第11 話 最終話
――そんなものだ。
脇田は、そう思った。
いくつかの記憶が、頭の中をよぎる。
気づけば、ひとつのビルの前に立っていた。
広いエントランス。
磨かれた床。
静かな空気。
奥のエレベーターに乗り込み、17階のボタンを押す。
到着の音が鳴る。
扉が開き、フロアへ出ると、すぐ左の扉の前に立った。
カードキーをかざす。
電子音。
扉が開く。
「脇田さん!」
数人のスタッフが、同時に顔を上げた。
そのうちの一人が笑いながら言う。
「やっと解放されたんですね。お疲れ様でした」
「ありがとう」
軽く答える。
「じゃあ、早速撮影に入ります」
すでに準備は整っていた。
照明。カメラ。静かな緊張。
撮影は、淡々と進んだ。
わずか三十分ほどで終わる。
「午後からインタビューがあります。それまで休憩してください」
「分かった」
エレベーターで下へ降りる。
外に出て、近くの弁当屋へ向かった。
――やっぱりな。
店の前の列に、小森ひなたと水瀬結衣が並んでいた。
脇田が入っていったビルは、かつて勤めていた会社のすぐ隣だった。
以前は、よく三人でこの辺りに来た。
公園で弁当を広げたこともある。
変わったようで、変わっていない。
そんな距離だった。
「……変な光景だな」
ぽつりと呟く。
「辞めた人間と、辞めさせられた人間が一緒に昼飯を食うなんて」
その瞬間。
「ちょっと」
小森がすぐに反応した。
「“辞めさせられた”って、人聞きの悪いこと言わないでくださいね」
脇田は肩をすくめる。
「はははっ、聞こえてた?」
返事はなかった。
ただ、じっと見ている。
弁当を受け取り、三人で公園へ向かう。
ベンチに腰を下ろす。
少しだけ、間があく。
脇田は何気なく聞いた。
「小森くん、今、楽しいか?」
その瞬間、小森の表情が変わる。
「……脇田さん」
少し不満げに言った。
「もう部長でもなんでもないんですから、そういう上からの言い方、やめてもらえます?」
その空気に、水瀬結衣が慌てて割って入る。
「えっ、あの……」
本気で喧嘩だと思ったらしい。
その様子を見て――
脇田と小森は、同時に吹き出した。
何気ない会話のあとだった。
突然、脇田の携帯が鳴る。
画面を一瞬だけ確認して、短く言った。
「……すぐ行く」
立ち上がる。
「悪い、ちょっと仕事」
軽く手を上げる。
「今からインタビューがあってさ」
そう言って、脇田は歩き出した。
その背中を見送りながら、水瀬結衣がぽつりと呟く。
「まさか……本当に隣のビルが会社なんですか?」
小森が肩をすくめる。
「正確に言うと、作業場ね」
脇田の姿が見えなくなったあと。
小森がふっと笑った。
「……脇田さんの罠に、まんまとハマったわ」
「えっ?」
水瀬が目を丸くする。
「なんでですか?」
「最初から作戦だったのよ」
「えっ?」
「私をその気にさせて、どんどん仕事をこなさせて……」
少しだけ間を置く。
「全部、私に任せて、ドロンするつもりだったの」
「ええっ……でも、そんなことします?」
水瀬は本気で困惑していた。
「仮にも部長だったんですよね?」
小森はくすっと笑う。
「あなた、“WAKITAチャンネル”知ってる?」
「あっ、知ってます!」
水瀬の顔がぱっと明るくなる。
「私もファンで……小説を書いて、それを動画にして……全部面白くて……」
言いながら、ふと止まる。
「えっ……まさか」
小森は頷いた。
「そう。その脇田さんのチャンネル」
「ええっ……!」
水瀬の声が裏返る。
「チャンネル登録者数、すごいですよね!たしか――」
「シルバークリエイターアワードもらってる」
「そう、それです!」
小森は続ける。
「それだけじゃないわ。AI動画制作でも銀賞を取ってる」
水瀬はもう言葉を失っていた。
「今じゃトップクラスのクリエイターよ」
小森は、少しだけ遠くを見るように言った。
「たぶん……脇田さんなら、AI映画を作る日も近い」
その頃――
別のビルの一室。
照明の下で、脇田はインタビューを受けていた。
「では最後に――」
インタビュアーが問いかける。
「これからは本格的に、映像制作を中心に活動されるんですね?」
「そうですね」
脇田は、穏やかに答える。
その瞬間――
「……っくしゅん!」
大きなくしゃみが、部屋に響いた。
一瞬、空気が止まる。
そして、全員が笑った。
インタビューは、続く。
「それにしても……」
インタビュアーが続ける。
「脇田さんがいなくなって、会社の方は大変なんじゃないですか?」
脇田は、少しだけ考えるように間を置いた。
そして――
小さく、笑った。
「……全然」
一呼吸。
「僕がいなくても――」
言葉を切る。
その先は、言わなかった。
――数年後。
小森ひなたも、会社を辞めた。
そして。
僕、脇田亮平と、小森ひなたは結婚した。僕は心の中で呟いた。
時代はどんどん変わっていく。
形を変え、進歩していく。
――僕がいなくても。
そんなふうに思えるときが、来るのかもしれない。
もし、そう思えたなら。
不安になる前に、その流れに乗ってみればいい。
そのあとのことは、あとで考えればいい。と
完




