それからのこと
三人の親子を両手に抱えたアッシュは、白く大きな体を光り輝かせ、巣穴の入り口まで一直線へと飛び上がっていきました。
巣穴から飛び出すと、夜明けが近づいていました。東の空の地平にはお日様が赤く燃えています。
山の雲は晴れており、お母さんの竜の力がなくなったことで吹雪も止んでいました。白く澄み渡る夜明けの世界に、クリスとイブが、目を輝かせます。
「このまま村まで飛んで行くよ!」
アッシュが叫び、強く翼を羽ばたかます。そうして、森を過ぎ、城下町を過ぎ、何日もかけてたどった村への道のりを、あっという間に渡りきってしまいました。
「待ってください、アッシュ。あなたが村に行けば、大騒ぎになってしまいます」
もうすぐ村へとなろうというところで、お母さんがアッシュを止めようとしました。しかし、アッシュは飛ぶのを止めずに進み続け、とうとう村の真上にまでたどり着きました。
「まあ、見ていてください。一つ、考えがあります」
アッシュは言うと、ゆっくりと村へと降り始めます。村人たちは、雲もないのにとつぜんに舞い降りた黒い影に戸惑い、空を見上げた者から順番に腰を抜かしていました。
北の山に住むという話にしか聞かなかった、真っ白に輝く竜がその姿を現していたのですから、無理もありません。
いったい何が始まろうというのか。これは夢か幻かと騒ぎ出す村人たちを、アッシュはいたずらめいた笑みがこぼれるのをこらえながら、ゆっくりと三人を地面に降ろしました。
「クリスに、イブか!?」
騒ぐ村人たちの中から、クリスとイブの姿を見つけた村長さんが慌てた様子で飛び出してきました。村長さんは無事な二人の姿に表情を崩しかけましたが、そばに立つお母さんを見て、はっと目を開きました。
「あなたは……!」
お母さんは、村長さんに気付くと深くおじぎをしました。村人たちもまた、竜のおそろしい姿のそばに、同じ人とは思えないほどの美しい女性の姿と、数日前まで村で暮らしていた子供たちの姿に気付いたようでした。
村人たちはお母さんの美しさに見惚れそうになりましたが、それもすぐに竜の恐ろしさが勝ったのか、くちぐちに不安を口にし始めます。その中には、呪いという言葉もふくまれていました。
「静まれ!」
アッシュが村人たちの不安の声を吹き飛ばすような声を上げました。村人たちは竜の怒りを買ったのかと震え上がり、どうか命ばかりはと地面に伏せて頭を下げ始めます。
「お前がこの村の村長か。顔を上げるがいい」
村人たちの先頭で伏せる村長さんに、アッシュは低く、お腹に響くような重たい声で言いました。
「見ての通り、我は北の山に住む竜である。お前たちが、我をどう思っているかは知らぬが、安心しろ。お前たちを食ったり、村を壊そうなどとは思ってはいない」
「は……ははあ! ありがとうございます! で、ではなぜ、この村にあなた様のような方が……」
顔を青くしながらたずねる村長さんに、アッシュは三人の親子を守るように翼を広げながら言いました。
「我が友たちを送り届けたまでのこと。なあ、村長よ。一つたずねるが、我がおそろしいか?」
「は……いえ……、それは……」
村さんは自分の受け答え一つで竜の怒りを買ってしまわないか気が気ではなく、アッシュの質問にまともに答えることができませんでした。しかし、村長さんの顔色から、答えは言うまでもありません。
「答えられぬか。なら質問を変えよう。お前は雪の白さが恐ろしいか?」
「……いえ、それは恐ろしくはありません。雪は厳しくも、美しいものです」
「では、もう一つ問おう。我の体、この身にまとう鱗の白さは恐ろしいか?」
「……」
村長さんは気持ちをなんとか落ち着かせ、冷静な気持ちで竜が何を言いたいのかを懸命に考えました。そして、竜に守られる親子の姿を見て、竜の考えに気づきました。
「いえ、竜よ。あなたの白さは雪と同じく美しいものです。そして……あなたが友と呼んだ親子の髪もまた、美しいものであります」
村長さんの答えに、アッシュは深い頷きを見せて唸りました。
「そうであろうな。雪の白さも、我も白さも、親子の髪の白さも、みな同じものだ。そうだな?」
「まことに、その通りでございます」
アッシュは厳しく目を細め、村長さんをはじめとする村人たち全員を見下ろし、言います。
「それがわかるのであれば、呪いだなどと、ありもしないまやかしに目をくらませるな。知恵のある生き物であるのなら、助け合い生きるのだ」
村人たちはアッシュの言葉にただ頭を下げるばかりでした。あまりの出来事に、ぽかんと口を開けるクリスとイブに、アッシュは村人たちに見えないよう、密かに笑いかけます。
そして、アッシュは再び表情を真面目なものにして、村人たちに向けて言いました。
「心せよ。この親子の髪の白さは、我ら白き竜からの友好の印である。それをけなせば、お前たちにこそ、我らの怒りが降りかかるだろうことをな」
◆
「アッシュ、ちょっとやり過ぎだったんじゃないかしら?」
村を後にしたクリスたちは、お父さんが待つ森の入口までやってきました。ここで、アッシュともお別れです。
「大丈夫さ、イブ。少し演技が過ぎたことは認めるけど、大人にはあれくらいがいい薬ってものさ」
イブにたしなめられましたが、アッシュは悪びれたようすもなく言います。アッシュの意見には、クリスも同感だとうなずいていました。
「村のやつら、あんなに偉そうにしてたのに、アッシュの前じゃ、かたなしだったね」
「でも……まえに、村長さんも言ってたじゃない。叩かれたからって、叩き返しちゃいけないって……」
「う~ん、それは難しい問題だね。でも、あの村長さんは話のわかる人だったよ。途中から俺の言いたいことを、わかってくれていたからね。きっと、うまくやってくれるさ」
人の頃の癖なのか、前足で器用にほほをかきながら、アッシュは言いました。
「そうですね。これからは、私たちも村の方たちと積極的に話す必要があるでしょう」
お母さんがクリスとイブの肩に手をそえて、顔を上げてアッシュを見ました。
「アッシュ、あなたは、本当にあの人に会わなくてもいいのですか?」
「ええ。森に入れるような体ではありませんしね。伝えておいてください。冒険者に拾われた子供は、そこそこ幸せになりましたと」
すっきりとした顔で言うアッシュに、お母さんは微笑むと手を伸ばしました。
「最後に、よく顔を見せてくださいな」
「ええ、喜んで」
お母さんはアッシュの鼻先から頬をなで、最後に王に行ったのと同じように首を優しく抱き締めました。クリスとイブも、お母さんの真似をし、アッシュに抱き付きます。
「ねえ、アッシュは、これからは北の山で暮らすんだよね?」
「そうなるかな。あの王様に、戻るって約束したからね」
「そっか……うん、わかった」
「クリス?」
首をかしげるアッシュにクリスは、にっと眩しい笑顔を浮かべて見せると、握った拳を突き出しました。
「また、会いに行くよ。アッシュにも、おじいちゃんにも、あの白竜の子供にもね。決めた! 僕は冒険者になるよ!」
「……そっか。なら、さよならは言えないな」
アッシュは笑い返すと、クリスの拳に額を軽くぶつけました。
「イブはどうするんだい?」
「え!?」
そして、とつぜんにアッシュにたずねられ、イブが驚きます。そこへ、すかさずクリスは口を出しました。
「もちろん、イブも一緒さ。絶対、二人で会いに行く!」
「ちょっと! クリス! かくれんぼとは違うのよ!」
まるで遊びに誘うような強引さで、クリスはイブの手を引き、アッシュの額に無理やり拳を合わせました。
「もう……」
イブはほほをふくらませましたが、結局はクリスと気持ちは同じでした。冒険者になるかはともかく、もう一度会いたいという気持ちに嘘はつけません。
「では、姫様。俺は山へと戻ります。クリス、イブ、また会える日を楽しみにしているよ!」
「うん!」
「またね! アッシュ!」
アッシュは翼を大きく広げ、太陽の光を浴びながら、白い輝きとなって空の果てへ飛び去って行きました。
空に描かれた光の尾が消えるまで、クリスとイブはお母さんと空を見上げていました。
「さあ、二人とも。お父さんを迎えに行きましょう」
名残惜しそうに空を見つめ続けるクリスとイブを、お母さんが優しくうながします。とたんに、二人は緊張した顔でお母さんの手を握りました。
「お母さん、父さんは大丈夫なんだよね?」
「もう、氷は溶けているの?」
「大丈夫。二人が頑張ってくれたおかげで、お父さんの呪いも解けているわ」
親子は雪の積もる森の中を進み、小屋を目指します。以前は不安だった道のりも、二人の目には朝日に照らされて明るく見えました。
「あ!」
そして、小屋を見つけたクリスが叫びました。
小屋を覆っていた氷は溶け始め、地面はところどころに水たまりができていました。ぬれた小屋に木漏れ日がはね返り、きらきらと光っているようにみえます。
泥がはねないようにゆっくりと入口まで歩き、三人はいっしょに小屋のドアを開きました。
「あなた……!」
ベッドで横たわるお父さんの姿を見たお母さんは、クリスとイブの手を離し、駆け出していました。
氷はすでになくなっていましたが、お父さんはまだ眠ったままでした。お母さんはひざをつき、お父さんの肩を揺すります。
すると、ゆっくりとお父さんの目が開き、お母さんの姿を見つけると、驚きに満ちたものへと変わりました。
「お前……なのか?」
「ええ……」
起き上がろうとするお父さんを、お母さんは力の限り抱き締めました。
「あなたは、ひどい人です。私の気持ちを北の山へと置き去りに、一人でこんな……」
「すまない……ああ、またお前に会えるなんて、夢のようだ」
お父さんもまた、お母さんの背中を強く抱き締めました。
両親の喜ぶ姿を見たクリスとイブも、とても嬉しくなって笑い合いました。
そして、お母さんが振り返り、二人に向けて手を広げます。
「来なさい。二人とも」
お父さんは、クリスとイブの姿に気が付いて驚いているようでした。二人は笑顔のまま、競い合うようにお父さんの胸へと飛び込みました。
「私たちの可愛い子どもたちが、助けてくれたのですよ」
「……そうか。頑張ったんだな、二人とも」
お母さんの言葉で、お父さんは二人が途方もない冒険をしてきたのであろうことを理解しました。感謝と愛情をこめて、お父さんは二人の小さな肩を抱き寄せます。
久し振りのお父さんの厚い手の温もりと、お母さんのやさしい香りに抱かれ、クリスとイブはとても幸せな気持ちになりました。
「さあ、暖炉に薪をくべて暖かくしましょう。それから、家族で食事にしましょうね」
「じゃあ、薪は僕がやるよ!」
「私は、料理のお手伝いをするわ!」
「はは、じゃあ、お父さんは何をすれば良いかな?」
「あなたは、今はゆっくりしておいて。でも、そうですね……久し振りに、あなたのお話が聞きたいわ。何か、考えておいてくださいな?」
「そうかい? ふむ、何がいいかな……」
微笑むお母さんに、お父さんも笑い返しながら悩みました。そこへ、クリスが手をあげました。
「それなら、僕が話すよ! 話したいことが、いっぱいあるんだ!」
「……うん、そうだな。なら、まずはクリスとイブの冒険の話を聞くとしよう。楽しみだな」
「お父さん! その後は、わたし、聞きたい話があるわ」
「ん、ないだい? イブ」
めずらしく大きな声で言うイブに、お父さんがたずねます。イブはお父さんとお母さんの顔を順番に見て、言いました。
「お父さんが北の山で会った、きれいな白い竜の話よ!」
「あ、それは僕も聞きたい!」
思わずお父さんとお母さんは顔を見合わせると、ちょっぴり恥ずかしそうに笑い合います。
そして、子どもたちの白い髪を、愛しそうになでるのでした。
◆
こうして、クリスとイブの初めての冒険は終わりました。
吹雪の晴れた北の山には、王国から冒険者たちが調査のために向かいましたが、強大な力をもった白竜が現れ、誰も手出しができなかったのだとか。
ですが、その白竜は決して人を傷つけなかったそうです。
山からは、ときおり歌うような白竜の鳴き声が響き、いつしか白竜は吹雪をなくした山の守り神として、あがめられるようになりました。
その白竜が王国のはずれにある森の中で暮らす親子の友人であると、まことしやかにささやかれるようになるのは、もう少し先の話です。
おしまい