第三戦 MADっていう暮らしの始まり(7)
「……わかった。その説明を受け入れよう」
ずっと心を束縛する枷を解いたように、柳下が口を開く瞬間ほっとしたような笑みが浮かんだ。
実は、元々男性は女性にこんなにプライベートなことを聞くべきじゃないからって言うつもりだけど、ある未知の力が僕にセリフを変えなさいって警告してくれたから……芸音の注意に感謝すべきかも、柳下を男性として扱わなければいけないんだ。
「じゃ、他の所に引っ越してから、高校生になるまでおまえはマイスターと一緒に暮らしてたってことか」
「彼女は時々一人で海外に行っちゃって、その間連絡もさっぱりないんだけど、ほとんどは一週間後、いつの間にか夜にソファーに寝てて、翌日の朝ご飯をお願いねってメモを残してたりするんだ」
柳下が静かに何度も笑った。もし僕の物真似をしなけれな、笑ってる柳下は相当魅力があるだろう。
「マイスターもそんな面白い一面を持ってるんだな……」
と、ポケットからノート一冊を取り出し、柳下がその上にさらさらと書いてる。
「それは……」
「すべてマイスターの言動を記録するノート。この前言ったじゃねぇか。マイスターと知り合った頃から書いてるんだ。今でも」
昨日彼女をふざけてるなぁと思ってたけど、その本気さにまったく感心した。お袋よ、この養子は本当になさけないな。
「っていうか、キャトはスクールバスでおまえと何を喋ったんだ?メモした?」
「どうやって一人前の人間になるかってこと」
相手のイントネーションが強まった厳粛な態度に僕の意識がショックを受け、辛うじてうなずく仕草ができた。
「確かあの時一人でスクールバスで寂しいと思ってて、俺と親しくしたい人がいなかったから。だが、マイスターは俺の苦境を見抜いて、唯一救いの手を差し伸べてくれた人だった。あの方は鋭い洞察力があるからだ」
誰がスクールバス運転手になっても、一人で寮へ帰る小学生は問題あるって見抜けるよね。
「マイスターが、他人に頼りたいとばかり思っちゃ駄目、成熟する人間に進化できねぇと教えてくれたんだ。成熟した大人になれば、自然に認めてくれる人もできるし、さらに本格的に一人前の人間になれる。ただし条件があるって」
「条件って何?」
「一人前になりたかったら、まずチカラを持つこと」
ぎゅっと拳を握る柳下が言いながら、口出しさせない勢いが溢れてる。
なるほど。これは昨日柳下が言ってたシンカっていう意味か。お袋の言葉が彼女に影響を与えたようだ。
でも力は『その力』なのか。恐らく柳下は誤解してる。そしてその誤解は今まで続いてるんだ。
「でもさ、力は色々があるよね。例えば成績とかコミュニケーション能力とか……」
「成績で人を守れるか?コミュニケーションだなんて相手が道理をわきまえる人かどうかによるだろう、わきまえない人なら何も役に立てねぇじゃねぇか。チカラと言えばもちろんコレのことよ。だから俺は毎日自分を鍛えてる。まあ、武道を指導してくれる先生を何人も辞職させたけどな」
きっと彼女に殴られて我慢できなくて逃げたんだろ、その先生たちもお気の毒だね。柳下の武道がこんなに凄い理由はやはりこれなんだ。お袋が教えてくれたものを実現したいからだ。お袋が言いたいことがはっきりわかってないと思うけどね。
なら、その性同一性障害ってキズは、こんなことからもたらされたのかもしれないな。
「マイスターと知り合う経緯は以上だ。残念なことに一週間後あの方は辞職した。それから会うことは一度もなかった。他に質問は?」
「あの、昨日芸音は色々教えてくれたけど……おまえ、今は本当に……命が危険にさらされてるの?」
壁を向き、何か不平を言うように柳下がぶつぶつと呟いてて、最後不快な短いため息をついた。
「Rもいたわけだな。それはすべて本当のことだけど、とんでもない事態だとは思わねぇし、なぜ芸音がおまえを引っ張り込んで護衛にするのかもよくわかんねぇし。ただ余計に面倒を増やすだけだ」
「余計に面倒を増やす?」
「武道できるのか?自衛できるくらいの能力持ってんのか?殴り合いすらも下手なようだが。若しもマジでアサシンに遭ったらどうするんだ?」
「だっ、だけど僕は──」
「直感があってか?それは危険を避けるだけだろ。敵を倒すのを手伝ってくれるのか」
一連の質問が機関銃から撒いた弾丸の如く、むざむざ僕の口を塞いでしまった。




