馴れ初め
「結婚前?」
僕は首を傾げる。すると、父は目を細めて僕を見た。
「結婚なさった後に王妃様に近づけるような身分じゃないしな。依頼が俺のところにきたのも、ただの偶然だ」
「依頼……」
「馴染みの酒屋で知り合いと酒を飲んでいたら、金持ちみたいな格好のじいさんが内密に話がしたいと言ってきた。で、場所を変えて二人きりで話を聞いたら、貴族の娘が誘拐されたという。相手の狙いは身の代金とかじゃなく、貴族の娘本人で――まあ、早い話が既成事実を作って結婚してしまおうと考えたバカがいる、と」
「既成事実……」
僕は何とも間抜けな顔をしていたと思う。
「まあ、報酬も桁違いによかったし、色々あって俺は彼女を助け出したわけだが、後になって彼女がただの貴族の娘じゃなく、ある国の王女だと知った。王女だと知ってたら、もうちょいマシな扱いをしたんだが……」
「何をしたの?」
ジーンが興味津々といった感じで訊いてくる。
「まあ、色々。彼女は見事な跳ねっ返りで、俺は暴れ馬と徒名をつけて彼女を呼んでたし、誘拐犯を去勢すると息巻く彼女を縄で縛り上げて連れ帰ってきたのは俺の黒歴史……」
「……」
――さすがクリスティアナ様の母親?
僕とジーンはさすがに言葉を失った。
「依頼主に送り届けた後、俺は彼女が王女と知った。で、俺は口封じで殺されると思ったね。その時には、俺も彼女の不思議な力の存在に気がついていたし、誘拐がただの誘拐じゃなかったことも知っていた。彼女は未来を見ることができたから、その力を持つ彼女をあの男は手に入れたかったんだ、と。王女に惚れて誘拐したわけじゃない」
「なるほど……」
ジーンが我に返ったようだ。「少し意外だわ。王妃様は聖女様みたいな話しか聞いてなかったし」
「聖女ね」
父は笑う。「確かに、優しくて気配りのできる、完璧な王妃様だったと思うよ。基本的には暴れ馬だが」
「でも、父さん」
僕は疑問に感じたことを口にする。「もし未来が見えるなら、誘拐なんてされる? 避けることができるよね」
「ああ、それは俺も彼女に訊いた」
父は小さく頷いてみせる。「誘拐されない道もあったそうだ。しかし、どの方法を選んでも、警護についた誰かが死ぬ。誰が死ぬかは、選んだ道次第。それで、誰を犠牲にしたらいいのか解らないから選べなかった、と」
なるほどな、と思う。
未来が見えたとしても、そう簡単に何もかもうまくいくわけじゃないのか。
「しかも、無事送り届けたかと思えば、また誘拐されるし」
父は苦笑混じりに続ける。「だから、また俺が助け出したりしてたら、彼女に気に入られた。色々雑用を頼まれたりしてるうちに、婚姻の話が出た」
「まさか」
僕が口を開きかけると、すぐに父は手を振った。
「相手はもちろん俺じゃない。何人か候補があったらしいが、イスガルドへ嫁ぐことが決まってな。これで彼女との縁も切れるかと思ったんだが……」
――切れなかったのか。
父はいつもより饒舌だったと思う。少し懐かしむような口調。
「王妃様の口添えで、俺はイスガルドの騎士団に入るかどうか、なんて話も出た。もちろん断った。俺は騎士団なんてガラじゃないし、もともとどこか一国に仕えるなんて真面目な男じゃなかったからな。でも、イスガルド国王から直々に話があってな。騎士団じゃなく、傭兵みたいな立場でどうか、と。必要な時に身軽に動ける人間が欲しいと言われた」
「それで、庭師?」
僕が言うと、父は曖昧に笑った。
「その頃、一部の人間が俺と王妃様に何かあったんじゃないか、って噂が出てた。だから、俺は思ったね。これは、『監視』だと」
「監視?」
「誰だって醜聞は嫌うだろう。国王陛下は、俺の様子が怪しければ何らかの行動を起こすだろうと思った。逃げたら殺されるかもしれん、と考えたからイスガルドに入ったんだが……」
そこで父が困ったように肩をすくめる。「結構、陛下はいい方だった。逃げておけばよかったと思ったよ」
「それで」
ジーンが小さく訊いた。「王妃様に惚れてたのは事実?」
随分はっきり訊くなあ、と僕はジーンを見やる。本当に遠慮ってものを知らない。
「まさか」
父は低く笑った。「結局はただの噂だよ。俺は報酬の良さに負けただけだ」
「そう」
ジーンはあまり納得してる感じじゃなかった。
そして、僕も。
だって、泣いてたじゃないか。王妃様が亡くなった時。あの涙は何のためのものだった?
でも、そんなことは訊けはしない。
父が触れられたくないところだろうから。
「とりあえず、俺は寝てないんだ。多分、夜明け前には出発だろう。少し仮眠させてくれ」
やがて、父はそう言って自分の部屋に戻っていった。
そして、薄暗い地下室に僕たちは立ち尽くす。
「あなたも少し寝ておきなさい」
ジーンが僕の肩を叩いた。 とても寝られそうにない。でも、寝られる時に寝なくちゃいけないんだろう。
僕が無言で階段を上がると、門番がゆっくりと後をついてくる。
まさか、ずっと僕のそばにいるつもりだろうか。
階段を上がりきったところで振り向くと、門番は相変わらずの無表情さで僕を見つめていた。
「ところで、君に名前はあるの?」
僕が門番に訊くと、彼女は不思議そうな表情をした。
表情に動きがあると、少しだけ親しみやすい雰囲気が出る。本当に少しだけだけど。
「わたし、門番と呼ばれる。名前、他にない」
「うーん」
名前がないと呼びにくい。どうしようか、と困って階段を上がってきたジーンを見ると、彼はそのまま部屋を出ていってしまう。
「ちょっと、庭を見せてもらうわ。さっき、珍しい薬草を見た気がするし」
なんて、言いながら。
わざと二人きりにしようとしてるのか? と疑いつつ、僕はその背中を見送った。
「名前、必要ない」
門番は平坦な声で続けている。「わたしはあなたを守るだけの生き物。それしか役目ない」
「うーん」
僕がさらに唸ると、彼女は静かに言った。
「ここ、安全。でも、門のそばはもっと安全」
でも、そんなところには行けない。クリスティアナ様を助け出すまでは。
「とにかく、少し寝るよ」
僕は自分の部屋に向かう。背後に門番の小さな足音が響く。
獣の姿の門番は恐ろしいと思う。
でも、僕の味方であると理解した今、恐怖の対象ではない。
恐怖どころか……何となく、彼女が可哀想にも感じた。




