10 おしまいは
精緻な彫刻が施された大扉をくぐり、華々しい広間へと足を進める。
艶やかに磨きあげられた床と、贅沢に生花を飾った室内は品の良いゆったりとした楽が奏でられ、着飾った人々がさんざめいていた。
付き合いのある貴族達と挨拶を交わしながら奥へ進み、王に拝謁をして新年の祝いを述べる。この会の目的はそれで完了だ。その後は各自、知己を増やしたり探り合ったりの社交が繰り広げられるのだが、今のところ手を組みたいような相手はいないし、情報は足りている。
クレイグは話しかけてくる者に適当に応対しながら辺りを見回すと、ある一点で目が止まった。
「よかったな、ちゃんと着てくれているじゃないか……って、待てよクレイグ」
ルイスの制止もよそに、クレイグは広間の反対側へと人の間を縫って歩き出す。視線は真っ直ぐに、幾人かの輪の中で微笑む青色のドレスを着たサラへ。
近づいてくるクレイグに気付き、少し驚いた顔で目を細める。サラが瞬きを二度する前に、クレイグはすぐ傍にたどり着いた。
「こんばんは、ブレントモア伯爵……お久しぶりでございます。素敵なドレスをいただきまして」
綺麗に下げられた頭には、揃いで贈った髪飾りが留められている。小物類も身につけてくれたことに安堵の息を吐いたところに、ルイスが追いついた。
「まったく。動きが速いんだよな、こいつは」
「シャノーワー卿、そう仰らず。伯爵とアルヴィン様のお陰で、サラも随分元気になりましたので」
そう言われてクレイグがようやく周囲に目をやると、困ったような笑顔を浮かべたサラの周りには二組の夫婦と、男性が一人いた。
男性三人の面差しはよく似ていて、一目で兄弟だと分かる。
――のだが、しかし。
「ほら、クレイグ。アークライト男爵家の方々だ。そんな驚くことじゃないだろう?」
「いや、ルイス……」
アークライト家は三兄弟。軍籍にいた末弟のスタンリーともほぼ初対面だ。
髪の色は多少違うものの、皆、同じ瞳をしている。独特の緑を帯びたライトブラウン――それは、見慣れたサラの瞳の色。
言葉を失くして四人を見比べるクレイグに、アークライト男爵が声を掛けた。
「どうやら困らせてしまったようです。伯爵、よろしければ今夜は我が家にいらっしゃいませんか。アルヴィン様も叔父上様のお越しを心待ちにしておられます」
朝にお会いできたらきっとお喜びになるでしょう、そう勧められるまま、馬車へと取って返しアークライト男爵家へ向かう。
道中、ルイスは面白そうにしながらも、クレイグが何を言っても絶対に口を開かなかった。
到着した男爵家は、クレイグのところよりは広さはないものの、しっかりと手入れの行き届いた屋敷だった。まもなくの出産のため祝賀会を欠席していたスタンリーの細君と、一足先に馬車が着いたサラ達に迎えられる。
長兄の男爵夫妻と、次男夫妻、スタンリー夫妻、そしてサラ。
年齢や性別の差はあるものの、よく似た雰囲気、そして何より同じ色の瞳――それが示すのは。
「……君達は、兄妹だったのか」
「さあ、本当のところは分かりません。ですが、サラの母親は、私達の父ジェフリーの婚約者でした。そしてサラのこの瞳が、我がアークライト家の色だということは間違いありません」
「念のために申し上げますと、サラと父の寝室は当然、別でし、ぅぐっ」
軽口をきいた次男は奥方に見えぬ角度で小突かれたようで、小さく呻いたが、クレイグの耳には入っていなかった。
アークライト男爵が続けて言うには、三男のスタンリーを出産後、男爵夫人は早世した。幼い男児三人を抱える男爵に、周囲のはからいで後添えの話が上がる。
その相手が、サラの母親だった。
「多少年齢は離れていたけれど、まだ男爵も三十代だったし。なによりサラの母親はずっと男爵に憧れていたから、向こうからの希望でね」
「ルイス。そこに現れたのがウォーベック侯爵の……そういうことか」
――縁を結ぶはずだった女性の面影を濃く残す、自分と同じ色の瞳をした少女。
サラと仮初の婚姻まで結んだのは、ひとえに、娘を侯爵家と修道院から取り戻すため。
今までに感じた惑いと違和感が、雪が溶けるように消えていく。
クレイグの目の前に、金の指輪が嵌ったサラの手が差し出された。
「……当時、母のために用意した指輪だそうです」
いつもサラが指輪に向ける、慈しむような懐かしむような眼差しの意味が、しんと心に落ちる。
「助けられなかったと、最期まで悔いていらっしゃいました」
「男爵のせいではない」
「そういう御方です。ご自身の評判を落とすことも顧みず、私に家族を与えてくださいました」
涙を溜めて微笑むサラは、愛おしむように指輪の手をもう片方の手で包み、胸元へ抱く。誰もがその姿を、なにか大切な儚いものを見るように眺めていた。
「伯爵……クレイグ様。秘密にしていて申し訳ございませんでした」
「言えるようなことではないだろう。驚いたのは確かだが、気に病む必要はない。それで、いつ戻ってくるんだ?」
クレイグの唐突な質問に、サラはぱちりと目を瞬かせた。
「クレイグ様、今のお話を聞いていらっしゃいましたか?」
「ああ、聞いた。なにか問題があるのか」
「お分かりでしょう、私は、」
「俺が妻にと望んだのは目の前にいるサラ、君だ。過去も、父親が誰だろうと関係ない」
あまりに単純に言い切られ、サラは言葉が継げずにうろたえた。その一瞬に手を取られ、ごく近い距離で視線が絡む。
「アルヴィンも君もいない屋敷は広くて仕方がない。男爵の分も大事にすると誓おう。サラ、結婚してくれ」
「クレイグ様……わ、私、」
「嫌か?」
「嫌だなんてそんなことは絶対に、ただ、あの、」
「はい、そこまで」
これ以上ないくらい真っ直ぐ言葉にするクレイグに、サラは最終的に首元まで赤く染めて黙ってしまった。そこにルイスが割って入り、繋がれた手を、主にクレイグのほうを引きはがすと呆れたような声で言う。
「クレイグ、ほら皆が困っているぞ。だいたい婚姻の申し入れなら、直接本人じゃなくて家長を通すべきだろう?」
「ここにいるんだから同じことだ」
「いやいや、そうだとしてもさ。男爵、中身は保証しますが、まあ、だいたいこんな男です」
振り返るルイスに、アークライト現男爵が苦笑いで応える。
「いえ、シャノーワー卿。ウォーベック侯爵家のこともありますし、かえって安心いたしました。兄としてはいささか複雑な気分ですが、家長としては認めないことなどありません。ただし、本人の気持ち次第ですが……私達はどんな形でも、サラに幸せになってほしいのですよ」
「私は、十分幸せです」
「君はいつもそう言うね、サラ。伯爵、ご覧の通り恋が何かも知らない娘です。この先は貴殿次第ということで」
クレイグは男爵に向かって、すっきりした顔を見せた。
「なるほど、承知した。要は戦と一緒だな」
「敵軍を陥落させるのとはちょっと違うと思うけれどなあ。君らしいよ、まったく」
「ははは、それではお手並み拝見と参りますか。ところでいいシェリーがありましてね、一杯いかがでしょう」
サラと離れるのを渋るクレイグをぐいぐいと男四人で囲む隙に、サラはサラで奥方達に腕を取られる。
「さあ、サラはこちらよ」
「え? あ、あの、」
「そうそう、女同士でゆっくり話しましょうね。それではお休みなさいませ、皆様。よい夜を」
翌朝。クレイグが来ていると聞いて喜び勇んで階下に降りたアルヴィンが見たのは、二日酔いで頭を押さえる叔父と、青い顔でソファーから起き上がれないでいるルイスの姿。そして、叔父と目を合わせると顔を赤くしてどこかに隠れてしまうようになったサラだった。
クレイグの予定より半日遅れて、アークライト家からの馬車は出る。
ブレントモア伯爵と、次期伯爵、それに伯爵夫人候補で現子守り役の女性を乗せて。
――有能な軍人だったクレイグの奮闘が実を結んだのは少し後。
翌々年の新年の祝賀には、仲睦まじいブレントモア伯爵夫妻の姿があったのだった。
最後までお読みいただきありがとうございました!
楽しんでいただけたことを祈って……
小鳩子鈴