追いかけっこ
カナル侯爵が向かった先は、エルヴィラの北側、オーリック公国のある方角だ。
西をオルストロ山地、東をゼノリマージュ山脈に囲まれているここいら一帯は、山地森林地帯となっていて、1人で隠れて追っ手を交わすのには最適とも思われる場所だった。
探知探索の魔法があるとはいえ、当然、万能なわけではない。
例えば、結界によりやり過ごしたり、迷彩の魔法により周囲に溶け込むことで自身の存在を希薄にして背景に紛れ込ませたり、認識阻害、幻術等、探索系の魔法への対抗手段はいくらも存在する。
侯爵は現在地上に降りていて、飛行の魔法を使ってはおらず、身を隠す魔法に全力を尽くすことが出来るため、飛行、移動の魔法等を併用している僕たちの探索を交わすことが出来ているのだろう。
「シャイナ。どうだった?」
もしかしたら、僕には出来なくてもシャイナには出来ているかもしれない。
しかし、シャイナは力なく首を横に振った。
やはり、随分とリソースを使っているのかもしれない。
「すみません。私にも居所は掴むことが出来ませんでした」
地上に降りるよりは、こうして全体を見渡せる場所の方が駆け付けやすいと思ったのだけれど、やはり、地上に降りて地道に追い立てるように探した方が無難なのか。
しかし、それでは時間が掛かりすぎる。
そうか。
「シャイナ。失礼するよ」
「え? ちょっ、きゃっ、ユーグリッド様!」
その場で僕がシャイナを抱きかかえると、シャイナは驚いたような可愛らしい悲鳴を上げた。
「こうしていれば、飛行の魔法を使わずとも落ちる心配はないから、探索の魔法だけに集中できると思うんだ」
しかし、やはりというか、空中にいながら飛行の魔法を使わないということに抵抗があるのか、シャイナは僕から顔を背けて、下の方をずっと気にしている。
腕にかかる重さから判断しても、シャイナの魔力の流れを探ってみても、まだ飛行の魔法を使用している。
けれど、拒否されることはなかった。
「それとも正面からしっかり抱きしめた方が良かったかな?」
あとはおんぶするとか、候補はあったのだけれど、何となくこれが一番いいかなあって。僕もシャイナの顔が近くで見られるし。
距離的にいえば、抱きしめるのが一番密着するのだけれど、それだとシャイナの顔をしっかり見つめることが出来ないし。
それは僕の個人的な事情だからどうでもいいとして。
「……このままで構いません」
たっぷり10秒ほど沈黙した後、僕から顔を逸らしたシャイナが真っ赤な耳で、肩を震わせながらそう答えた。
シャイナは真っ赤な顔でぎゅっと宝石のような瞳を瞑っていたけれど、ずっと身体に力は入れたままだった。
風がシャイナのきらきらの銀の髪を、さらさらと靡かせる。
コートのフードは外れてしまっていたけれど、風もあり、この空中にいたままでかぶり直しても、どうせすぐに外れると判断しているのだろう、顔の正面にだけはかからないように抑えている。
その姿勢のまま1分ほどが過ぎたあたりで、シャイナがゆっくりと、しかしぴんと張った指を向ける。
「……あちらです」
もう少し右です、とか、もう少し左ですとか、そんな感じの指示を口頭からも受けながら、シャイナの細くきれいな指の差す方へと向かって徐々に高度を下げてゆく。
生い茂る木々に阻まれて。この位置から肉眼で確認することは出来ないため、探索魔法とシャイナからの細かな指示を頼りに向かう。
「おっと!」
苦し紛れだろうか。
当然、向こうからしてみれば、のんきに上空にその身を晒している僕たちなど、格好の的なのだろう。僕たちへ向かって稲妻が打ち出された。
当然、僕たちまで届くことはなく、僕が展開している障壁に阻まれて霧散した。
それほど威力はなく、相手側も切羽詰まっているのだということが窺える、実は打たない方が良かったのではとも思えるような、そんな一撃だった。
「捕捉致しました。急いでくださって構いません」
シャイナの身体を労わって、という気持ちが全くなかったといえば嘘になるけれど、こうしてシャイナを抱きしめていたいと、こんな時にも関わらず、無意識以下の領域で考えていたのだろう。
ゆっくりとというほどではなくとも、とても急いでいるとは言えない速度で飛行していた僕に、シャイナが活を入れる。
もっとも、実際はシャイナと密着していることによる緊張で、へんに力を入れてしまうことを恐れていただけなのだけれど。
僕から提案というか、この恰好になるようにしたというのに、最初に戸惑っていたシャイナがすでに――少なくとも表面上は――落ち着き始めているのにもかかわらず、僕の方の心臓はずっと早鐘を打ちっぱなしだった。
そして、そんな心臓の動きと反するように、進みの方は非常に緩慢で。
いけない。
こんなことでどうする。
自分に活を入れ直し、なるべく無心でいられるように、飛行の速度を上げた。
しかし、それはつまり、より強くシャイナを抱きしめなくてはならない――あるいは抱きしめられる――ということで、落ち着きなどとは無縁の世界の話になってしまった。
「ユーグリッド様。もっと急いでいただかなければ追いつくことが出来ません」
僕たちは何の障害物もない空中、相手は障害物だらけの林の中、という優位性はあったとしても、それを全く無駄にしていた。
原因は分かっている。
おそらくは無意識にシャイナとずっとこうしていたいと思っている僕がいて、それが飛行の魔法の速度を出すことを妨げているのだ。
なんて情けないのだろうと思っていると、
「――ユーグリッド様。後でいくらでも、その、だ、抱きしめていただいて構いませんから、今は」
シャイナが僕の内心を見透かしたようにびくりと身体をふるわせた後で囁いてくる。
「それで、どっちだと言っていたっけ?」
急に声の調子が変わった僕のことを、シャイナが不安そうな瞳で見つめてくる。
「あちらですけれど……きゃっ!」
風を切る音が聞こえる。
シャイナの指さす方向を目指して飛び続けると、再び、稲妻が真正面から飛んできたけれど、そんなものはもはや何の妨げにもならず、正面に衝撃波からシャイナを守るために展開している障壁によって、僕たちの遥か手前で霧散した。
そして、今の攻撃により完全に相手の位置、それから距離は把握できた。
すでに僕たちは生い茂る森の木々の頂点よりも大分低空を飛行しており、カナル侯爵の事も目視できるほどの距離にいた。探知魔法の反応から考えてもあれが影武者である可能性はかなり低い。
「シャイナ」
「ええ、承知しています」
シャイナがカナル侯爵の方へと手を向けると、侯爵の行く手を全周囲うように障壁が展開された。綺麗な立方体の結界だ。
カナル侯爵が障壁を破壊することをトリガーとして新しい障壁が展開されているようで、シャイナの作り出している障壁の囲いから、カナル侯爵は上下左右どこへも脱出することは叶わず、ようやくと言って構わないだろう、一面を突破する頃には、僕たちは侯爵の前に降り立つことが出来ていた。




