BEAST DAMP
「『顔に火傷のある女』? さあねえ……この街には訳有りの連中が多いからねえ」
「そうか……いや、わからないんならいいんだ。邪魔したなおっちゃん」
湯気の立つホットドッグを二つ受け取り、ニーノは店を出る。外壁に背を預けて待っていたアルフォンソがこちらに気付き、顔を上げた。動き難いからという理由で既に女装はやめている。
「どうでした?」
「いや」ニーノは首を振る。「収穫はこいつだけだ」
渡されたホットドッグを見て、アルフォンソは眉をしかめた。
「マスタード多すぎやしませんか」
「ここのはこれくらいでちょうどいいんだよ」
美味そうに頬張るニーノに渋々倣い、一口齧る。
「……喫煙者の味覚は当てにならないな」
「それはそうと、今夜の宿はどうする?」
現在のところ、彼らは逃亡者である。拠点とする喫茶店や自宅に戻るのは危険だし、友人を巻き込むわけにもいかない。太陽は西に傾きつつあり、暗くなれば裏社会の人間——つまり追跡者——は動きやすくなる。そう思っての問いかけだったのだが。
「宿? なにを言ってるんです?」アルフォンソは心底訳がわからないといった調子で言う。「のんびりした分だけマルクさんたちに迷惑がかかるんですよ。今は一刻も早くあの女を捕まえないと」
ニーノはアルフォンソの性質を思い出した。彼は自身のことを『逃亡者』とは思っていない。彼にとっては、あくまで自分たちは『狩人』なのだ。
「それもそうだな。寝込みを襲われちゃたまらんし、ちゃっちゃと終わらせるか!」
「聞き込みした限りでは、この辺りには目撃者は居ないようですね。別の地区を探しましょう」
二人は西地区へ向かった。先日ピエトロ・オーロの居場所を探る為に訪れ、一時アルフォンソとはぐれた場所だ。暗闇の中の廃墟群はより一層迫力を増して見える。ニーノは緊張を禁じ得ずにアルフォンソを一瞥した。『猟犬』は周囲の気配を探っているのか、一言も喋らず黙々と歩いている。
不意にガタンと物音がして、二人は弾かれたようにそちらを凝視した。不規則に点滅する街灯に照らされ、薄汚れた野良猫が走り去っていくのが見えた。
「なんだ、猫か……」
ニーノはほっとして視線を外したが、アルフォンソは動かない。どうした? と訪ねる前に、物陰で何かが光るのを見つけた。細い管を空気が抜けるような音が聞こえ、太ももの皮膚が抉られたのはそれと同時だった。
「気付かれた! 逃がすな!」
「退路を塞げ! 取り押さえろ!」
飛び交う声は熱を帯びてはいるが、うろたえた様子は無い。チンピラや追い剥ぎの類ではないことはすぐにわかった。
「ちゃんと走って! やる気あるんですか!?」
「うるせえ、こっちは脚やられてんだぜ……!」
言ったそばから転倒した。脚はズキズキと痛みを訴えるだけで、ストライキでも起こしたかのように動かない。血の染み込んだズボンがべっとりと張り付いて気持ちが悪い。
「アル……!」
呼び止めても、アルフォンソは振り返りすらしなかった。
「くそ……!」
ニーノは腕の力だけでなんとか這いずり、積まれたゴミ袋の陰に身を隠した。ハンカチを当てて止血しながら息を整える。生ゴミの臭いが鼻を突くが、そんなことに構ってる余裕は無い。
「『地獄の果てまで』ってこういうことかよ……そりゃないぜ……」
怒号と足音が近付いて来る。ニーノは祈ることすら諦めていた。今この場を切り抜けてもどうせ『野良犬』どもの餌になるだけだ。
「居たぞ!」
ゴミ袋が乱暴にどかされ、知らない顔のイタリア人が仲間を呼ぶ姿が見えた。すぐに数人が集まり、ニーノを取り囲む。
「おまえが『猟犬』か?」
「やっぱりおたくらレオンツィオんとこの連中か」
「『猟犬』はどこだ?」
ニーノの額に銃口が突きつけられる。
「知らねえよ」ニーノは捨て鉢に答えた。「逃げちまった。……おれはあいつの飼い主じゃないからな」
「そうか」
男は引き金を引いた。右手の甲を打ち抜かれ、ニーノは悲鳴をあげる。
「これで少しは正直になるか?」
「クソが……ッ! 知らねえって言ってんだろうがッ……!」
「そうか」
男はニーノの左手に銃口を向ける。
「ふっざ、けんな……ッ!」
ニーノは息を飲む。恐怖のためではない。呆気に取られたのだ。
まるで映画のスローモーションのように、ニーノの目は男の後頭部に振り下ろされる鉄パイプを捉えた。
流石に不意打ちには面食らったと見えて、男達は浮き足立った。倒れた男が提げていたマシンガンを奪い、鉄パイプを投げ捨てて、アルフォンソ・ビガットは不敵に笑う。
「『獅子は兎を狩るときでさえ全力で挑む』なんて話がありますが」ニーノの前に立ち、アルフォンソは男達に銃口を向ける。「どうやら僕達は兎以下だと思われていたようだ」
「アル……馬鹿、殺すな……ッ!」
「僕だって殺したくなんかない。でもしょうがないじゃないですか」アルフォンソの顔から、すうっと笑みが消える。「中途半端な気持ちで狩りなんかするからこうなる。こっちにはマルクさんから承った大事な仕事があるんだ……。邪魔しないでくださいよ、ねえ。頼むから」
アルフォンソは銃を構えたまま、男達ににじり寄る。
「なにやってんだ馬鹿! 銃を降ろせ!」男達が得物を構えるのを見てニーノは叫ぶ。「こいつら殺したら余計面倒になるってわかんねえのか!」
「銃を降ろせば死ぬ。温室でぬくぬく暮らしてたアンタにはわからないでしょうけど」
「なに言ってんだ、おまえ……」
「アンタはこの街のことをなんにもわかっちゃいない」
野生動物の世界は弱肉強食と言われている。強い者が生き残り、弱い者は捕食される。しかし実際はそうではない。どんなに強くとも、賢くとも、仲間が多かろうが少なかろうが、獣の世界においては誰もが獲物と成り得るということを忘れてはならない。『狩る者』もまた『狩られる者』であり、『絶対的な強者』など存在しないのだ。
ニーノは失念していた。このポースシェルがかつて、『ビースト・ダンプ』と呼ばれていたことを。
レオンツィオの部下の一人が、突然血を噴き出して倒れた。アルフォンソは引き金を引いていない。仲間が一人減ったことを他の連中が気付いたときには、もう一人やられていた。悲鳴になるはずだった空気を新しくぱっくり開いた口から漏らしながら、男は崩れ落ち動かなくなった。
男達が叫びながらマシンガンを乱射するが、コンクリートを穿つ鉛玉は闇に紛れて忍び寄る『捕食者』を捉えることはできなかった。やがて銃声は止み、硝煙の臭いと折り重なった死体が残された。
「やっぱりアンタが犯人だったんですね」
アルフォンソの身体が強張るのをニーノは見た。そして彼の視線の先に立つ女の姿も。
女は火傷のある顔を綻ばせ、穏やかに言った。
「久しぶり。会えて嬉しいよ、アルフォンソ君」




