ep9-043.謁見(5)
「恐れながら陛下、我らは陛下の御助力を得るようにと、フォートレート王の親書を携え、星墜ちの調査に参ったのです。どうか御真意をお聞かせ願えませぬか」
顔を強ばらせたリーメを横目に、フレイルが問うた。バステスは何を今更といわんばかりの眼差しをフレイルに投げた。
「フレイルよ。お前も気づいているのだろう? 戦が近いのだ」
「ガラム全土で兵士を募っていることはガルーに着いてから知りました。我がライバーン王からは、北の藩王国が星墜ち周辺を自分の領土だと主張していると聞いておりましたが、もしや……」
「お前の言う通りだ。藩王国が星墜ちに軍を進めようとしている。星墜ちが戦場となれば、調査どころではあるまい。それが分かっていてお前達を向かわせる訳にはいかない」
バステスは星墜ち周辺で戦になると危険だからと、リーメ達の申し出を却下した。だが、フレイルは諦めない。
「陛下。何も我らは戦の最中に星墜ちを調査するとは申しておりません。戦が終わるのを待つくらいは出来ましょう。陛下の軍であれば藩王軍など敵ではありますまい。調査は奴らを退けてからゆるりと行えば何も問題ないと思われますが……」
「勝つ事ができればな。だが、戦は時の運。負けるとは思わんが、必ず勝てるとは言えぬ。双方痛み分けということもある。そのときは藩王国と講和を結ぶことになろう。さすれば星墜ち周辺は中立地帯になる。中立地に勝手に踏み込めば、相手に条約破りとの口実を与えてしまう。先々を考えれば、ここで国としての信義を失う訳にはいかないのだ」
「藩王国はそれほどの相手なのですか。陛下。私には奴らがそこまでの力を持っているとは思えません。それに信義に悖るのは、星墜ち一帯を自分のものだと主張する奴らの方で御座いましょう」
「フレイルよ。侮ってはならん。たとえ勝つことは容易くとも、勝ち切ることは難しいものだ。六割の勝利と十割の勝利とでは得られるものが違う。信義がこちらにあると掲げるのであれば尚の事、道を踏み外すことは出来ないのだ」
「ですが、陛下。信義を通して領土を失えば、元も子もありません。そうなれば取り返しがつかないことになりましょう」
「ゆえに戦をせざるを得んのだ、フレイル。ガラムが信義を重んじる余り易々と領土を明け渡すような国だと嘗められれば、藩王国のような輩が次々と現れるだろう。そうなればガラムとて安泰ではいられない」
「……陛下」
「それに現実問題として、ガラムの長大な国境線の全てを同時に守ることはできない。大陸のどの国とてそれは無理な話だ。だがそれは、見方を変えれば、攻めようと思えばいつでも好きなところから攻め込めるということでもある」
バステスの端正な顔に苛立ちの色が浮かんだ。
「そうさせないためには、ガラムに手を出せば痛い目にあうと大陸中に知らしめて置かねばならない。此度の戦はそのためのものだ。中途半端な勝利では意味がない。星墜ちを戦場に選んだ藩王軍を相手に星墜ちを避けて戦をすることなど無理な相談だ。それどころか戦の成り行き次第では、星墜ちそのものが跡形もなくなるかもしれない」
「陛下、では」
「そうだ。許可できることがあるとすれば、此度の戦で我らが完勝し、星墜ちにも被害が出ない場合だけだ。残念だが、その見込みは低いと俺は思っている。それでもというのであれば、戦が終わるまで此処で待機するがよい。それが何時になるかは示してやることは出来ないがな」
バステスの言葉を受けたフレイルはリーメの了解を得ようと向き直った。だが、幼い風貌の精霊女王の心はとうに決まっていた。意を決した表情でバステスに黄金色の瞳を向ける。
「ガラム王バステス様。完勝をお望みならば、やはり私達を同行させるべきだと思います」
「リーメ殿、それはどういうことか?」
リーメはその場で右手を伸ばして手のひらを上に向け、小さく呪文を唱えた。
「闇の精霊アポロケイオン、我が名はリーメ。大地母神リーファの命に従い姿を顕せ」
リーメの右手から黒い煙のようなものが沸き立ち、煙は鎧の武者を象った。漆黒の鎧は揺らぎ、幻影なのか、煙がそのような形になっただけなのかも判然としない。
その姿を見たソリロットは驚いて、その場で片膝をつき、フレイルは姿勢を正した。
リーメは平然と続ける。
「闇の精霊達を束ねる精霊長アポロケイオンです。七属性全ての精霊長が私を護ってくれています。この通り私は七属性の精霊長をどこでも召還することが出来ます。これが何を意味するかお分かりですね」
リーメがその可愛らしい顔でにこりと微笑む。その問い掛けにバステスが答える前に、土の精霊使いのバーコロニアルが口を開いた。
「おぉ、つまり、いつでもどこでも精霊を呼び出し、精霊封印の儀が出来るということですな」
バーコロニアルは驚愕と興味と興奮とが一体となった表情でバステス王に向き直った。
「陛下。さすがは精霊女王リーメ殿です。リーメ殿がいらっしゃれば、精宿石に精霊封印を施し、その場で精晶石とすることが出来ます。まるでリーファ大神殿が歩いているようなものだ。リーメ殿をお連れになれば、戦場で無限にとはいわぬ迄も精晶石の消耗をかなり軽減できましょう。精霊魔法の発動が容易くなれば、戦局に有利に働きましょうぞ。王の御側なれば、敵の矢も届きますまい。なにとぞ御一考されては如何か」
バーコロニアルの提言に、バステスはふむとばかり口元に手をやった。
「……フレイル、騎士は何人連れてきた?」
「私を含めて十名です」
「全てをリーメ殿の護衛に付けることは出来るか?」
「二名は陛下の返書をフォートレートまで届けねばなりませんので、八名であれば……」
「ツェス、イーリス。お前達は?」
「陛下。ツェスと私はリーメ陛下の従者としてやってきました。当然、護衛いたします」
イーリスがそう答えると陛下に頭を下げた。
「……都合十人はいるのだな」
バステスはしばし考えてから断を下した。
「よかろう。星墜ち調査の許可を与える。ただし、使節団は俺に随伴し、本陣に留まること。戦には参加せず、武器の使用はやむを得ない場合のみに限ること。それが条件だ」
「ありがとうございます、バステス陛下」
リーメが立ち上がって、頭を下げる。体が小さいので立っても隣に座る大柄なフレイルと頭の位置は大して変わらない。
「お顔を御上げください。リーメ殿。ただし、あくまでリーメ殿の安全が最優先です。万が一の場合は、戦場から離脱して護衛と共に、ガルーまで退いていただく場合もありましょう。それは御承知おき戴きたい」
「分かっています」
リーメが承諾の意志を伝えると、バステスは深く頷いた。
――カタリ。
ツェスが振り向いた。何かがぶつかる音がツェスの耳に届いたからだ。だが、その音は非常に微かなものだった。驚いたツェスが後ろを振り返る。耳を澄ますがもう何も聞こえない。ツェスの心に妙な違和感が残る。それは、城に入って直ぐの礼拝堂で祈りを捧げた時に感じた違和感と似ていた。
「どうした? ツェス」
バステスがほんの少し顔を上げ、視線をツェスに移した。
「あ、いえ。陛下。何か音がしたような気がしたもので。他に誰かがいるのかとばかり」
「俺には聞こえなかったが。他には誰もいないはずだが。ソリロット」
何か聞こえたかとのバステスの呼びかけにソリロットは静かに首を振った。バーコロニアルもそれに続いた。
「いえ、特に我らにも」
フレイルも同調する。どうやら聞こえたのはツェスだけだったようだ。ツェスはバステス達の反応を見て、何かの聞き間違いだったのだろうと自分に言い聞かせた。
「申し訳ありません。陛下。気のせいだったようです。御続けください」
ツェスが恐縮しながら、頭を下げたが、イーリスだけ怪訝な表情を見せている。
「よろしい。では、詳しい話を聞かせていただこう。バーコロニアル、まずは星墜ちについて、こちらで分かっている事を説明してくれ」
そういってバステスは、近習の少年を呼び、人数分の新しい茶を用意するよう命じた。




