【一房】
ねーちゃんがみかんを食べている。日本のみかん。てのひらに乗るサイズのみかん。素手で簡単に皮がぺろってはげて、中の実も簡単に一房ずつつまめて、薄皮ごと口に投げ込めるみかん。こたつとベストマッチするみかん。
けど、ねーちゃんが今選んで食べてるみかんは、当たり外れがあるみたいだ。だって、ねーちゃんは、美味しい顔と、酸っぱい顔と、なんとも言えない顔を代わる代わるしながら、食べてる。百面相ではないな。さっきから観察してたら、ねーちゃんの表情のバリエーションはその三パターン。三面相。
けど、みかんって。そんなに一房一房、いちいち味違うっけ?
なんかこっち半分甘いのに、残り半分すっぺーの、とかはたまにあるけど。
ねーちゃんの顔見てたら、味がまだらすぎる。
「そのみかん、そんなに味、変?」
ねーちゃんの三面相が気になりすぎて、俺は尋ねる。すると、ねーちゃんはけろっとした口調で答えた。
「このみかんおいしいよー、いいみかんだね!」
ああそう。それならいいけど。
まだちょっと旬には早くて、値段もちょい高めだったけど。おいしそうだったから思い切って買ってみてよかった。初物のみかん。
「でもだったらなんでそんな、ときどき変な顔、するんだよ?」
俺が尋ねると、ねーちゃんが最後の一房を口に放り込む。ほら、なんとも言えない顔して食ってんじゃん。なんだよそれ。
うまいならずっと、うまい顔して食えよーって、思うんだけど。
ねーちゃんは、はあって、ため息ついて。花びら型に開いたみかんの皮を、ちびちび畳みながら呟く。
「あれだよ。占い? 好き、嫌い、……みたいな?」
ねーちゃんの呟きに、俺は目を半眼にする。占い。好き、嫌い。
「花占いかよ」
一輪の花を用意して。物憂げに花びらをちぎるのだ。一枚一枚、好き、嫌い、好き、嫌い、と呟きながら。そして最後の一枚が、占いの答え。
あの人の気持ちが、わかるって。
アレか。
つまりねーちゃんは、昭和どころか大正とか明治とか、はたまたもっと古くから。乙女という生き物がやってそうなその行動を。みかんでやってたんだな。
みかんの一房、一房に。好きと嫌いを重ねて。
「だってお花ちぎるの、かわいそうだし。みかんだったら、ちぎってもほら、食べるし」
「まあ、そうだな。花よりみかんのほうがいろいろ、効率的だな」
ねーちゃんが乙女なのも、ねーちゃんがみかん食ってる時にだって、頭の中にはあいつがいることも、よくわかった。わかったけど。わからないのは、ねーちゃんのあの表情。
ねーちゃんはみかん食べながら、三種類の顔してた。好き、と、嫌い、だけじゃなかった気がする。
「占いって二択? 好き、と。嫌い、だけ?」
俺が疑問を口にすると、ねーちゃんは驚いた顔をしてた。
「え、よく気づいたね!」
「やっぱりか」
そして、ねーちゃんはどこか諦めたように、解説する。
「だってさあ。好き、と、嫌いの二択じゃあ、なんか、嫌いが出たときキツいから。ちょっとグレーな選択肢も混ぜとこうと思って」
「グレーってなに」
気持ちに色があるなら、好きがピンクで嫌いが黒かな。だったら混ぜてもグレーじゃなくて、泥の色だろ、と思うけど。
「だから、好きと嫌いの間の答えだよねー」
「なに。ふつう、とか?」
あなたのことが好きです。
あなたのことが嫌いです。
その間は、あなたのことはふつうです、……か?
俺はそれならば、と考える。
ふつう、って。百点満点で言うと、六十点以上のイメージ。だから半分以上好き。合格点。
それだったら、好き、嫌い、ふつう、だと。三分の二の確率でまあ、アタリの答えだからいいかなと思う。占いにそんな、結果を良くするズルい保険入れて意味あんのか、って気もするけど。
でも、ねーちゃんは、俺とは違った項目を、好きと嫌いの間に差し込んでいた。
「好き、嫌い、どうでもいい」
どうでもいい。
あなたのことはどうでもいいです。
俺は考えて、つらくなる。
好きな人にどうでもいいって思われるのは、嫌いよりマシかもだけど、やっぱキツい。
嫌いって何点? 不合格なら二十点以下?
でも、どうでもいいは無得点。あれ? 嫌いより点数低くね?
そしてどうやらそう感じたのは、俺だけではなくてねーちゃんも。
好きと嫌いの間に差し込んだはずのズルい答えが、ねーちゃんの胸をきしませる。
「そして、見事、最後のみかんはどうでもいいだったよ。どうでもいいって、悲しすぎ」
ねーちゃんは頭の上に、とほほ、と、文字が浮かびそうな落ち込み方をしていた。
ねーちゃんはアホだなあ。
結局それじゃあ、三分の二の確率で、ハズレだ。自分で凶の確率増やしてどうするんだよって思うけど。
みかん食べながら、あいつの気持ちを妄想してしまうほどに、頭がほわほわしているねーちゃんが。冷静にズルい項目を増やすなんてこと、できるわけないんだよなあ。
なんにせよ、目の前にいるねーちゃんを、悲しい顔のままでいさせるわけには。
っていうか、占いだろうが、ねーちゃんの思い込みだろうが、単なる確率の問題だろうが。ねーちゃんのことどーでもいいとか思ってるとか、そのこと自体がなんか許せん。
俺は咄嗟に新しいみかんをつかむ。
そしてねーちゃんに見せる。
「好きとか嫌いとかどうでもいいとか。そんなの考えながら食ったら、みかんに失礼だろ」
あの人はどうせ、私のことなんか、どうでもいいと思っているに、違いない。
そんな悲しいこと考えて。みかん食ったって、ねーちゃんもみかんもしあわせにならない。
だったら。
俺はみかんをぐるぐるとむいた。蛇みたいに長くぐるぐる、切れないように。そうやって、皮をむいたみかんから、一房つまむ。
この一房に、俺はありったけの気持ちを込めて叫ぶ。
ねーちゃんがどうでもいい、なんて結果がでた花占いならぬ、みかん占いの結果を。俺が上書きしてやるつもりで。
「好き!」
ねーちゃんは俺の勢いに、目を瞬かせる。
俺は好きの一房を頬張り、次の一房をつまんだ。
好きの次は、嫌い?
そんなことない。
じゃあ、ふつう? じゃあ、どうでもいい?
そんな選択肢は必要ない。
好きの次は。
「大好き!」
俺はそう叫んで、ねーちゃんの前で次のみかんを食べた。
「好き、大好き、好き、大好き、好き! ほら、これでいーだろ!」
なんでわざわざ、悲しくなる答えを混ぜる?
占いで知りたいのは、あいつの気持ち?
そんなことない、はっきりさせたいのは。確認したいのは。
みかん食べながらだって考える。あいつに対する自分の気持ちだろ、ねーちゃん。
だったら好きと大好きしか、存在しなくていいんだ。
そっちの方がみかんもうまい。
みかんじゃなくったって。これが花だったとしても。
好きと大好きをまとって散らばるなら、花びらも。それはそれで、すてきな一生。
「はいはい、大好き。大好きになった、な!」
俺は最後の一房まで平らげて、ねーちゃんに言う。
ねーちゃんはみかんを飲み込んだ俺を見て、あははって、笑った。
「あんたってさあ、超しあわせな脳みそしてるよねー。うらやましい」
「まーな!」
そうだよ。しあわせだよ。
好きな人が目の前にいて、笑ってくれてたら、それでいいんだ。
笑顔になったねーちゃんは、ついでに、にたにたと笑いの残る唇で言う。
「あんたさあ、そのみかん、ハズレだった?」
「え? うまかったよ」
端から端まで。スタートからゴールまで。全部甘くてみずみずしくて、美味しかった。俺の食べたのはアタリのみかん。
でも、ってねーちゃんが首をかしげる。
「じゃあなんで、そんなすっぱそうな顔して食べてたの?」
「は? んなことねーよ。うまい顔してたよ」
「そー?」
ねーちゃんはそれ以上はどうでもよくなったみたいで。もう一個食べようって、新しいみかんに手を伸ばす。
俺は内心、ごまかせたことにほっとする。
ねーちゃんの前で好きとか大好きとか。にこにこ笑って言えるわけねーだろ。本音が漏れたらどうすんだよ。
「うん。今年のみかんはおいしいね。また買ってきて」
「おー」
好きと大好き、行ったり来たり。揺れているのに揺るがない。
そこに嫌いを混ぜたくなるのは、好きすぎることから、逃げたくなるから。
それでもやっぱり好きなんだ。甘くても酸っぱくても、大好きだ。