第9話 薬屋ラシーズ
教会暦805年2の月27日のこと。この日はマーちゃんと出会ってから6日目になる。
マーちゃんに新しい帽子をもらった。
外観は普通の濃い茶色のニット帽にしか見えないものの、内張りには超薄型の耐衝撃素材が使われている。
今使っている革のヘルメットよりも安全性が高いので、今度からこれで探索に行こうかと思う。
今日の俺はこの茶色のニット帽と、鼻と口を隠す黒いフェイスマスク、腰に投げナイフと50センチのひのきの棒、革ジャケットと革のパンツ、足に革のショートブーツを履いていた。
この格好で大八車を曳いて、商店街の大通りを他人の注意を引かないように移動するわけだ。大きい音が出るこの状態では気配隠蔽を使用しても役に立たない。周囲に溶け込む演技力が今回の役に立つだろう。
ちなみに、俺の頭の上にはうちのトカゲ姉さんが姿を消した状態でモッチリと乗っかっていて、多分だが周囲の様子を録画しながら熱心に店の観察をしているようだった。
「ケンチ、あそこの乾燥した草が吊るされている建物だが店なのか? 個性的な匂いだ。何やらひどく懐かしい匂いでもある」
マーちゃんが念話で聞いたのは、幅3メートルぐらいで奥側に長い前方の2階建てのことだろう。相変わらず看板が無いので、知らない人間には店かどうか判断がつかない。
マーちゃんの言う「懐かしい」が果たして何千万年前なのか、または何億年前なのかはよく分からないが、その匂いについて俺の方にも心当たりがあった。
「あそこな、一応は店なんだぜ。薬屋ラシーズってんだ。薬やら香辛料やら調味料やらタバコの葉なんかも売ってるんで草屋なんじゃねえかって感じのとこだ。
俺にとってのあの匂いはカシワのマークの胃腸薬だ。日本で生きてた頃のやつだけどな」
俺はフェイスマスクで口元を隠して、周りに聞こえないように小さい声で答えた。
「アレか! 清流丸だな。そうか……アレは中々良い名前の薬だった。飲んだ人を観察する度に流れが良すぎるように感じた。今は関係ない話だったな。ケンチ、あそこの店内を見てみたい」
俺は今、トイレのようには流せない話を2つ聞いた気がする。念話でだ。
1つ目は、マーちゃんが地球を直接観察したことがあるということだ。他の転生者から聞いて、それを再現しただけという可能性は消えたと考えていいだろう。
2つ目は、観察がトイレの個室内にまで及んでいたことだ。この世界では止めることが出来るだろうか。
「あそこの店主は少し変わっててな。ドゥアド・タブン・コルドロ・タブン・ラシーズっていう奴なんだが、本当はもっと長い名前だって言ってた。ウラーズ・ケナイ首長連合国って国の出身だそうだ。海を渡って南の方にある国だな」
薬屋ラシーズは葉っぱ関係を手広くやっていて、そのお陰でかなり早くここに馴染んでしまった。目付きのおかしい奴から、身なりのキチッとした御仁までがここに何かを買いに来るのだ。
衛兵隊がここに突っ込んで来ないのは袖の下でも貰っているか、店がもっと上の庇護を受けているかのどちらかだろうと俺は睨んでいる。
「んー、本当に懐かしい匂いだ。トイレを思い出すな。ケンチ、この大通りは脇道も清潔な感じがするが、街に公衆トイレがあるのではないか? そうであれば是非とも見てみたい」
「マーちゃんのは念話だからよ、他人に聞こえねえからアレだが……。昔見たことのある胃腸薬の匂いに似てるってだけで、ここはトイレじゃねえ。それと往来がキレイなのは汚物を捨てねえからだ」
店の前で、うちの御使い様からは恐れていたことを頼まれてしまったが、今回は何とか回避した。
マーちゃんは人間ではないので、トイレの覗きをやっても良いのではと思うが、俺も一緒なのは勘弁してほしい。
ここまで曳いてきた大八車は、引き起こしてから店の角に立てかけておいた。扉に少しだけ被ってるのはご愛敬だ。押して開くタイプだし何とかなる。
店内は幅が3メートルよりは少し狭く感じたが、奥行きは15メートルぐらいはありそうだった。天井も3メートルというところだろう。
両側の壁に棚があり、そこに俺では全部を判別しきれない量の乾燥した葉っぱか根か茎が収まっていた。裸の状態か、壺に入っているか、紙や別の葉に包んであるか色々だ。
今日は他の客はいないようだった。
「いらっしゃい。ひょっとして……ケンチさんかな? 良い帽子してるね。何で顔にマスクしてるんだい? 強盗かと思ったよ」
店の奥から店長に声をかけられた。
ラシーズ店長は内戦を逃れてこの国にやって来た。浅黒い日焼けしたような肌に黒い目と髪をしていて、口の周りにヒゲを生やし品のある端正な顔立ちなのに年齢不詳の男だ。引き締まった体つきで背も高く185センチメートルはあるんじゃないだろうか。頭に白いヘアバンドをして、汚れの無い白いローブのような格好をしていた。
「ラシーズの旦那、店は相変わらずだな。それと帽子にマスクしてんのに俺だってよく分かったな」
服装と体格から俺だと見当をつけたのだろうが、顔にマスクの男が見えても慌てた様子は微塵もなかった。
この店長さんはおそらく相当な手練れだ。顔には出てないがマーちゃんの気配に気がついたかもしれない。
マスクは首まで引き下げた。
「いつもと同じような服だからね。今日はなんだか清潔な感じだ。顔も服もそんなに磨いて誰かに会いに行くのかな。お求めなのは虫除けかい? それともキズ薬?」
「今日は……色々だ。ひょっとするとたくさん買っていくかもしれねえ。たまには身体も洗わねえとな。コボルトじゃねえんだし。マスクは埃対策だ」
デアイパチキのおっさんや他の山賊どもでは気がつかないようなことも、この旦那は気がついてしまうようだった。
最近は毎日風呂に入れるし、シャンプーは無香料タイプでも体臭は変わるし清潔感も出るだろう。服の方は『黒子さんドライクリーニング』に出せば仕上げまで半刻(1時間)だ。
「ほお、それはありがたい。ゆっくり見ていってくださいよ。分からないことがあったら何でも聞いてよ。ケンチさんは普段買わないけど調味料とか香辛料もあるよ」
ラシーズ店長の機嫌は上っ面は良さそうになった。
俺の頭の上でモゾモゾと動く反応があったので、マーちゃんの方は店内を物色し始めたらしい。
ラシーズ店長の視線が、先程から俺の顔より上を見ている気がするのが落ち着かない。
「そう言えばうちの常連さんがね、今朝からデアイパチキを覗きに行ってしまったらしくて今日は暇なんだよ。雑貨屋が何やってるか気になってさ。私も後で見に行こうかな」
ラシーズ店長が何気なく放った台詞に、俺は揺さぶられたが何とか顔だけは平静を保った。
まさか例のアレは、何かの葉っぱよりも効くんじゃないだろうな。
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