ep9-044.謁見(6)
「皆さんもご存じでしょう。星墜ちは、二年前のことでした」
青い目の少年が茶を用意し終わるのを待ってから、土の精霊使いはゆっくりと口を開いた。
「忘れもしない九の蓮月、十五華の日。日が沈み、辺りにまだ薄暮は残り、星々がまだ眠りから醒める前でした。西の空が不意に明るく輝いたかと思うと、光り輝く星が天を横切り北の国境付近に消えました。少ししてから、天をつんざく轟音と共に突風が吹き、地は震え、空は昼のように明るくなりました」
バーコロニアルは当時を思い出すかのように天を仰ぐ。
「人々は天の怒りだと怖れおののきましたが、陛下は、直ちに王国各地に騎士隊を派遣し、民の無事の確認と慰撫に努めました。私は陛下に星墜ちの調査を願い出て、現地に向かいました。しかし現地で我らが目にしたのは、変わり果てた国境の姿のみ。激しく削られ半身を無くした山々は悲嘆にくれ、大地は深く広く抉られた痛々しい姿を隠すこともできずに横たわり、周囲の木々は全て薙ぎ倒され、息絶えておりました」
バーコロニアルは朗々と説明する。山川草木をまるで生き物であったかのように描写してみせるのは、彼が土の精霊使いだからだろうか。それとも歴史書の編纂を生業としているからだろうか。
「周辺の森に生息していたモンスターは黒く焼け焦げた哀れな躯を晒し、およそ生き物と呼べるものは何一つありませんでした。まさに死の世界でしたな」
バーコロニアルは深い溜息をついた。当時の悲惨な情景が、彼の記憶から鮮明に引き出されている様子が窺えた。
「星墜ちが穿った穴の中央には、何かが刺さっておりました。近づいてみると、それは石板のようなものでした。大きさは人の背丈程、黒い表面はつるつるで光沢がありましたな。我らは一蓮にも及ぶ調査の末、その石板を持ち帰ろうと、周りを掘り返しましたが、地中奥深くにまで刺さっているのか、持ち帰ることはおろか全部を掘り起こすことすら叶いませんでした。一部を割ることも試みましたが、剣も魔法も一切受け付けません。仕方なく我らは星墜ち周囲に結界を張り、人の立ち入りを禁止したのです」
バーコロニアルは静かに目を閉じた。
「……我らが知っている事はこれだけです」
バーコロニアルは、星墜ち直後に自ら調査隊を率いて調べた結果を一通り説明すると、すっかり冷め切った茶を静かに啜った。
「要は何も分からなかった訳ね」
イーリスが場も弁えない率直な感想を口にした。直ぐに王が同席していることにはっと気づいて小さくなる。バステス王は笑って軽く手を上げ、バーコロニアルに気にせず続けるよう促した。
「左様。いまでは星墜ちが穿った穴も湖となり、当時の姿から変わっております。石板は相変わらずそのままですが、結界の内はモンスターが蔓延っております。星墜ち周辺を立ち入り禁止にした御蔭で、モンスターが大繁殖してしまったのですが、なぜか奴らも石板の沈んだ湖には近寄りませぬ……」
リーメが金の瞳でバーコロニアルに問いかけた。
「星墜ち後、大陸から精霊が減り始めています。私はその原因が星墜ちにあるのではないかと考えているのです。そのモンスターすら近寄らないという石板が精霊の減少と何か関係があるのではないでしょうか?」
「分かりませぬ。ただ精霊が減っているのは私も感じております。ここ半年は特にそうですな。このままでは……」
バステスがバーコロニアルを遮る。
「リーメ殿。仮に精霊の減少が星墜ちの所為だとして、そんなところに精霊女王たるリーメ殿が赴くのは危険ではないのか? リーメ殿御自身が悪影響を受けてしまわれることはないのか?」
バステスはもっともな指摘をした。それは、三王国の守護女神レイムと同じ懸念であった。
「陛下の御心配、ご尤もです。その危険は確かにあります。けれど、このまま何もしないでいては、いずれ精霊は大陸から居なくなってしまいましょう。そうなれば精霊界も消えてしまいます。そうなる前に手を打たねばなりません」
リーメが真剣な眼差しでバステスを見つめた。その瞳には決意と憂いが入り交じった色が浮かび上がっていた。彼女はとうに覚悟を決めているのだ。そんなリーメを前に、ツェスは何があっても護衛せねばと気を引き締めた。
「リーメ殿がそこまで仰るのなら、何もいうことはない。では星墜ちまで同行いただく。だが、いつになるかは戦の準備次第だ。今は言えない。日取りが決まったら連絡する故、それまではガルーに滞在されよ」
「はい。陛下の御厚意に感謝いたします」
リーメは安堵の表情を見せ、バステスに礼をいった。
「やはり此度の戦にはミツタダが必要なようだ。星墜ちの湖を割る為にもな」
バステスがにやりと笑う。彼の後ろの壁に、赤鞘に収まった長剣が誇らしげに掲げられていた。
◇◇◇
空を覆う漆黒の如き深い蒼。天蓋に散りばめられた星々が宝石の如き輝きを放ち、七色の華を咲かせた月が星々に負けじと煌めいている。
だが、その美しき光も、その部屋に入らんとしては虚しく弾かれていた。
朝方に爽やかな涼風を受け入れた窓は落とし戸によって堅く閉じられ、あらゆる者の侵入を拒んでいる。それは、窓の反対側に設けられた、とば口も同じだった。焦げ茶色の分厚い扉は堅く施錠されている。
外の通路は二人の守衛が巡回していた。通路の端には衛兵達の詰め所がある。甲冑に身を包んだ兵士が夜通し警備に当たり、侵入者を許さない。物々しい警備はこの部屋が特別であることを示していた。
――ガチャリ。
扉を開けて一人の兵士が姿を表した。
「異常なし。交代だ」
部屋から出てきた兵士は、交代に来たもう一人の兵にそういった。
――ふわり。
「どうした?」
怪訝そうな顔を見せる兵士に、交代の衛兵が問うた。
「いや、少し風が吹いたような気がしたんだが……」
振り返ってみたが特におかしな様子はない。交換したばかりの蝋燭の炎は揺るぎもしない。気のせいかとばかりに首を振る。
「夜番が続いて寝ぼけたか。後は俺が見ている。詰所で仮眠でもしてろ」
交代の兵は愉快そうに笑った。明け方までの休みを許された同僚の肩をポンと叩くと、部屋の扉を堅く施錠する。
その部屋は、今朝、ツェス達がバステス王と会談を行った場所だ。
部屋の中は蝋燭の光が灯され、様子が分かる程度には明るい。バステスの寝室は別にある。ガラム国の王も此処で夜を明かす事は余程の場合をおいてない。
――シュルル。
誰もいない筈の部屋で、不意に空気が揺らいだ。やがてその揺らぎは一人の少女の像を結んだ。長き髪に黒い瞳を持つ少女。青のチュニック姿であるが、その雰囲気はどこかこの世離れしているようにも見えた。
少女の名はカゲフネ。異世界からの使者だ。
カゲフネは不可視モードを解除すると、右手の指先に自分の美しい髪をくるくると巻き付ける。指に伝わるざらつきも殆ど無くなっていた。それは、この世界との物質波同調がほぼ終わったことを示していた。
――難儀なものだ。同調前ならば、壁などいくらでも通り抜けることが出来たのにな……。
カゲフネは諦めたかのように嘆息する。
物質波同調が終わった今、カゲフネはこの世界の住人だ。オサフネ・ミツタダを回収するためには致し方ないことだ。部屋に進入するにもいちいち扉を開けてくぐらなければならない。
先程、衛兵が感じた違和感は、カゲフネが部屋に侵入した事によるものだ。もしも衛兵が光の精霊使いであったなら、あるいはカゲフネの進入に気づいたかもしれない。運も彼女に味方した。
カゲフネは、左の手首を返して装置を起動させた。手首を軽く撫でると光の板が浮かび上がる。その中に、探し求めていた零番こと「オサフネ・ミツタダ」の反応を示す赤い光点が点滅していた。
――うん。
カゲフネは少し口を窄めて息を吐いた。目の前の壁に、赤い鞘に収まった長剣がある。視線を落として腰の剣を見やった。緩やかな反りといい、姿形は自分の剣とよく似ている。
いや、自分が持つ次元振動一番剣「カゲフネ」はこのミツタダをモデルに作られた剣なのだ。似ているのは当たり前のことだ。
唯一異なるのは柄の部分だ。「オサフネ・ミツタダ」のそれには宝石の如き石が六つ填めこまれている。自分の剣にはそれが一つしかない。
カゲフネは、装置の画面が自分の視界に入るよう微調整してから、ゆっくりと「オサフネ・ミツタダ」に近づいた。やっとの対面だというのに不思議と落ち着いている。嬉しさで一杯になるとばかり思っていたのだが。
カゲフネは左手で自分の剣の柄を握り、右手で「オサフネ・ミツタダ」の柄に手を伸ばす。それが間違いなく零番であることを確かめるためだ。自分の剣に填められた石と、「オサフネ・ミツタダ」のそれとを同期させなければならない。
カゲフネの手がミツタダの柄に触れた。
――?
カゲフネが眉根を顰めた。
「チェーニングが終わらない……」
否定の言葉が思わず漏れる。物理接触さえできれば、ミツタダであることは直ぐに確認できる筈だ。カゲフネの剣が持つデータとリンクし、ハッシュ暗号を解いて、互いの暗号キーを照合すれば良いだけなのだから。
十の大数乗という気が遠くなるような暗号解読計算も、彼女が元居た世界のテクノロジーに掛かれば、瞬き程の時間も要しない。それが何時までたっても終わらないのだ。
カゲフネは、少し慌てて視線をホロプシーの画面に移す。光の板には『認証不可』の文字が浮かんでいる。ハッシュ暗号を解く計算はとっくに終わっていた。つまりは、この剣は彼女が探し求めていた零番、「オサフネ・ミツタダ」ではないということだ。
「まさか……。零番ではないというのか!?」
確かにピンポイントで指し示す精度はないにしても、装置は間違いなく、ここに「オサフネ・ミツタダ」があると告げていた。正確には、少なくともこの城の何処かにはミツタダがある筈なのだ。
動揺したカゲフネは、無意識のうちに数歩退いた。
――ガシャン!
彼女の体が中央のテーブルに触れ、そこに置かれていた燭台が高い音を立てて倒れた。
「誰だ!」
外の廊下で衛兵の叫ぶ声が響いた。ガチャガチャと鍵を開ける音がカゲフネの耳に届く。
――!
バン、と激しく扉が開けられ、衛兵達が雪崩込んだ。
だが――。
そこにカゲフネの姿はなかった。衛兵は仲間を呼ぶと同時に、慎重に部屋を探った。しかし、何も見つからない。
彼が見つけることが出来たのは、開けられた落とし戸からようやく入室を許された蓮月の麗しき光が、何事も無かったかのように室内を照らす姿だけだった。




