1番強く思う人
扉をくぐってたどり着いた場所は、なんだか懐かしい感じのする部屋だった。
置いてあるクローゼットや窓の位置、壁掛けの色合いにも見覚えがある。
というよりも、僕の部屋だった。
扉を開ける前は霧深い森の中のようなところだったのに、何らかの魔法でつながったのだろうか。
そのあたりは後々考えることにして、とりあえず扉を閉めようと思い、振り向いて手を伸ばすと、閉めた覚えのない扉はすでに閉まっていて、そこにあったのは僕の部屋の見慣れた扉だった。
何はともあれ、明かりをつけようかと思ったけれど、やはり魔法を使うことは出来なかった。
(しかし、一体、何故僕の部屋に? 僕はたしかにシャイナの――)
そう思いながら改めて部屋の中を見回すと、ベッドの毛布が膨らんでいるのが目についた。
ふわふわとして足元がおぼつかない感じだけれど、歩くことは出来るのだろうか?
そう考えていると、急に身体が滑っているかのように思った方向へと進みだした。
窓から差し込むやわらかな月の光に照らされて、ベッドの布団の脇には神秘的な銀色の髪が波のように広がっている。
「シャイナ」
見間違えるはずはない。
小さな背中が銀色の輝きによって覆い隠されていても、俯いて紫の宝石が閉じられて仕舞われていたとしても。
しかし、声をかけてはみたものの、シャイナはこちらに気づいたような素振りはなく、絨毯の上に座ったまま、ベッドに寄りかかるようにしてうつ伏せになっている。
なんでシャイナが僕の部屋の、僕のベッドに突っ伏しているのだろうかという疑問はあったけれど、それよりも、どうしたらシャイナとコミュニケーションをとることが出来るのだろう。
もしかしたら、ここへ、シャイナの下へと来た時点で、シャイナが僕に気づいてくれるかもと思っていたけれど、それは少し考えが甘過ぎただろうか。
魔法は使えないみたいだったから、どうしようかと考えて、ベッドの周りをぐるぐる回る。
どれほど時間があるのかも分からないし、それは後1時間なのかもしれないし、もしかしたら次の瞬間には消えてしまうのかも入れない。
せめて、こんな体勢で寝ているシャイナをベッドに寝かせてあげたい……
「なんでシャイナはベッドで寝ていないんだろう」
窓の外から月の光が差し込んできているということは、今は夜中のはずだ。
僕のベッドで寝るのには抵抗があるだろうけれど、ここがエルヴィラのお城ということは、シェリスの部屋でも、貴賓室でも、部屋なんてよほどのことがなければ余っているのだろうに。
さっきまでのカナル侯爵との、つまりはエルヴィラの事よりも、シャイナの事が最初に気になってしまうあたりしょうもないことだとは思うけれど、しかし、シャイナがこうして静かに寝息を立てていられるところを確認できて、一安心出来たからかもしれない。
「それにベッドなら目の前に……いや、これは僕のベッドだから流石に……」
遠慮したのかと、あるいは入りたくなんてないのかと思ったけれど、シャイナの頭の上の方にあるベッドにかけられた布団は膨らんでいて、わずかにではあるけれど上下していることからも、誰かが入って、あるいは眠っていることが分かる。
僕の部屋の、僕のベッドに、一体誰が。しかも、シャイナを床で寝かせておいて。
こんなにシャイナに心配をかけている不届き物の顔でも拝んでやろうとのぞき込むと、よく見たことのある顔が目を閉じていた。
そう、例えば、毎朝顔を洗う時に見るような、よく慣れ親しんだ顔だった。
というより、僕だった。
「えぇっ! なんで僕が、僕の部屋で寝ているんだ……いや、それは正しいのか? あれ? でも、僕は確か、よく分からない森の中で……」
驚いて、思わず大きな声を出してしまい、慌てて口を塞ぐ。
目の前ではシャイナが寝ているというのに、何でその眠りを妨げるような真似を。
「ユーグリッド……様?」
僕が頭を押さえながら、窓に向かって1人で変な動きをしていると、小さな、呟きのような声が聞こえてきて、恐る恐る振り返りながら顔を上げると、肩越しに振り向いたシャイナと目が合った。
シャイナが息をのんだのが分かり、驚きの表情で僕のことを見つめている。
「これは、夢なのでしょうか? それとも……」
シャイナはやたらと哀しそうに目を伏せて、唇をぎゅっと結び、今にも泣き出しそうなのを堪えている、そんな様子だった。
それでもシャイナは小さく頭を振ると、ベッドに眠っている方の僕の手を取って、安堵のため息をついていた。
「僕は僕だよ。本物の、というのが正確なのか分からないけれど、ユーグリッド・フリューリンク本人だよ」
ええっと、どうしたら信じて貰えるだろう。
そう考えていると。
「いえ、分かります。少なくとも――そのようなものがあるのか存じませんが――魂だけはご本人のようです」
再び僕の方へと顔を向けたシャイナは、何かを悟ったような顔をしていて。
「あの、これは最期のお別れをおっしゃるために現れてくださったということでしょうか?」
「え? 何で?」
あまりにも突然、しかも僕が死んでしまうかのような言い方をされて、思わず普通に聞き返してしまった。
「何故って……ユーグリッド様はもうこうして7日もお休みですから」
7日だって!
僕の体感では、崖から落ちて数分、長くても数時間といったところだと思っていたけれど。
「あの、7日ってことは、もう降誕祭は……」
恐る恐る尋ねてみる。
「降誕祭は先日無事に終了いたしました。エルヴィラの皆様はユーグリッド様のお姿が見られなかったことをとても残念に、とても心配なさっていらしたということですけれど、おおよそ、盛り上がりは例年通りだったということです」
シャイナの話し方は、まるで誰かからの伝聞みたいで。
「もしかして、シャイナは参加しなかったの?」
僕の見間違いでなければ、シャイナは少し頬を赤く染めた。
「だって……ユーグリッド様が一緒に回ろうとお約束してくださいましたから」
僕がこうしているのはもしかしたら幻覚か何かだと思っているのかもしれない。
シャイナはいつもより少しだけ、大胆なようだった。
僕が感動していると、シャイナが再び愕然としたような表情を浮かべた。
見下ろしてみると、僕の身体が、先程の扉のように、さらさらと砂金粒のように崩れ始めていた。
「ユーグリッド様、お身体が……」
どうやら、あまり時間がないらしい。
「シャイナ。どうなっていても、僕は君の事が大好きだし、恋をしていて、愛しているよ。それから、厚かましいようだけど、お願いが1つだけあるのだけれど、聞いてくれるかな」
シャイナの返事を待たずに、僕は続ける。
「きっと、必ずシャイナのところに戻って来るから、僕のことを思って、呼んでいて欲しいんだ」
本当は、こんなことおこがましくて、頼むことの出来た義理ではないのだけれど。
「この扉の――って、シャイナには見えていないか。とにかく、いつだって、シャイナの側にいるから!」
そこまで言ったところで、僕の身体は来た時と同じように、今度は逆に、扉の向こう側へと吸い込まれていった。




