【翻訳】
今日の料理当番は、俺。ねーちゃんからのリクエストもなかったので、SNSに流れてきた献立を、作ってみた。
見た目はなかなか、映えている。がんばった、俺。
でも、一口食べたら、アレェ……、なんかこう。うん。
首をかしげる俺の前で、ねーちゃんがはにかむ。
「今日の料理はやさしい味だね」
●<うすい
あー、やっぱり。薄いよなあ、味。
健康によさそうだけど、ちょっとあっさりしすぎてる。
ねーちゃんがまずいと言わないってことは、食べられなくもない、んん、ほんと微妙な味なんだよなあ。
俺はそっと、ねーちゃんに白い粉の入った小瓶を差し出す。
「ちょっと塩ふった方がうまいかも」
●<かわいい
シェフの許可を得て安心したように、ねーちゃんがにこにこ笑って瓶を振る。
ああ、でも、ちょっとかけすぎ……。
俺が止める前に、ねーちゃんの手は高速で振動。
そして俺の不安は的中した。
「あ、パンチ効いた!」
●<からい
改めてもう一口食べて、目を見開いたねーちゃんに、俺はため息。ほんと仕方のないねーちゃんだ。
「かけすぎただろ? 付け合わせもちゃんと食べろって」
●<かわいい
こうなると、味のぼやけた付け合わせが生きてくる。ねーちゃんの皿の上で、映えが混濁。
でも見た目とは裏腹に、味は相当良くなったみたいだ。
食べたねーちゃんの顔が、幸せそうに笑んだから。
「うん、混ぜたらおいしい」
●<おいしい
「よかった」
●<かわいい
次作るときは、味もうちょいしっかりめだなあ。どうせ混ぜて食うから、映えなくてもいいな。
俺はふむふむと頭の中でレシピを仕上げつつ、咀嚼する。
お互いに、今日の仕事の愚痴とか。通勤中に見た面白いものとか。記憶に残さなくてもいいようなあれこれを、話したり聞いたりする時間。
数日後に思い出そうとしても、何食べたのかも、何話したのかもしっかりは覚えていないだろうけど。この何でもないやりとりの繰り返しが、俺はとても気に入っている。
ねーちゃんがふと、顔を上げて話す。
「あ、SNSでさ、見たんだけど。猫の翻訳のやつ」
●<おいしい
俺もすぐにネタに思い当たる。
「ネコ? 鳴き声を人間の言葉に変換するやつ?」
●<好き
問い返せば、ねーちゃんは笑顔でうなずいた。
「そう。あれ、めっちゃ癒されるね」
●<かわいい
他人の飼い猫の言葉にすら感動するぐらいだから、それが自宅の猫だったら、とんでもないんだろうなあ。
「ネコにだったら、何言われてても許せるし癒されるよなあ」
●<好き
愛の言葉や感謝の気持ちだけじゃなく、邪険にされたって喜んでしまう。とことん我々が僕であることを自覚させられる。そんなアプリ。
俺の返事にねーちゃんは同意して、それから、ちょっと声をひそめて言った。
「あれのさあ、人間版欲しくない?」
●<欲しい
思いがけない言葉に、俺は瞬きを返す。人間版?
ねーちゃん、何を言ってるんだ?
「は? 人間は人間の言葉で喋ってるのに? さらに翻訳すんの?」
●<かわいい
尋ねると、ねーちゃんは本気のトーンで答えてくれた。
「うん。だってほら、本音と建前あるし。ほんとはどう思ってるのか知りたい、し」
●<会いたい
そしてさっきまで、目の前のメシのことで頭がいっぱいだったねーちゃんの顔にほんのり、違った表情が浮かぶ。
あー、今。あいつのこと考えてんなーって。すぐにわかった。
「それ、すっげー怖いんだけど。本音バレるって、ええー?」
●<困る
そんなアプリ、百害あって一利なし。ほんとに。俺にとってはろくでもない。
だけどねーちゃんはうっとりと、目を細める。
「にこにこ笑ってるその奥の本心が、知りたいんだよねえ」
●<会いたい
うまい料理を食べた時よりも、おいしい顔してんだよなぁ。ほんと、むかつく。この世に存在してるだけで、ねーちゃんを幸せにさせるあいつに嫉妬する。
「直接聞けば?」
●<むかつく
俺の口からは冷たい言葉しか出てこない。
「だからそれができないから、アプリに頼りたいんでしょーが」
●<会いたい
ねーちゃんは相変わらず、俺の苛立ちの根本を知らない。
「なくても、わかるだろ」
●<好き
そっけない返事をしたって、ねーちゃんは俺の言葉で傷ついたりはしない。それを知ってるからこその、俺の甘え。
「そっかなー。じゃあ、私のも伝わってるかなー?」
●<会いたい
結局、ねーちゃんは俺にやさしい。だからますます甘えてしまう。こんなことじゃいけないのに、いつかは離れることになるのに。覚悟しても、やっぱりむりだ。
「伝わってんじゃ、ねーの? ねーちゃんすげえわかりやすい。アプリいらねー」
●<好き
俺は自分の本心を、一生ねーちゃんには隠し続ける。
「じゃあ、私が今から何言ったか、ちゃんと翻訳してみてよ」
●<がんばる
喧嘩腰の俺に付き合って、ねーちゃんが口を尖らせる。
「おう、言ってみろよ」
●<好き
ねーちゃんの考えてることなんか、簡単だ。
そう思った俺の前で、ねーちゃんがくいっと手招きする。
「にゃーん」
●<おかわり
嫉妬も苛立ちもどこかに吹き飛んだ。ねーちゃん、なにしてんだよ。あんた、弟の心臓握りつぶすつもりかよ。
もう。
だから。
ほんとに。
ねーちゃんは仕方ないんだ。
「なんでそこ、猫語なんだよ! 人間語喋れよ! おかわりするなら皿よこせ」
●<かわいいかわいいかわいいかわいい
怒ったふりして、乱暴にねーちゃんの空になった皿を奪う。いまいちの料理だったから、残ったら明日どうアレンジして食おうか、なんて考えてたけど。もう今日ぜんぶなくなりそうだ。うれしい。
「え、なんでわかんの? あんたにアプリ入ってんの?」
●<びっくり
ねーちゃんは俺の動揺にはちっとも気づかない。
俺はその鈍感さにいつも救われる。
「……だからねーちゃんには、アプリなんかいらねーんだって」
●<好き
料理をついで、ねーちゃんに渡す。
ねーちゃんはにひひと笑った。
「えー、ほんとに? にゃあ?」
●<ありがと
うん。やっぱり、ねーちゃんの言葉は翻訳なしで大丈夫。人間語でも猫語でも。むしろなにも言わなくったって。
「どういたしまして」
●<大好き
俺にはちゃんと、わかるんだ。
「時事ネタでした」
●<お読みいただきありがとうございます!