王子さまは美しく
角の丸い、鳶色の木目がくっきりと見える分厚い机が部屋の中央にある。その机には、黒の布地が張られた椅子が並んでいた。八人は座ることができる机に、肩をいからせる寺木と細い顎を上げた小柄な佐久山が、向かい合って座っていた。
大きな窓を覆う白いレースカーテンが春の風を受けて膨らむ。夕刻に近づいたせいか、風は随分と冷えている。開いていた窓を芳賀山が静かに閉め、濃い茶の細い金属製のバーを下へと落とし鍵をかける。
芳賀山の背後で、眼鏡をかけた生徒がポケットにいれていた手を出す。彼は椅子を引いて寺木の横に腰掛けた。途端、上がっていた寺木の肩が下がり、佐久山の顎が引いたのだ。
ブレザーのボタンを外して、その男子生徒は膝の上で手を組んだ。
「君たち、まだ仲良くできないのか」
寺木と佐久山が目を合わせる。眼鏡の男子生徒に向かって佐久山が口を開く。
「……先輩が何でいらっしゃるんですか」
佐久山は女性らしい丸みを帯びた肩を寄せて、テーブルの下へと手を潜り込ませる。
「今、生徒会長は芳賀山ですよね……?」
寺木はそう言うと、芳賀山を見た。芳賀山は、窓の前にある執務机を回り込み、鳶色の机の前に立つ。
「間違いないよ、寺木くん。二人とも驚いたかもしれないね。まだ四月になったばかりで前生徒会役員のサポートを受けているんだ」
芳賀山は、前生徒会役員へ頭を下げる。
「ありがとうございます。曽祢先輩」
曽祢はそれを受けて、軽く目を伏せる。
「問題ない。七々瀬も他のトラブルで出ていると聞いている」
「だからって前会長とは聞いてない……」
眼鏡の奥で、曽祢の伏せていた目がゆっくり開かれる。
「無知にもほどがある。役員が揃うまではまだ権限がある」
背もたれに預けた体重をそのままに、曽祢は隙なく平坦な声を発する。寺木と佐久山が目を合わせ、直ぐに目を伏せた。それを芳賀山は見て、指でそっと机へ触れる。
「寺木くん、ぼくが伝え忘れたこと、申し訳なく思うよ。新学期の全校集会で説明を十二分にできていなかったね」
「寺木、佐久山。ところで、生徒会の仲介が必要なほどに部長として部員の管理ができていないということか」
芳賀山の言葉が終わると同時に曽祢は問う。
「そんなことはありません」
佐久山と寺木が顔を上げ、声を揃え叫ぶ。
「何故、新学期早々にこのような場が?」
曽祢の問いに口を噤んだ二人をおいて芳賀山が目を細めた。静まり返る生徒会室に外から聞こえるわずかな運動部の声が響く。
寺木は俯き、佐久山は壁に並ぶファイルへ視線を置いている。曽祢は彼らの返答があるまで引き結んだ口を開かない。
分厚い机に触れた芳賀山の指が離れ、背筋が伸びた。
「ありがとうございます。曽祢先輩」
曽祢の手が、ブレザーのボタンを留める。そうして、立ち上がるとテーブルへ静かに手のひらをつける。踵を返し、曽祢は背を向けた。
「七々瀬は」
「七々瀬は副会長ですから大丈夫です」
燻銀に光るドアノブを回し、曽祢は出ていった。芳賀山はそれを見送ると、寺木と佐久山を見下ろす。
「ぼくは、君たちの管理能力を疑ったりしてないよ。大丈夫、何かあったらこうして相談してもらえたら問題ないからね」
柔らかい言葉をかけた芳賀山を、寺木と佐久山が揃って見上げた。微動だにせず、レースカーテンから漏れる橙色の日の光を受けて芳賀山は顎を引いて、彼らを見下ろしている。
ごく、と寺木の喉仏が上下し、佐久山が席を立つ。
生徒会室から、彼らが退室するのに一分もかからなかった。芳賀山はそれを見送り、壁面書棚に並ぶ半透明の分厚いファイルに手を伸ばす。目線より二段も高い場所にあったファイルを取り出して、彼は書棚全体を見渡す。
「……一年生たちには少し高いか」
そう言うとファイルへ視線を落とし、数枚の書類をクリアポケットから引き抜く。執務机へファイルを置くと同時に、とんとん、と生徒会室の扉を叩く音が響いた。その音に芳賀山は、書類を手に持ち扉へと体を向ける。
一拍置いた後、芳賀山の返事を待たずに扉が開き、七々瀬が姿をあらわす。
「失礼します……」
会釈し生徒会室に入ろうとした七々瀬は、室内を見回し、芳賀山へ視線を向ける。それを見て芳賀山は持っていた書類を分厚いテーブルへ置いた。
「曽祢先輩はいないよ」
「流石は曽祢先輩だね。少し、話したかった」
七々瀬はそう言うと、扉を音もなく閉めた。
「会長、報告があるけど……待とうか?」
分厚いテーブルの上に置いた書類に視線を向けた七々瀬に、芳賀山は指を揃えてテーブルをさす。
「座って。聞こう」
短く言って芳賀山は椅子へ腰を下ろした。
「ありがとう」
芳賀山の対面にある椅子を引いた七々瀬は、き、という小さな音と共に座る。ブレザーのボタンをテーブルの下で外す。
「リラックスだね」
目を細めた芳賀山は小さく呟く。その言葉に七々瀬の頬がわずかに強ばる。
「……君は曽祢先輩じゃない」
「そうだよ。副会長」
目線を下げることも上げることもない芳賀山は、七々瀬を見ている。七々瀬は一度目を伏せ、そして芳賀山の目を見返す。
芳賀山はそれ以上、何も言わない。七々瀬は報告を始める。
「一年の物品購入については風紀委員会へ指示を出しているから問題ないよ。指示内容は別途文書にして出す必要はあるだろうね」
「そう」
「二年生と三年生のトラブルについては、三年生に関して言えば西園寺先輩預かりになったからこれ以上の介入は必要なさそう。二年生の蔵田さんについては行き過ぎた発言があったようだよ」
「それで」
短く返した芳賀山に、七々瀬は目を閉じる。
「僕は罰則が必要だと考えた」
「ありがとう、七々瀬」
薄く目を開け、テーブルの上に置かれた書類へと七々瀬は視線を向ける。彼は青磁色のシャツの上のネクタイを押さえ席を立ち、素早くボタンを留める。
「書類、コピーしてくるよ」
「ありがとう」
芳賀山は、そう言うと立ち上がった。テーブルの上にある書類を手に取った七々瀬は、コピー機のある隣室へ行くため、生徒会室を出ていく。
すう、と音もなく閉じた扉。
窓の外から部活動を終えた生徒たちの声が広がった。
壁にかけられた時計は十八時半を示す。窓から差し込む日差しは、もう暗い闇を帯びている。
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月明かりの下にある、赤茶色と白色の巨大な校舎はグランドライトで僅かに照らされている。校門は固く閉ざされ、昼間にはいなかった男性の警備員が詰所に一人、そして、外ではなく校門の内側に一人立っていた。
グランドライトで静かに照らされた警備員の足元の先には生徒たちが育てた四月に相応しいネモフィラやパンジー、マリーゴールドが花壇を彩る。その奥には低木が青々と植わっており、寮への道が続く。
櫟や楢、桜が山々に生い茂り、月光で色濃く夜に沈む。
寮へと近づくにつれて、道を照らすグランドライトが背の高いポールライトへと変わる。
その明かりに照らされた木造の巨大な寮が、顔を出す。
冷えた山の草木の香りの中に、カレーの匂いが入り交じる。寮の窓から漏れ出る電灯の色が白く夜を照らし、食堂には大勢の生徒がいた。
「今日の担当は、誰?とりにきて!」
食堂のカウンターから寮職員の声が、響く。椅子に座ってカレーライスを食べていた三ツ橋が立ち上がった。三ツ橋は、他の男子生徒たちと違ってまだ、制服から着替えていない。もう一人、制服姿の男子生徒が三ツ橋について行く。
寮職員が用意したトレイを手に取り、三ツ橋と男子生徒は水と緑茶のペットボトル、それからグラスをトレイに置いて食堂から出ていった。四階建てというのに、エレベーターはない。階段を、ぎしぎしとのぼっていく。
「三ツ橋先輩」
男子生徒が先にのぼる三ツ橋の背に話しかける。
「はじめて、四階に行くんですが何か注意したほうがいいことってありますか」
怖々と言った男子生徒の言葉に三ツ橋は足を止めることなく答えた。
「高城川くんは次の生徒会役員だし、もうすぐ四階に住むんだし、大丈夫。芳賀山さんは、優しいよ」
「俺、今まであんまりこういう上下関係ってなくて」
「あ、俺はまずいかも。僕のほうがいいかもしれない。七々瀬さんも芳賀山さんも……なんていうか……そういうひとだから!」
三ツ橋は言葉を勢いで結ぶ。高城川は三ツ橋の背をじ、と見つめて口を噤む。四階までの階段をのぼりきると、広い居間があった。
明かりのついていないそこは、階段から差し込む電灯で僅かに様子がわかるのみだ。
テレビはあるものの、それは電源が入っていない。四人掛けのダイニングテーブルがふたつ、二人用のソファがふたつ。
手前にあったダイニングテーブルへ三ツ橋がトレイを置いて、奥の戸棚におかれた室内灯のリモコンを操作する。すると、白い光が居間を照らす。高城川がダイニングテーブルにトレイを置くと三ツ橋の注意が飛ぶ。
「あ、芳賀山さんはこっちの角。そんで、こっちが七々瀬さん」
高城川の置いたトレイを三ツ橋が手前へ移動させ、丁寧に置き直す。高城川は頷いた。
「七々瀬さんの分は基本、僕らファンクラブが担当するからいいけど役員就任が終わったら高城川くんたちがするだろうから気をつけて」
「わかりました」
「寮長と委員長は食堂で食べるけど役員はみんな、夕食と朝食はこっちだよ。学校はじまったしね、もうすぐ就任するから頑張って。七々瀬さんのこと、お願いします」
高城川はそう言った三ツ橋に、戸惑ったよう頷く。かた、と小さな音が居間に響いた。高城川と三ツ橋は居間の前にある廊下の奥に、顔を向ける。
深緋色のラインが入ったシャツと淡い象牙色のスラックスを着た七々瀬が現れた。高城川と三ツ橋、それからダイニングテーブルの上を見て、静かに二人の前に立つ。
口元には笑みが浮かび、七々瀬は軽く目を伏せて二人へ視線を向ける。
「ありがとう、準備してくれたんだ」
三ツ橋が頷いて、声も出さずに一歩下がる。
「三ツ橋くん。どうしたの?」
「難しくて……すみ、ごめん」
「僕ら同級生なのに、寂しいね。そんなに怖いかなあ」
顔を伏せてしまった三ツ橋に、七々瀬は苦笑いした。その三ツ橋の横に立つ高城川に七々瀬は視線を向ける。
途端に高城川は七々瀬を見上げ、背筋が伸びる。手が、太腿に張り付いた。
「高城川くん、入学式以来だ。君の食事は何で持ってきていないの?」
「七々瀬先輩、初めまして!高城川純です!」
勢いよく飛び出た高城川の自己紹介。見開いた目と顔つきは緊張そのものだ。
「……初めまして、二年の七々瀬です」
「初めまして!」
もう一度繰り返した高城川に、七々瀬は頷く。瞬きもせず七々瀬を見上げていた高城川の目の前に、真っ白のシャツを着た芳賀山が急に入り込む。驚いて腰を逸らした高城川が足を一歩、下げようとすると芳賀山の手が高城川の背に伸びた。
「大丈夫?落ち着いて。高城川くん」
芳賀山は高城川の背に手を当て、微笑んだ。頬と細められた目に、艶やかな黒い前髪が影を作っていた。
「あっすみません!会長!」
高城川は三ツ橋にぶつかりそうになりながらも、芳賀山から距離をとって頭を下げる。
「いいよ。君、食事は終わったの?終わってないならぼくらと食べよう」
そう言った芳賀山に七々瀬が口を出す。
「芳賀山、緊張しているのに可哀想だ」
「うーん。三ツ橋くんも一緒に食べたらどうかな」
三ツ橋の顔があからさまに強ばり、高城川の目が三ツ橋をじっと見詰める。七々瀬は二人を見比べ、芳賀山の背を手のひらで軽く押す。
「今日は僕だけで我慢して」
その手に逆らうことなく、芳賀山は三ツ橋の用意した角の席の前に立つ。
「残念だな、高城川くん。でも、食事の準備をありがとう。三ツ橋くん、高城川くん」
芳賀山がそう言うと、二人は揃って頭を下げる。
「ありがとう」
七々瀬の言葉に、彼らは四階から立ち去った。




