ep7-036.短剣(4)
ツェス達が立ち去り、騒動が収まった通りに、人の姿が戻り始める。無論、戻ったとはいっても、表通りのそれとは比ぶべくもないが、道行く人々は、きちんとした身なりで品の良さそうな人ばかりだ。
ガルーの海岸沿いは高級住宅地に割り当てられているため、この辺りに住む人はおしなべて中産階級以上なのだが、貴族程の財力はなく護衛を雇う余裕はない。
故に、先程のような騒動が起こると、彼らはさっと家に戻り、固く玄関を閉ざすのが常だ。もっとも、治安のよいガルーではそんな騒動は滅多に起こらないし、兵士募集で余所者が多数入ってくる時には、ソリロットのような護衛隊が街中を巡回して回るため、心配する程の事ではない。
そんな道行く人の中に一人の少女がいた。深紫の帯を締めた袖無しの青いチュニックはこの辺りでは、ごく普通の装いだ。年は十五、六くらいだろうか。透き通るような白い肌は、瑞々しい若さに溢れている。
だが、少女の黒い瞳は、愛らしい顔立ちとは不釣り合いな程の強い意志と知性の煌めきが宿り、明らかに周りとは異なるオーラを放っていた。異世界の少女カゲフネだ。
――気のせいだったか。
カゲフネはつと立ち止まり、溜息をついた。腰のホルスターに手をやる。不可視モードに入れている為、肉眼で確認することは出来ないが、感触でそれが銃であると分かる。
――微弱な反応があったから、介入してみたが……。
カゲフネはツェス達を襲った三人組に重力弾を放った。それによって、三人組がバルドル少年の剣を奪って逃げるのを阻止したのだ。
こちらの世界にくる時、異形の魔物であるバーエネロトを除いて、原住民の世界に介入することは極力避けるように指示されている。それでもカゲフネが手を出したのは、彼女が「零番」と呼ぶ物質波振動剣の試作品「オサフネ・ミツタダ」の反応があったからだ。
カゲフネは「オサフネ・ミツタダ」を回収するために、異世界からこの世界に送り込まれていた。「オサフネ・ミツタダ」の僅かな反応を頼りにガラム王国まで来たのだが、突如、当初の座標とは異なるポイントに「オサフネ・ミツタダ」を示す反応が現れたのだ。
一本しかない「オサフネ・ミツタダ」の反応が二つあるなど有り得ない。カゲフネは確認しようと、新しく反応した座標に向かった。そしてツェス達と三人組の戦いに遭遇したのだ。
カゲフネは争いの片方がツェスだと直ぐに気づくと、重力弾を放って介入した。重力弾は、最低出力であれば効力は一時的なものだし、証拠も残らないからだ。
正体の分からない男達から無理に強奪するよりは、顔を知られているツェスの方がまだ交渉の余地がある分だけ選択肢があると考えての事だ。
だが、バルドルの剣にツェスが触れた瞬間、「オサフネ・ミツタダ」の反応が消失してしまった。カゲフネは、そのまま暫く観察していたのだが、反応が戻ってこないことを確かめると、それ以上の介入を止めた。
カゲフネは、不可視モードに入れていない腰の剣を手に取り、検める振りをしながら、そっと手首に埋め込まれたホロプシーを機動した。薄いホログラムが目の前に現れる。この世界は魔法なるものが存在し、認知されている。そのお陰で、この世界を遙かに越えた科学技術も、魔法の一種だと受け取って貰える。異世界の科学技術を隠そうと神経質になる必要はない。
――本命は消えていない。
元からあった反応は、カゲフネの求めるそれが相変わらず、この国のどこかにあることを示していた。
カゲフネは剣を腰に納めると紫紺の長髪を整える代わりに、人差し指にくるくると巻き付ける。指先に伝わるざらつく感じは、自動代謝更新がまだこの世界に馴染み切っていないことを物語っていた。
――なぜ全面介入できないのか。
やがて滅ぶことが決まっている世界に、なぜそのような配慮が必要なのだろう。自分の正体を明かし、我が科学文明の力でこの国の国王を平伏せさせればそれで済むではないか。だが、我を派遣した統合本部はそれを厳禁とした。命令には当然従うが、カゲフネは未だ腑に落ちないものを感じていた。
――本命はそう遠くない。
この世界に生きる原住民は「零番」の価値など知らぬだろう。バーエネロトを屠ることのできる物質波振動剣の試作品にして古代技術の粋を封印した零番、「オサフネ・ミツタダ」。自分に与えられたオサフネシリーズ一番剣の「カゲフネ」はその模造品に過ぎない。
――なぜそれほどの存在が、こんな未開世界にあるのか。
カゲフネは小さく首を振った。いやそんな詮索をしたところで仕方ない。我を送り込んだ元の世界の統合本部でも分からなかったのだ。今は使命を果たすことに全力を尽くすべき時だ。
カゲフネは、もう一度零番の反応を確かめた後、ホログラムを切って、剣を腰に納めた。くるりと踵を返して歩き始めたが、ふと立ち止まって振り返る。
――あの物質波変調を使う原住民の男……ツェスと言ったか。
カゲフネの脳裏に、初めてツェスと遭遇した場面が蘇っていた。その時はなんとも思わなかったが、あの男は零番を追う自分の前に何度も現れた。
――あの男は我をアクサラインと呼んでいた……。知らぬとは答えたが、アクサラインは我が世界に伝わる伝説の天子巫女の名と同じ……我らもその天子巫女をモデルに創造された。……あの男が我らの世界を知っている筈がないのだが……。
単なる偶然か。分からない。だが妙に心に引っかかるものをカゲフネは感じていた。
――何者なのだ。あの男は。
カゲフネは たとえ、今すぐこの世界から立ち去ることになったとしても、あの男とは、また逢えそうな気がした。
◇◇◇
ツェス達はジョアンの案内で、彼の店に招待された。ジョアンの店は三階建の建物だ。一階部分が店になっている。フロアは広く、一度に二十人が入ってもまだ余裕がある。
周囲の壁には天井まで届く棚が設けられ、鎧兜から日用品まで所狭しと並べられていた。
「さぁさぁ、皆さんお掛けください」
ジョアンがツェス達に席を勧める。広いフロアの中央に大きな楕円型のテーブルが一つ。その周りに背もたれと肘掛けのついた立派な椅子が十脚ほど並べられている。
「沢山ありますねぇ」
リーメが店内を見渡して、驚きの声を上げる。さすがはガラム王国の首都ガルーなだけのことはある。これほどの品揃えがある店はそうそうあるものではない。
席についたツェス達に、女中らしき人が淹れ立てのお茶をもってきた。どろりとした乳白色の液体が銀の杯から湯気を立てている。前にツェスとイーリスがジョアンのキャラバン隊を訪れたときにふるまわれたお茶だ。
「ワーレン産のチルです。どうぞどうぞ。お熱いのでお気をつけて」
ジョアンが顔面一杯に笑みを浮かべる。銀の杯は直ぐに熱くなる。ツェスは杯の縁ではなく、足を持って啜るようにして少し口に含んだ。火傷をしないギリギリの温度に煮込まれた熱い茶だ。喉がごくりと鳴った。この類のお茶には馴染みはないが、旨いことだけは分かる。
イーリスは杯を持てる程度にまで冷めるのを待っている。リーメもイーリスに従って、手をつけるのを少し待った。
「ジョアンさん、凄いものですね。フォートレートの王都でもここまでの店は数える程しかありません」
パーシバルが感心して見せる。ジョアンは、そうでしょうなと答え満更でもない様子だ。
「ジョアンさんもガルーの人なの?」
イーリスがちらりとパーシバルに視線をやってから口を開いた。これだけの店を持てる程の商人であれば、地元の名士の筈だ。フォートレート王国では商人ジョアンの名は聞いたことがない。だが、先程の護衛隊長ソリロットはジョアンの事は噂で聞いていると言った。だからきっと、ガルーの商人に違いない。イーリスの口調には確信がこもっていた。
「いえ、私の郷は、大陸の西のワーレンでしてな。ガルーの出身ではないのです。店はワーレンの王都ワラニアにあります。一年おきにガルーとワーレンを往き来しているのですよ」
「ワーレンに店があるなら、この店は何だ? それにワーレンの店を一年も空っぽにしたら、盗賊に狙われるだろう?」
ツェスの心配をジョアンは手を振って否定した。
「いやいや、私には双子の弟が居りましてな。この店は弟の店なのです。一年おきに互いに店を取り替えて商いをしているのですよ。弟はワラニアで商いをしながら、ワーレンの品を安く仕入れ、私はガルーで商いをしながら、ガラムの品を安く仕入れておく。一年経ったら交代して、互いが仕入れた品を交代した先の国で売るのですな。交代の年には互いにキャラバン隊を率いて移動します。中間地点のフォートレート王国で落ち合い、互いに情報交換をしています。今は丁度交代したばかりでしてな」
「へぇ」
ジョアンの説明にツェスは唸った。どうりでワーレン産のお茶が出てくるわけだ。大陸の反対側の品は黙っていても高値で売れる。気軽に客に出せる筈がない。だが、このジョアンは自分の弟と協力して、ワーレンとガルーに拠点を持ち、商いと仕入れを同時にやっているのだ。中々合理的だ。
「おっしゃるとおり、店を長く空けるのはよくないですからな。ここでの私は弟の店の店番みたいなものです」
ジョアンが、愉快そうに笑った。
◇◇◇
日が沈み、薄暮がガルーの街を包み込む。開け放ったジョアンの店の玄関から、少し湿気を含んだ海からの潮風が流れてきた。この匂いは宿に帰る時を知らせる合図だ。ツェスの頭に、ガルーに滞在していた半年程前の記憶が蘇っていた。イーリスは窓の外に見える町並みを懐かしそうに眺めている。イーリスも同じ事を考えているのだろうか、とツェスは思った。
――ひらり。
ふと、イーリスが見ていた窓から、黒い揚羽蝶が舞い込んできた。少し透明がかっている少し変わった蝶だ。
リーメがつと人差し指を立てて右手を伸ばす。黒揚羽は、ひらひらとリーメの指先に止まった。
リーメが目を閉じ、小さく頷いている。
「どうかなさいましたか?」
ジョアンが不思議そうな顔をした。ジョアンの目には揚羽蝶の姿は見えていないようだった。
「ツェスさん、フレイルさんからです。宿が見つかったので戻ってくるようにと」
精霊通信。ガルーの街を散策に出る際、リーメはフレイルと闇の精霊通信が出来るよう互いの闇精霊同士を引き合わせ、覚えさせていた。早速それが役に立ったというわけだ。
リーメはフレイルから受け取った精霊通信の内容をツェスに伝えると、ジョアンに微笑み掛けた。
「ジョアンさん、私達の仲間が宿を探していたんですけど、やっと見つかったと連絡がありました」
「おぉ、そうでしたか。今はガラム各地から冒険者が来ていますからな。見つかってよかったですな。そうと知っていれば、私もお手伝いできたのですが」
「いいえ。美味しいお茶をいただきましたから」
リーメがぺこりと頭を下げる。ツェス達は少ししてから、ジョアンに別れを告げ、フレイルの待つ宿へと向かった。




