■第五章 命運《ディスティニー・》奏者《コンダクター》の帰還
■第五章 命運奏者の帰還
結局俺は誤嚥性肺炎、つまり飲んだ水で起こした肺炎で一週間入院した(まあ、これで死ぬこともあるから莫迦にはできない)。その間千佳は毎日授業のノートと弁当を持って見舞いに来てくれたのだが、ふたりともついぞ夢を見ることはなかった。
これだけの間、ふたりして夢を見ないというのもおかしな話である。特に、俺などは悪夢にうなされてもおかしくないのに夢も見ずに眠っているのだ。
正確に言うとふたりとも寝ている間の意識がないのである。布団に入って瞬きをするともう次の朝、という現象がふたりともに一週間続けて起きている。おかしい。
そのせいか、疲れが溜まったような気だるさが残っている。睡眠というか、夢が心身のバランスにこれほどまでに影響するとは思っていなかった。
そして季節はアブラゼミの初夏からミンミンゼミの盛夏に変わり、今日は退院の日だ。千佳にはまだ『悪夢のような現実』のことは話せていない。今日こそは、今日こそは、で一週間が過ぎてしまった。
これ以上黙っていることは「どんな苦難も共に乗り越える覚悟」とまで言ってくれた千佳に対する裏切りだ。今日こそ告げなくてはならない。
でもこの笑顔を見ちゃうと決心が揺らぐなぁ。今日で退院だからってにこにこと微笑んでる千佳。本当に上機嫌で、想像上の尻尾を仔犬のようにブンブン振っているのが見えるようだ。
これからこの笑顔を曇らせなくちゃならないなんて、神様は本当に残酷な運命を俺に課したものだ。
「あのさ、千佳」
「なあに? キョオちゃん」
にぱっ、と千佳は太陽のような素晴らしい笑みを浮かべて答えた。甲斐甲斐しく俺の荷物をまとめながら。
「いや、その……後でな」
あああ、肝腎なところで俺の意気地なし……。こういう時のタイミングの取り方なんて、みんなどこで学ぶんだろうね。少なくとも今の俺には無理だ。
「キョオちゃん、どうかな。見た目はだいぶ良くなったと思うけど……」
所変わって俺の家。俺はどさくさに紛れて千佳を家に招いた。女の子を家に呼ぶなんて、小学校低学年のお誕生日会以来だぜ。そういえば、その中にかおりもいたのかもしれん。
で、今、俺は千佳が作った弁当を食っている。俺が入院した翌日が最初の弁当だったのだが、日を追うごとに上手く美味くなっている。千佳には料理の才能があるんじゃないのかな。
千佳も夢を見れないで体調は良くないはずなのに、頑張ってて偉いよなぁ。
「うん、どんどん美味しくなってる。千佳、才能あるよ」
「えへへー、良かった。ありがとう、キョオちゃん。キョオちゃんのおかげだよ」
「千佳が頑張ってるからだよ。偉いのは千佳だ。俺じゃない」
「でもキッカケを作ってくれたのはキョオちゃん。だからありがとう」
照れ笑いする千佳。可愛い。本当に可愛いよ。なのに、ごめん。その可愛い笑顔を消してしまう秘密を、俺は隠してるんだ。
もう千佳に隠し事をしたくないというのに、意気地のない俺はその笑顔を失うのが怖くて、結局また隠し事をしてしまう。そんな情けない俺なのに千佳は好いていてくれる。
申し訳なくて涙が出そうだよ。あ、出た。
「キョオちゃん、ごめん! 美味しくなかった? 玉ねぎしみた?」
「いや、違うんだ。悪いのは俺の方なんだ。俺、千佳に言わなきゃいけないことがある」
「そういえば退院前、何か言おうとしてた。後でって」
「うん、それなんだけど。実はさ、俺……」
ついに来てしまった。千佳に『悪夢のような現実』のことを話さなければならない、その瞬間が。俺は真顔で千佳を見つめて告げた。
「俺、脳腫瘍なんだって。溺れた時の検査で見つかった」
「え? キョオちゃん?」
そう言ったきり、千佳は押し黙ってしまった。そしてしばらくの絶句のあとで、絞り出すように、呟くような小さな声で訊ねた。
「嘘……でしょ……脳腫瘍……だ……なんて……」
「本当だ。俺の頭の中には脳腫瘍がある。見つかるのが早かったからまだ良かったそうだ」
「まだ良かったって、治るの? キョオちゃん、死なない?」
「……分からない。症状がまだ出ていないから手遅れじゃないってだけで、手術する場合顔の骨を外さにゃならん位置だそうだし、重粒子線治療とやらは保険が効かないから高価くつくらしいし。地道に抗がん剤と放射線しかないらしい。5年生存率は50%だって言うが、それが高いのか低いのか俺には見当がつかんよ」
「5年以内に死んじゃう確率が1/2なんて、高いよ、高すぎるよ!」
ああ、やっぱり泣かせちまった。滂沱の涙っていうのかな、涙腺が壊れたかのように大粒の涙をボロボロと流す千佳をそっと抱きしめて涙を拭ってやる。
「いやだよキョオちゃん、そんなのいやだ!」
「俺だって嫌だ! 俺、まだ死にたくない! 千佳をおいて逝きたくなんかない!」
「私……私、お婆ちゃんになる!」
「お婆ちゃん?」
「縁側でネコ抱いて! お茶飲んで! 日向ぼっこして!」
「……! ああ、そうだな。そうなりたいな」
「孫にお小遣いあげて! 嫁の文句言って! お爺ちゃんになったキョオちゃんと一緒の……一緒のお墓に入るの……」
一緒の墓って、それは――思いがけず千佳からプロポーズされてしまった。俺としても異存などないのだが、5年生存率が50%というのはやはりつらいな。もし俺が死んだあと千佳の人生を縛っちまうんじゃないかと思うと……その『もし』の可能性が50%か……堪らんな。
丁半博打は得意だったんだが、今の俺はただの高校生なんだ。以前の俺なら1%以下の確率でも賭けていただろうが……。臆病になったのかも知れないな。
「千佳、ありがとう。俺もそうなりたい。でも……」
「キョオちゃん、子をなそう!」
「はあ!?」
「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならないっ!」
「民法だっけ? 憲法だっけ? ちょっと待て千佳、暴走してるぞ!」
「合意は形成済み。キョオちゃんは責任を取る責任がある」
「千佳さん? 混乱してませんか?」
「だって! だって! 混乱するなって方が難しいよ! 私、学校辞める! キョオちゃんのお嫁さんになる! キョオちゃんが死ぬまでそばにいる! キョオちゃんの赤ちゃんたくさんたくさん産む!」
千佳は泣きじゃくった。こういう時、先に暴走されてしまうと残された方はその分冷静になれるものらしい。
だが、情けないことに、押し倒さんばかりにすがり付く千佳をなだめる良いセリフが出てこない。
脳裏に浮かぶのは「俺の人生半分やるから等価交換」とか「据え膳食わぬは男の恥」とかの肯定パターンばかりだった。俺、最低。
「キョオちゃんっ! 私のこと本当に愛してる? ちゃんと私の目を見て話して!」
俺は思わず眼帯に覆われていない千佳の左目をのぞき込んだ。
鳶色の瞳に、緊張ガチガチの不恰好な俺が映っている。思わずドキリとした。この「ドキリ」が積み重なって「好き」という感情が育っていくんだろうな。照れくささに紅潮した頬が燃えるように熱かった。
その気配を感じ取ったのか、チカも私の瞳を見つめ返し静かに目を閉じる。私はチカのおとがいに軽く手をさしのべ、その桜のような唇に私の唇を重ねようとした――。
「こんなの俺じゃねえ!」
ガツン! 俺はとっさに唇と唇ではなく額と額を、音が立つほど激しくぶつけた。
「あぅ~、キョオちゃん、痛い~」
千佳が抗議の声を挙げる。だが切羽詰まった俺にはあまり余裕はなかった。
「すまん、この埋め合わせはいずれ必ず。それより、誰だ? 俺の精神を乗っ取りやがった奴は!」
これは完全に私のミスだ。キョオの精神支配が破れ、チカに頭突きを食らわせてしまったことに動転していたのである。だか私はその問いに答えるべきではなかったのだ。
「なぜ私を認識できる? 私はお前と融合して不可分の合一体となったはず!」
「馬鹿め! 俺がこんな軟派な真似する訳ないだろうが!」
俺は自分がストイックな硬派であることを自認している。それが誇りで恰好良いのだ。
そして私は私が更に犯したミスに気付いた。私はキョオと会話してしまったのである。すなわち、キョオに私をキョオ自身ではない『異物』であることを認識させてしまったのだ。
「キョオちゃん、どこかから声がする!」
チカにまで認識されてしまった。もはや認識外で秘密裏に事を運ぶことはできない。突然の逆転劇に驚き、対処に困った私は口を閉ざすことにした。
「その声、聞き覚えがある! お前、臨死体験の時の影だな? 『世話を焼かすな』とはどういう意味だ!」
答えはない。俺は奴の言葉を考えてみた。不可分の合一体? 融合? 臨死体験の時までは俺と奴は別の存在だったはずだ。融合したのは夢を見なくなった時からだろうか?
「キョオちゃん、今の、誰?」
「判らん。だが、最近の超常はおそらく奴の仕業だ。そして奴は俺に憑依している」
「幽霊?」
「幽霊なら融合とは言わないだろう。別の『何か』だ。ともあれ俺には憑依される理由が思い当たらないんだがな」
「キョオちゃんの『能力』が目当て? 不可分の合一体の筈が、分裂したこととは無関係じゃないと思う」
千佳が指摘した俺の能力は……俺の能力は確率変動だった。
昔、親父に連れて行かれたパチンコ屋で開眼した、物事の発生確率を操作する能力だ。かつて千佳の手術費を捻出するために使い、手術の成功確率を操作した時に使い果たした能力である。それが蘇った? 無意識に『合一体を維持できなくなる可能性』を操作したというのだろうか……? 何かが噛み合った音がした気がする。
「千佳、俺、助かるかも知れない。30%の千佳の手術もモノにできたんだ。50%なら楽勝だ。そうでなくとも奴は俺を死なせたくない筈だろ? 治さざるを得ない筈だ」
「うん、命運奏者が復活するなら超常者に目をつけられても不思議じゃない。あの力は世界の趨勢をも左右する」
「久々にその名で呼ぶか、面はゆい。だがこの力を欲するものには福音であり、恐れるものには呪いにもなろう……我が身を欲する『奴』は肯定派か……いや、融合に不都合ならば否定派か? だとすると能力と融合しようとした理由は別……あれ? 余計分からなくなったな」
うむ、久々の中二病モードは長続きしない。牙は折れたのだろうか? 心は萎えたのだろうか? つかの間の平和が俺の中の虎を眠らせていた気がする。俺は自分に「俺は最強の能力『確率変動』の使い手・命運奏者なのだ」と言い聞かせ、心を奮い立たせた。
そして千佳に向き直り、改めて感謝の意を告げる。
「謎がすべて解けた訳じゃないが、千佳のおかげでまた一歩進めたみたいだ。ありがとうな。それと、もうひとつ。千佳とキスしようとしたのは奴だ。シチュエーションに便乗しただけなのかもしれないが、アレがなければ俺との融合は解けなかったかもしれない。ごめんな」
千佳の頭に手を載せ、軽く撫でてやる。気持ちよさげに目を細めた千佳は上目遣いにこう答えた。
「キョオちゃん、私とキスしたくなかった?」
「莫迦、あのシチュエーションでキスしたら、それだけじゃ終わらなかっただろ」
「『まだ早い』って思ってる?」
千佳が微笑みながら問い詰めてきた。千佳はさっきまでの取り乱し方が嘘のように落ち着いている。先週の喧嘩のことを思い出してちょっと詰まったが、俺は正直に思った通りのことを告げた。
「……学校、辞めるなんていうなよ。そういう関係になるのが早いとはもう言わないけど、学校を辞めるのは早まった結論だと思うぞ。それに奴は俺とまだつながってる。千佳とのことを奴と共有するのは願い下げだ」
「じゃ、『埋め合わせ』はまだ先?」
「俺と奴が完全に分離したのを確認するまでは、俺は嫌だな。『両性の合意のみに基づいて成立し』だっけ?」
「むぅ、仕方ない。早くあの人を追い出す方法を考えよう」
千佳はちょっと唇を尖らせていた。超常と日常の境目を越えたにしてはいささか緊張感に欠けるきらいがあるが、恋とはそういうものなのかも知れないな。
「私ね……私ね、ホントはすごくすごく怖かったんだよ。キョオちゃんが死んじゃうって。プールの時も。あんなの、もう、嫌だ」
またもやうっすら涙を浮かべながら、同時に微笑みを浮かべながら千佳が囁く。
「千佳……」
「もう死んじゃダメ。絶対死んじゃダメだからね」
「いや千佳、俺だっていつかは……いや、そうだな。もう死なない。一生死なない」
「んふ……じゃ、私も死ぬまで死なない。ずっと一緒」
俺の胸に顔をうずめて少しくぐもった声で甘える千佳。ああ、その通りだ。ずっと一緒だ。
◆◆◆
千佳を家まで送り届けた帰り道、駅前の繁華街でふと思い立った。俺の能力『確率変動』が本当に復活したのかどうか、確認しようと考えたのである。要はパチンコ屋で勝てるのかどうか、だ。もちろん未成年がパチンコをするのは違法だ。だが不良の番長が法令遵守するいわれも無いだろう。今は私服だしな。
それよりも怖いのが慣れて恐れなくなってしまうことだ。小遣いが足りないからなどといってギャンブルで稼ぐことに慣れてしまうと、まともに働く精神を犯されてしまう。将来像とかについて真面目に考えた訳ではないが、プロのギャンブラーになってはいけない気がする。俺の『確率変動』は現実世界に対する卑怯なチートだからだ。
それも不安定で100%確実とは言えない。千佳の手術を成功させたときのように力を使い果たすこともある。むしろ能力が復活したこと自体、推論に基づく仮説でしかない。
中二病真ッ盛りの頃ならともかく、一度は引退した身だ。無理がどこまで効くかも分からないし、頼りすぎるのは禁物である。ともあれ。入店。
――チーン! ジャラジャラジャラ!
今どこまで『確率変動』が使えるのか? 『奴』との再戦に備えて武器の――能力の使い勝手を確認しておく必要はあるだろう。 俺は適当な台に着き、玉貸し機に金を投入した。ジャラジャラと音を立ててパチンコ玉が補充される。試しに数発、盤に放り込んでみる。
――チーン カシャ!
早速チャッカーに玉が飛び込む。テクニックでも理論でもない。本当に適当な運任せだ。詳しいルールは知らないが、盤上の穴にどんどん入れてやれば良いことだけはわかっている。ものの数分で出玉が溢れ、取り分の玉を入れる箱、通称ドル箱が必要になった。『確率変動』は本調子で使えるらしい。今日は軽い様子見だったから早々に切り上げ、出た玉は景品の熊の縫いぐるみに替えた。千佳にあげたら喜ぶだろうか。こういう場合は確率は関係ないから、いかに『確率変動』と言えども千佳が喜ぶ確率なんて操作することはできないが。
おそらく『奴』は今でも俺の精神と繋がっている。俺の能力が解放されたこともそれを確認したことも知っているだろう。というよりも『奴』に見せつける形で確認したというべきだ。
俺はもう無力ではない、そう簡単に俺をジャックできるとは思うな、というメッセージを込めた『奴』に対する挑戦状である。今度はこちらから攻める手番だ。
『奴』へのメッセージは送った。早ければ今夜にも夢で『奴』は返答するだろう。それを見越して今日は早々に眠るとしようか。夢を見られれば、の話だが。




