとる。あんなひどい戦い方をさせとることが本国にバレたら、罪に問われかねんぞ」
「この遠征軍の司令官は私だ。戦いに関しては口を出さないでもらおうか」
「ふん、一応警告はしたからな。ドワーフ族に責任を負わせるようなことはするなよ」
バージは足音荒く、天幕を出て行った。
―――
共和国軍がハシゴ登りを始めてから、すでに3日が経過している。
敵は今日も日が沈む前に引き揚げていった。
地上にはリザードマンの死体が打ち捨てられている。共和国軍は死体を回収するつもりはないようだ。
スネイカーにとって、気が滅入る戦いだ。
(味方に対してひどい仕打ちをする。敵の司令官は冷酷な人物だな)
リザードマンたちには同情せざるを得ない。だからといって手心を加えるわけにはいかないが。
スネイカーは夜間の警備を当番の第5小隊に任せ、城内に戻ることにした。戻る前に小隊長に声をかける。
「ルイーズ、後は頼む」
「はい、お任せください! 将校殿はごゆっくりお休みください!」
隊長に手を振って階段を下りようとしたところ、去り際に後ろから女性兵士たちの話し声が聞こえてきた。
「隊長だけ名前を呼んでもらえるなんて、うらやましいです」
「仕方ないでしょ。いくら将校殿でも、300人も名前を覚えられるわけがないもの」
「ググは名前を覚えられたみたいですよ」
「悪い意味でね」
スネイカーが名前を知っている必要があるのは、下士官であるソニア、ジェイド、6人の小隊長ぐらいだ。一般兵士と話をすることはほとんどない。
(俺はもっと兵士たちと話をするべきだろうか?)
だが何を話せばいいのかわからない。女ばかりの集団の中に男が1人で入っていくのは抵抗がある。
(兵士たちも、俺に話しかけられると嫌がるかもしれない)
兵士たちの前では強い指揮官を演じねばならないので、どうしても威圧的になってしまう。指揮官と兵士が友達のように仲良くなるのは、よいこととは言えない。
それでも今日は主塔の自分の部屋に戻る前に、兵舎に寄ることにした。
そうする理由があった。今日は初めて重傷者が出たのである。
1人の兵士が腕に敵の矢を受け、戦闘中に後送されていた。すでに治療を終えているはずだが、様子を見ておきたい。
兵舎に顔を出すと、連絡を受けたジェイドがすぐにやってきた。
「スネイカー様、兵舎に御用ですか?」
「怪我をした兵士の様子を見ておきたいんだが」
「わかりました、ご案内します」
怪我をした兵士は個室に移されているそうだ。ジェイドに案内されて、その部屋に入った。
ほとんど家具のない殺風景な部屋だ。
部屋の中央にベッドがあり、そこに怪我をした兵士が横たわっていた。兵士にしては上品な顔立ちの少女だ。治療は終わったと思っていたが、右上腕の傷がむき出しになっており、見るからに痛々しい。
その近くには司祭とソニアが難しい顔で立っていた。
司祭がいるのは治療のためだろう。この城には専門の医師がいないため、代わりに司祭が医療を担当しているのだ。
「司祭殿、どんな具合ですか?」
「これはスネイカー殿。……実は、あまりよくありません」
司祭がすまなそうに説明した。「私が矢を抜いて治療を施したのですが、ソニア殿の見立てでは、矢じりが残ってしまっているそうです。私の腕が未熟なため、申し訳ありません」
体の中に矢じりが残ったまま放置すれば、後で感染症で死ぬ可能性が高い。矢じりを摘出するのは本職の医師でも難しいので、司祭が失敗したことは責められない。
「肉ごと切り出すしかないと思います」
ソニアは手にナイフを握って言った。「あたしがやります」
(とんでもないところに来てしまった)
ソニアならきっとうまくやるだろう。しかし麻酔など存在しないので、切られる者は地獄の痛みを味わうことになる。ググなら喜ぶだろうが、普通の人間には耐えがたいことだ。
怪我をした兵士はこれから行われることを想像して、顔色が真っ白になっていた。
「君、名前を教えてくれるか?」
スネイカーは兵士に優しく声をかけた。
「え? 私の名前ですか? えーと、マイラといいます」
「マイラ、耐えられそうか?」
聞いてから後悔した。無理でも耐えてもらうしかないのだ。
「……えーと、怖いです」
「そうか、無理もない」
「あの……将校殿にお願いがあるのですが、言ってもいいでしょうか?」
「なんでも言ってくれ」
「えーと……」
マイラは迷っている。「あの、やっぱりいいです」
「マイラ、それはないでしょう」
ジェイドが注意した。「そこまで言ったのなら最後まで言いなさい。怪我人なので、今なら何を言っても大目に見てあげます」
「わ、わかりました。それでは将校殿……」
マイラは覚悟を決めたように言った。「手を握っていてもらっても、いいですか?」
実にささやかな願いだった。
無事に矢じりを取り出したソニアは、止血をしてから傷口をワインで洗った。
あまりにも手際がいいため、手術はあっという間に終わっていた。
「腱は切ってません。治れば、また普通に腕を動かせるようになると思います」
「そうか、よくやったソニア」
ソニアをねぎらってから、白い顔の少女に声をかけた。「マイラ、君もよく頑張ったな」
「はい」
以外にもしっかりした声が返ってきた。
マイラは悲鳴は上げたものの、よく耐えた。華奢な左手で、ずっとスネイカーの手を握っていた。
スネイカーはその手を最後まで離さなかった。今も離していない。
(今回はこの程度で済んだけど、四肢の切断が必要になることもあるかもしれない。そしていずれは戦死者も出る)
まだ戦死者が出ていないのは幸運と言っていい。今後の戦いを想像すると、心が暗くなる。
なぜか嬉しそうに微笑んでいるマイラの手を握りながら、スネイカーは蛇神ムーズに祈った。
(早く援軍が来てくれますように)
―――
スネイカーから援軍要請の書状を託された伝令は、途中で馬を3度乗り換え、寝る間も惜しんで駆け続け、王都スネークデンにたどり着いた。
彼は服装を整えることもせず、すぐに王への面会を求めた。
そこで多少のすったもんだはあったが、無事に王に書状を手渡すことができた。伝令はしっかりと自分の任務を果たしたのだ。
国王リンカルスはゆったりと玉座に腰を下ろし、スネイカーから届いた書状を読んでいる。
伝令は片膝をついたまま、王の言葉が発せられるのをじっと待っている。
玉座の間に居並ぶ家臣たちも、ペルテ共和国の侵攻という非常事態を前にして、緊張の面持ちで王を見守っていた。
「レイシールズ城に残っているのは新任将校のスネイカーと、女の兵士が300人だけか」
リンカルスは書状に目を落としたまま、独り言のように言った。
彼は5年前に即位し、現在は38歳の男盛りだ。のっぺりとした締まりのない顔で、威厳を出すために薄いひげを無理に伸ばしてはいるものの、あまり効果は出ていない。
世間の評判では冷酷とされることが多い王だが、それは彼の父親である先王タイパンと比較されてしまうのも理由であろう。
「すぐにレイシールズ城に援軍を送る手配をしましょう」
王の隣に控えていた宰相のウォーレンがそう提案したが、
「いや、援軍は出さぬ」
リンカルスは顔を上げると、意外なことを言った。
「レイシールズ城など、くれてやる。共和国軍を領内の奥深くまで引き入れ、補給線が伸び切ったところを叩けばよい。諸侯たちにも兵を出すように呼び掛けよう。あいつらが素直に命令に従うかどうかは、あやしいがな」
「お、お待ちください陛下!」
伝令は必死で翻意をうながす。なんとしても援軍を出してもらわねばならない。
「今ごろレイシールズ城では、スネイカー殿を指揮官として防衛戦を行っているはずです! 王都から援軍が来ることを信じて戦っているのです!」
「そりゃそうだ。そいつらは戦うのが仕事だからな。城が落ちるまで少しでも時間を稼いでくれれば上出来だ」
あまりにも冷たい言葉に、伝令は息をのんだ。それでも黙っているわけにはいかない。
「陛下、1500人以上の騎士と兵士が卑劣な不意打ちで殺されたのです。レイシールズ城が落とされれば、彼らも浮かばれないでしょう」
「殺される方が間抜けなのだ。最前線の城を守っているというのに、のん気に模擬戦などしようとするからだ」
伝令は返す言葉がなかった。
代わって群臣の1人が意見を述べる。
「陛下、共和国軍を領内に引き入れて戦うとおっしゃいますが、それでは領内の町を占領され、そこを拠点にされてしまいます」
「拠点にされぬように町を焼き払う。住民たちは移動させればよい」
これには宰相のウォーレンが反論する。
「簡単に言いますが、住民たちの受ける被害は計り知れませんぞ。レイシールズ城の者たちも皆殺しにされるでしょう」
「それがどうかしたのか? 国のために犠牲となるなら本望だろう」
王の非情な言葉に、玉座の間が静まりかえった。
「陛下のおっしゃること、理解できなくもないのですが、どうか言葉を選んでください」
群臣の1人がやんわりと諫めた。「その言葉を将兵が耳にすれば、彼らはどう思うでしょうか?」
別の家臣は、もう少し強い口調で諫言した。
「王たる者には仁愛の心が必要です。タイパン様なら、そのような言葉は決して口にしなかったでしょう」
先王の名前を出され、ついにリンカルスの堪忍袋の緒が切れた。
「やかましい! 貴様ごときに王の道を説かれる筋合いはない! 衛兵! その無礼者を牢に入れておけ!」
王の命令により、その家臣は衛兵に引っ立てられていった。
「私は大局を見て判断しているのだ! 将校や兵士の命よりも、ペルテ共和国との戦争に勝つことの方が重要だ! それがわからぬのか!」
リンカルスは最後にそう言い残し、玉座の間を後にした。残された家臣たちは天を仰いだ。
戦争に勝つことは、もちろん重要なことだ。
だが大局的に考えるならば、レイシールズ城はなんとしても助けるべきだった。
なぜなら、そこには今後のサーペンス王国を背負って立つはずの、最強の軍事指揮官がいるからである。リンカルスはそのことを理解していなかった。
代わりに、スネイカーの天才を理解している者たちが動くことになる。




