蠢く影
コジモの言葉が終わるのを待たずに、アルフォンソは引き金を引いていた。ひと気が無いとはいえ、町中で発砲したら騒ぎになるのは明らかだったが、そんなことに気を回している余裕はなかった。火にかけたやかんにうっかり触れてしまったときのように、考えるより先に体が動いていた。
コジモは「ぎゃっ」と悲鳴を上げて倒れ、そのまま気を失った。急所は外れた。まだ死んでない。アルフォンソは倒れた男に再び照準を合わせ、引き金にかけた指に力を込める。
「アル!」
不意に腕を掴まれて、アルフォンソははっとした。血相を変えたニーノの顔が目の前にあった。
「落ち着け。そいつを殺してもなにも得しないぞ」ニーノは血を流す男を一瞥し、深呼吸をしてから再び口を開く。「致命傷じゃないみたいだし、いったん家ん中で手当てしてやろう。こいつに死なれて近隣住民に見つかったら面倒だからな」
「すみません……軽率でした」
「気にすんな。それより、こいつ運ぶの手伝ってくれ」
コジモの足をニーノが持ち、アルフォンソが肩を持ち上げる。そのときだ。
「どうかしましたか?」
どこからか声が聞こえ、ふたりはぎくりとして動きを止める。聞き覚えの無い女の声だ。声のほうに目を向けると、髪の長い女が立っていた。長身だが、おとなしそうな雰囲気の女だ。音もなく、ぬうと現れた女にアルフォンソが動揺しかける傍らで、ニーノが口を開いた。
「いや、たいしたことじゃないよ。連れの銃が暴発してね。悪いんだが医者を呼んで来てくれないか」
「必要ありません」女は顔を上げ、抑揚の無い声で言った。「医者ならここにおりますので」
にっこりと微笑んだ女の右頬に火傷の痕があるのを、そのときようやくふたりは気付いた。プラチナブロンドの長髪に隠れて見えなかったのだ。
「へ、へえ。……女の医者なんて珍しいな」
「よく言われます。ところで、あなたはこの男性とはお知り合いで?」
「え? ああ、叔父だよ。ちょっと酒乱の気があってさ、酔うとすぐ暴れるんだ。困った身内だよ」
「そうですか。そっちの彼は?」
女は目を細め、アルフォンソのほうを見る。
「怪我人を手当てするのが医者の仕事でしょう。口より手を動かしてください」
アルフォンソは強い口調で言った。突然現れた女の態度や喋り方が気に触ったからだ。しかし、それだけではなかった。この女の持つ雰囲気は、なにか嫌なものを連想させる。
女はアルフォンソの鋭い眼光を受け、きょとんとした表情を浮かべた後、柔らかく微笑んで言った。
「ご忠告どうも。では、仕事に集中するとしましょう」
大きな騒ぎは避けられたものの、特にこれといった収穫も無いまま、アルフォンソとニーノはポースシェルに戻ることになった。長旅の疲れからか、列車での移動の間二人は終始無言であったが、列車から降り、駅を出たところでニーノが唐突に口を開いた。
「いやあ、それにしても今思えば結構かわいかったよなあ。あのお姉さん。大人の色気っつーかさ、落ち着いた柔らかい物腰とかさ……」
「いつまで鼻の下伸ばしてるんですか、まったく……。ほぼ一日かけてなんの収穫もないなんて、明日マルクさんにどう報告するつもりなんです?」
「まあいいじゃねーの。親父だって一日で成果が出るなんて思っちゃいないさ」
「……いいですね、あんたは気楽で」
「……なあ、アル」
「なんです?」
突然足を止め顔を向けたニーノに対し、アルフォンソは怪訝な目を向ける。ニーノの顔はいつもの飄々とした様子とはうって変わって、神妙な表情だ。身構えるアルフォンソに、ニーノは意を決したように言い放った。
「あのお姉さんってお前の知り合いだったりする?」
「はあ?」
「そんな顔するなよ……いやね、あのお姉さん、お前のことチラチラ見てたような気がしたもんだからさ」
「知りませんよ、あんな女」
「……お前さ、顔はいいんだから、もうちょっと歯に衣着せるようにすればモテるんじゃねえの?」
「大きなお世話ですよ。あんたみたいな軟派野郎と一緒にしないでください」
アルフォンソの嫌味を聞いているのかいないのか、ニーノはポケットから取り出した懐中時計を見て言った。
「ってかもう八時じゃん! どうりで腹が減るわけだぜ……飯行こうぜ飯!」
「ホント、自由ですよねあんたは……」
何故か上機嫌でタクシーを呼び止めているニーノには、アルフォンソの溜息混じりの小言は聞こえていないようだった。奔放なニーノの様子を見ていると、悩んでいた自分が馬鹿馬鹿しくなってくる。
タクシーで向かったのは『ヴィオーラ』だった。近くの通りで車を降り、徒歩で店へ向かう。地下の酒場は改装中のため閉まっていたが、突然の訪問にもシルヴェリオは嫌な顔ひとつせず、席と温かい料理を提供してくれた。
「うめえ……うめえよこのペペロンチーノ……やっぱり持つべきものは友達だよなあ……」
「列車とタクシー代で手持ちが尽きたから、たかる気満々だった人の台詞とは思えませんね」
「それを言うなアルフォンソ……」
二人の掛け合いを微笑ましそうに眺めていたシルヴェリオが、追加の料理を持ってくる。
「お仕事お疲れさまです、お二人とも。ゆっくりしていってくださいね」
「すみません、こんな時間に押しかけて」
「気にしないでください、アルフォンソさん。どうせ、改装が終わるまでは暇ですから。寝るときは二階の部屋を使ってください。おれはソファで寝ますので」
「えっ、そんな……そこまで世話になるわけには」
「いいじゃねえかよアル。昔よりマシになったとはいえ、ここは『ビースト・ダンプ』なんだぜ。夜中に出歩くなんて、そんな危ないことおれはゴメンだね」
「あんたは少しは遠慮しろ」
「いえ、ニーノさんの言うとおりですよ。ましてや、近頃は『野良犬』も増えてるって話ですしね。正直、おれもお二人が居てくれたほうが助かります。一人だと心細くて」
「わかるわかる。シャワー浴びてるときとか後ろが気になるんだよな」
「メリケンサックでも持って入ればいいのでは」
「馬鹿だなアル。幽霊に拳が効くわけないだろ」
「え、そっち?」
アルフォンソとシルヴェリオのツッコミが見事に被ったので、まずニーノが噴き出した。続いてシルヴェリオが笑い、耐え切れなくなってアルフォンソも笑った。
「それじゃ、おれは先に休みますね。ここにあるものは好きに使ってください」
「ん、もう寝るのか? 一杯くらい付き合えよ」
「そうしたいのは山々なんですけど、明日も仕事なので」
「そうか? 真面目だねえお前さんは。じゃあおやすみ」
シルヴェリオがその場を離れたのを見計らって、アルフォンソはニーノの胸の辺りを指差して言う。
「あんたも人が悪いですね。一日潰された上に無駄足を踏んだっていうのに、文句のひとつも言わなかったのはそういうことですか」
「気付いてて言わなかったお前こそ、わかってんじゃねえか」
そう言って、ニーノはジャケットの内側に縫い付けられたポケットから一冊の手帳を取り出す。所々シミのついた、手の平に収まる程度の小さな手帳である。表紙の隅に小さく『コジモ』と記されていた。
「去り際にスリ取ってたわけですか……どうやら日記みたいですね」ニーノから受け取ったそれをぱらぱらと捲りながらアルフォンソは言う。「イタリア語か……ニーノ、内容はわかりますか?」
「書いてある単語はわかるんだが、そのまま読んでも意味が通じないんだよな。大方、昔組織の間で使われていた暗号かなにかだろう。親父に見せればわかるんじゃないか?」
「なるほど。明日『カスターノ』でマルクさんに報告する予定でしたよね? そのときに確認してもらいましょう。寝坊しないでくださいね」
「大丈夫大丈夫。シルヴェリオが起こしてくれるから」
「あんまり彼に迷惑かけてばかりだと、そのうち愛想尽かされますよ」
「わーかってるよ。そうならないように気をつけるさ」
それじゃおやすみ、と軽い調子で言って、ニーノはそそくさと二階の寝室へと向かった。テーブルの上に散らかった食器たちと共に取り残されたアルフォンソは、ぽつりと呟いた。
「……もしかして、これ僕が片付けるのか?」




