第8話 50億年放置した玉
その存在に怒られた時の俺自身は、バツの悪さというものを感じていたのだと思う。
後方では地面が徐々に低くなっているし、真面目に黙々と働くダミノルさん達のお陰で周囲の見通しは素晴らしく良くなっていた。
ダミノルさん達は、一瞬だけ『(;TДT)』な顔をこちらに向けたが、強制労働に従事する奴隷の様な勢いで目の前の木に向き直ってしまった。
泉の方はすでに水位が半分になっており、吸い取るさんの『(≧▽≦)』な横顔は心なしか「いい仕事してるぜ」とでも言っているように見えた。こちらには一瞬たりとも身体を向けなかったし、作業を止める様子も無い。
それが起きた時に手を止めたのは黒子さん達だけだった。
キノコや草の入った袋を持ったジャージ軍団の皆さんは、白いヘアバンドをした頭に片手を当てて会釈をしてから元の作業に戻ってしまった。
「あー……何か申し訳ねえな。よく知らねえんだけどよ、お姉さんは精霊様だろ? ここの泉の人かい? 俺の頭の上にいるのはマーちゃんっていうんだが、これにゃあ色々と事情があってな……」
宙に浮き、水で出来ている様な身体を時折変形させながら無言で睨み付けてくる相手に対して、ひどく歯切れの悪い言い訳をするということを俺は強いられた。
「すごいな。環境に完全に適応しているのだろうな。魔素も身体の構成要素なのか。どおりで体組織が見えないはずだ。だが分解する力に弱そうだぞ」
頭上にもっちりと乗ったトカゲ姉さんは相手の言い分を聞いたはずであるのに、私は関係ありませんと言わんばかりの勢いで相手の観察に余念がなかった。
「ぅあんた達ぃ、いっとぅあい何をしにぃここに来とぅるんでぃすか。何で水吸うとぅるんでぃすか!? 弱いとかケンカ売りに来とぅるんでぃすか!?」
存在は知っていたが初めて見た。しかも知性があるようだ。おそらくは全身を振動させて高い女性的な声をだしているのだろう。ひどく聞き取りにくいが話しているのは大陸公用語だ。
決して大きくは無い相手だが、今は周囲を満たしている魔法の気配が、会話の直前まで全く無かったことに慄然とした。気配感知は通用しないようだ。
「ここの人なのだな。60センチというサイズには共感してしまう。私はマンマデヒク。マーちゃんと呼んでほしい。実は100万リットルほど水をもらいたいのだ。泉2杯分と半分くらいで充分なので、怒りをおさめていただけないだろうか」
全身が別の意味で水っぽくなっていた俺のことを余所に、マーちゃんは水そのものといった相手に交渉を始めてしまった。
「2杯分って何ですくわぁ! 何で一回空にしてから、もう一回空にするんでぃすくわぁ! 人ん家吸い込んでぇどぉこに持っていくんでぃすくわぁ!」
水の精霊であると思われる相手も、マーちゃんの言うことを理解出来なかったのであろうと思う。おそらく100万リットルというのは、ある種の『切りの良い数字』という理由しかないのではないだろうか。
そもそも、ここに精霊が住んでいるなんて誰も知らないだろう。
山脈方面は儲けの薄い不人気な場所であるし、ここは南の街に続く街道から外れた地域でもあるので、人間がやって来ない静かな場所だったのだ。
俺はあくまでも仕方がなく、以前の約束を守るためにマーちゃんをここへ連れてきたのである。
神が止めに入られないので、むしろ「もうちょっと持っていっても良いかな」とまで思っていた。
俺がそんなことを考えていると、何かを勢いよく絞り出すような鋭い音と共に、マーちゃんに向かって細い透明な線が伸びた。避ける暇も無かった。
細い線は水だったのだと思う。俺がそれに思い至った時にはそれはうちの御使い様の表面で跳ね返って相手にぶち当たった。
「うぉおぃ、何故ぇでぃすかぁ? 熱ぁあ! ハギョレモォぉぉ!」
自身の攻撃を跳ね返された水の精霊さんは驚いたようだった。
さらにその少し後で、身体の表面に多くの気泡を生じさせて湯気を出しながら地面に倒れ込んだ。
「うむ、強電磁波は有効のようだ。メモしておかなければ。物質の状態が気体になるのが良くないのかもしれん。冬はどうしているのだろう。凍らないのだろうか」
俺の頭上で、うちの電磁波姉さんはそんなことを宣っていた。
マーちゃんは相手に対し、アホの様に高い出力の電磁波を短時間で集中させたのだろうと思う。即席の電子レンジに叩き込まれた精霊様はお湯になってしまっていた。そしてそれでもまだ生きてはいるようだった。
「マーちゃん、もうちょい穏便なやり方はねえかな。何か変わった物を代わりに出すとかで良いんじゃねえか」
「それもそうだな。かといって何かあったであろうか……色々と仕舞ってあるのだが思い出せん」
かなり永い時を生きているであろう精霊さんをここで始末してしまうのは躊躇われた。
俺の提案にはマーちゃんも乗ってくれたのだが、相手にとって価値のありそうな物が分からないのは同じなようだ。
2人して悩んでいたところ、黒子さんがフロア内に戻ってから透明な玉を持って出てきた。それは濁りも無く凄みを感じる薄い光を発している、直径20センチメートルほどの完全な球形に近い玉だった。
それを見て虚を突かれ、黙って見ていた俺たちの前で紺色のジャージ姿の黒子さんは玉を水の精霊女子に差し出した。
「これ……もらってぃも良いんでぃすか? 何かすごいんでぃすが。こんな物見たこともないんでぃすが」
それを受け取った精霊さんは、出し抜けに60センチから120センチの大きさになり、さらに全身から玉と同じような光を発し始めた。
「思い出したぞ! アレは内部に水の入った水晶のような鉱物でな、ケンチがいるのとは別のフロアに大量に転がっているのだ。50億年ぐらいそのままになっていたらしいな。今後も使えるかもしれん」
うちのエターナル姉さんからは、うっかりしてました発言が出てきた。
以前に聞いたところによると、マーちゃんは魔素の存在する惑星系を丸ごと資源としていくつか吸収したとのことだった。だからこそ、あれらのフロアにも魔素が充満しているのである。
水を包んだ水晶はそこで50億年も環境の影響を受け続け、神話級のアイテムのような物体に変質してしまったに違いない。漬け込んだまま放置された梅酒のような玉からは、得体の知れない力が放射されていた。
「これ、くれるんなら水は持って行っても良いでぃす。水はまた湧いてくるでぃす」
すっかり回復したように見える精霊女子は、嬉しそうな高い声でそう言ってくれた。
「どうやら話がまとまったようだな。あんな物で済んでこちらも助かった。ついでだから泉の底の泥や水草や魚も全部もらっていくとしよう。環境をキレイにしていくのもマナーというやつだろう」
玉から出たり入ったりを始めた精霊さんを見ながら、マーちゃんはそう言ってその場を締めくくった。
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