13.花の第8期
近衛兵の1人が、1頭の馬と共に王城を出て行こうとしていた。
「おいリヴェット、どこへ行くつもりだ! まだ勤務時間中だぞ!」
リヴェットと呼ばれた女性兵士は、怪訝な顔で振り返った。
「ん? ああ、なんだ兵士長か。なんか用か?」
「なんか用かじゃない! その恰好はなんだ! 近衛兵の制式装備はどうした!」
リヴェットが身に着けているのは丈の短いチュニックとズボンだけ。背中には巨大な槍を背負っているが、これは彼女の私物である。
「装備ならさっき返してきた。あたしはもう近衛兵をやめたんだ」
「やめただと!? 俺は聞いておらんぞ」
「ああ、めんどくさいから辞表は書かなかった」
「はぁ!? 勝手に出て行ったら脱走と変わらんだろうが!」
「へへっ、悪い悪い。あんたの方で適当に処理しといてくれよ」
リヴェットは屈託のない笑みを浮かべて言った。
兵士長はため息をついた。彼女は体つきは立派でも、中身は子どもと変わらない。
「なぜやめるんだ? 近衛兵は誰もがあこがれる役職だというのに」
「あたしはもう、王を守るために働くのは嫌なんだ。あんたも玉座の間で、リンカルスの言葉を聞いてただろ?」
「お、おい、陛下を呼び捨てにする奴があるか!」
兵士長があわてて注意するが、彼女は気にする様子もない。
「リンカルスは兵士のことを、藁でつくった案山子のようにしか思ってないんだぞ? そんな奴になんで敬意を払う必要があるんだ?
そもそもあたしは近衛兵になんかなりたくなかった。士官学校で学んだんだから、てっきり将校になれると思ってたのによ」
「おまえは卒業しておらんからだろうが。『花の第8期』の唯一の落第生のくせに、何を偉そうなことを」
リヴェットは王立スペイサード士官学校でスネイカーの同期生だった。しかし成績が悪かったため、卒業はできなかった。
「むう、あたしは筆記試験は苦手なんだよ。槍と馬術なら誰にも負けねえんだが」
リヴェットは気まずそうに頭をかいた。「でもあたしの仲間たちは、どいつもこいつもすげえ奴らなんだ。特にスネイカーは別格なんだよ。あいつが助けを求めてるんなら、行かねえと」
「ひょっとしてレイシールズ城に行くつもりか? おまえ1人で行っても何もできんだろう」
「そんなことはねえさ。この蛇矛とトレイターがある限り、どんな大軍だろうと蹴散らして見せる」
蛇矛というのは、彼女が背負っている槍のことだ。刃の部分がヘビのようにくねくねと曲がっていることから、そう呼ばれる。
トレイターというのは、彼女が手綱を引いている黒毛の馬の名前だ。
リヴェットは鐙に足を掛け、トレイターの背にヒラリと飛び乗った。ただそれだけの動作が見惚れるほどに美しいのが、兵士長にとってはしゃくにさわる。
「あたしは落ちこぼれだけど、仲間たちからは『暴風』なんて異名をつけられてたんだぜ。1人でもきっとなんとかなるさ!」
明るい声でそう言うと馬に拍車を入れ、王都の街路を風のように駆けていった。
―――
スネイカーは王都以外にも、同期生が配属されている城に援軍要請を送っていた。グレイスロー城も、その1つだ。
「城主殿、レイシールズ城から援軍要請が届いたそうですね。どうなさるおつもりですか?」
城主の部屋を訪れてそう尋ねたのは、花の第8期の序列第4位、『堅実』の異名を持つフィディックである。
軍人にはまったく見えない、人の好さそうな外見だ。
将校は平時でも帯剣している必要があるのだが、彼は「重いから」という理由で剣を部屋に置きっぱなしにしているような男である。
「王都に使者を送り、援軍を送ってもよいかどうか確認するつもりだが」
城主のジュリアスは当然のように答えた。
「勝手に軍を動かしてはいけないことになってるからですか。うーん、でもそれじゃ困るんですよねえ」
フィディックは髪をボリボリとかきむしった。部屋にフケが飛び散り、ジュリアスは苦い顔をした。
「私の決めたことに、何か文句があるのか?」
「城主殿が保身を第一に考えるお気持ちはよく理解できますが、王都から返事が届くのを待ってたら遅すぎるんですよ。僕に兵士を100人貸してください。その程度の人数なら、軍事行動とはみなされないでしょう」
「ダメだ。許可できない」
「そうですか、それは残念です」
さして残念でもなさそうに飄々と答えると、懐から書類の束を取り出し、ジュリアスの机の上にそっと置いた。
「なんだ、これは?」
「それは、ここ3年間のグレイスロー城の収支を記録した帳簿です」
フィディックはニコニコと笑みを浮かべて答えた。「僕は読んでいて不思議に思いましたよ。城主殿は御料林長官に対して12回、計200マニーもの金銭を支払っておられますね? なんでそんな金を払う必要があったんですか?」
御料林長官とは、王家が所有する森林を監督する役人だ。違法な伐採や密猟を取り締まるのが役目である。
「き、貴様、そんなことをコソコソと調べておったのか……?」
「書類仕事は将校の重要な務めですから。もちろん兵士たちにもしっかりと話を聞いてますよ。城主殿は近くの森で、何度も狩りを行っていたそうですね。御料林長官に金を払っていたのと同じぐらいの時期にです」
ジュリアスの顔色が青ざめていく。
彼は立ち入り禁止の御料林で狩りを行い、それを黙認してもらうために御料林長官に賄賂を送っていたのである。
このことが王家に知られれば、処罰はまぬがれない。
「わ、私を脅すつもりか?」
「滅相もありません。僕はこの国にとって何が最善かを考えているだけです」
「レイシールズ城を助けるべきだと言うのか?」
「ええ。あそこにはスネイカー君が配属されてるんですよ」
「貴様の同期生の、席次が第1位の男か」
「彼は間違いなく出世するでしょうから、今のうちに恩を売っておいた方がいいですよ」
ジュリアスはうなった。フィディックのような目端のきく男が言うならば、そうかもしれないと思ってしまう。
「100人なら貸してやってもいい」
ジュリアスは折れた。「行ってこい。その程度の人数で、何ができるかは知らんがな」
「ありがとうございます」
フィディックは慇懃に頭を下げた。
ジュリアスは机の上の書類の束を見て、ぼやくように言った。
「目的のためなら上官を脅すか。『堅実』よりも『陰険』の方が貴様には似合ってるぞ」
―――
エステルはサーペンス王国で唯一の女性騎士である。
13歳の時に初めて戦場を経験して以来、多くの戦闘で勝ち続け、士官学校に入る前から『常勝』の異名を持っていた。
そんな彼女ならば、士官学校を首席で卒業するだろうと誰もが思っていた。しかし彼女にとって不運なことに――あるいは幸運なことに――同期にスネイカーがいたため、序列2位にとどまることになった。
彼女が配属されているダーナン城にも、スネイカーからの援軍要請が届いた。
しかし城主のダンカンはそれを黙殺した。スネイカーが平民出身の将校であるため、要請に応える気にならなかったのである。彼は昔ながらの騎士であり、平民のことなど塵芥のようにしか思っていなかった。
そんなダンカンに対し、エステルは黙っていない。
「サー・ダンカンは勘違いをしておられるようだ」
城主の部屋を訪れたエステルは、蔑むような口調で言った。
「これはつまらない個人的な感情で判断すべき案件ではない。もしここでスネイカーを失うようなことがあれば、この国は10年も経たずに共和国に支配される。そうなればあなたの騎士の称号も剥奪されるぞ」
「そんなバカなことがあるか!」
ダンカンも感情的になって言い返す。「サーペンス王国は騎士が守る国だ! ペルテ共和国のような平民が治める国に支配されるわけがない!」
「何の根拠もない発言だな」
「貴様の言うことにも、何の根拠もないだろう!」
「強力なペルテ共和国の軍を撃ち破れる人間は、スネイカー以外にいない。この私、常勝のエステルが言っているのだから、間違いはない」
あまりにも傲岸不遜な発言に聞こえるが、彼女は本気でそう思っている。だからこそ、妙な説得力がある。
エステルは生まれながらの女王のように、自然に人の上に立ってしまう。そして彼女に命令された者は、素直に従いたくなってしまうのだ。
地位も年齢もはるかに上のダンカンとはいえ、彼女に切れ長の目でにらみつけられると、ひれ伏してしまいそうになる。
しかし彼にも意地がある。
「と、とにかく、この城からは一兵も出さんからな!」
頑ななダンカンの言葉に、エステルは舌打ちをした。
彼女は騎士とはいえ領地は所有しておらず、自分の意志で動かせる軍隊を持っていない。ダンカンから兵を貸してもらわなければ、戦うことができないのだ。
「そうか。では私が自前で傭兵を雇用して援軍に向かう。それならあなたも文句はないな?」
「はん! 貴様の財力で雇える傭兵など200人にも満たんだろう。1万人の敵を相手に何ができるものか」
「そうだな。いくら私でも、さほど役には立てないだろう」
エステルは認めた。「だがここで動かずにいれば、私はスネイカーに合わせる顔がないのだ」
そう言うと鋭く踵を返した。深紅の長髪がフワリと揺れた。
「すぐに出発する、10分以内に支度しろ」
エステルは自室に戻ると、従騎士のマシューに命令した。
「そんな無茶な」
「無茶でもやれ」
「へいへい」
逆らっても無駄なことがわかっているマシュー少年は、急いで準備を始めた。
「あの、聞いてもいいっすか?」
「なんだ?」
「えーと、その、スネイカーって人はサー・エステルにとって、どんな存在なんすか?」
「なぜ、そんなことを聞く?」
「いえ、ちょっと参考までに」
「ふむ、そうだな……私にとってスネイカーは、あこがれであり、ライバルでもあり……」
エステルは2人の関係を表す、もっともふさわしい言葉を思いついた。
「親友だ」
―――
サーペンス王国には4人の諸侯がいる。
諸侯とは王家より封土を与えられた大貴族で、広大な領地と強力な軍隊を持っている。王家に忠誠を誓ってはいるが、その実体は独立国の君主に近い。
その4人の諸侯の内の1人、ダンフォール公の居城がある公都コーンプールにも、スネイカーは援軍要請を出していた。ここにも士官学校の同期生がいるからである。
「父上、私が援軍に向かいます。連れて行くのは私の手勢だけで構いません」
ダンフォール公の前でそう宣言したのは、公の長男のリンクードである。花の第8期の卒業生の1人で、その序列は第3位だ。
光を放つ黄金色の髪と、透き通るような青い目。たぐいまれな美貌によって世の女性たちの憧れの的になっている彼だが、優れているのは外見だけではない。
学問、武芸、芸術など、あらゆる分野において非凡な才能を示している。
正義感が強く、弱者に対しては慈悲深く、性格も非の打ち所がない。
その万能ぶりによって、同期生たちからは『完璧』の異名を与えられていた。
「おまえの手勢は、わずか300人にも満たぬであろう」
「数は少なくとも、一騎当千の強者たちです」
「わざわざ危険を冒して、王家のために援軍を出すと言うのか?」
ダンフォール公は乗り気ではなさそうだ。
自分の領地の経営で手一杯な状況で、王領にあるレイシールズ城に援軍を送る気にはなれないのだろう。リンカルス王に対する不信感もある。
「私は王家が運営する士官学校で学ばせてもらいました。学費の補助まで受けています。その恩を返さねばなりません」
「ささやかな恩だが、恩には違いないか」
ダンフォール公は不承不承うなずいた。「だがそもそも、士官学校になど入る必要はなかったのだ。おまえなら独力で立派な指揮官になれただろうに」
「いえ、士官学校に行かなければ、私は井の中の蛙のままだったでしょう。王領には、私など及びもつかない天才がいたのです」
「それがスネイカーだというのか? 聞くところによると、軍人らしからぬ臆病な性格とのことだが」
「臆病であることは指揮官にとって重要な資質である、と私は思います。臆病であるからこそ、どんな状況でも適切な判断ができるのです。勇ましいだけの指揮官は、兵士を死に追いやる指揮官です」
「それがダメとは言い切れんだろう。戦闘において敗北が決定するのは、指揮官が兵士の死に耐えられなくなった時だ。犠牲を出しても踏ん張って戦い続けることが、勝利をもたらすのだ」
「それで得られるのは戦術的な勝利です。戦略的な視点に立てば、兵士の死は国家の継戦能力の低下を招き、戦闘で勝っても戦争で負けることになります」
「戦術的勝利を目指すのが軍人の仕事ではないのか?」
「もちろんそうですが、スネイカーはもっと大きな視点から戦争をとらえることができる男です。レイシールズ城防衛戦のような小さな戦闘で、彼を失うことがあってはなりません」
「ずいぶんと買いかぶっているのだな。スネイカーは首席だったかもしれんが、おまえとて『完璧』と呼ばれるほど評価されていたのだろう?」
「その恥ずかしい異名をつけたのはスネイカーです。完璧な人間などいるはずがないのに……」
リンクードは眉をひそめて言った。「だから私も仕返しに、スネイカーにふさわしい異名をつけてやりました」
「どんな異名だ?」
「考えたのは私ですが、同期生の全員が賛成してくれました。彼の異名は――」
リンクードは口元に軽い笑みを浮かべて答えた。
「『軍神』です」




