第62話 基準にならなかった男
境界域は、今日も揺れている。
完全に安定したわけじゃない。
被害がゼロになったわけでもない。
それでも、
世界は前よりも静かだった。
『境界域N、通常運用』
『初動対応、想定内』
『追加要請なし』
管制室に流れる報告は、
短く、整っている。
俺の名前は、どこにもない。
それが、
この世界が選んだ形だ。
隊長が端末を閉じる。
「……もう、呼ぶ理由がないな」
「それでいいです」
俺は答える。
誰か一人がいれば安心、なんて世界は、
長くはもたない。
楽だからだ。
判断を預けられるからだ。
アレクが、静かに言う。
「今は、制度が回っている」
「人に頼らずにな」
その言葉に、俺は小さく頷く。
「はい」
制度は整った。
責任の所在も明確だ。
判断は現場に戻った。
――今は。
午後、報告の中に、
ほんの一行だけ違和感が混じった。
『境界域P、予測モデルと微差』
すぐに補足がつく。
『問題なし。誤差範囲』
誰も気に留めない。
俺も、何も言わない。
だが、
視線だけがその一行に残る。
屋上に出ると、風が強かった。
境界域の光が、遠くで揺れている。
世界は、まだ壊れやすい。
依存は消えた。
少なくとも、目に見える形では。
だが、
人はいつも、
楽な方へ傾く。
それが悪いわけじゃない。
ただ、自然なだけだ。
管理担当の女性が隣に立つ。
「……これで一区切りね」
「ええ」
俺は答える。
「一区切りです」
終わりじゃない。
ただ、
一度、依存を外しただけだ。
境界域の光が、
わずかに揺らぐ。
中央の予測網は、
きっとそれを“誤差”と処理するだろう。
それでも。
判断は、
誰かのものだ。
規則のものでも、
俺のものでもない。
俺は、前に出ない。
けれど、
見ていることはやめない。
基準にならなかった男として。
世界が、また何かに寄りかかろうとするなら、
その時に、
もう一度だけ問えばいい。
――それは、誰の判断だ。
境界域は、今日も揺れている。
そして世界は、
まだ続いている。
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