ep7-035.短剣(3)
「騒動を起こしたのは貴様等か?」
ツェスが振り向くと、三頭の馬竜の背にまたがった兵士が三人、ツェス達をねめつけている。
兵士は真っ白な甲冑に身を包み、腰に剣を刺している。甲冑の左胸には、赤地の丸の中にドラゴンの横顔が黒で彫り込まれている。丸の下には小さく星が添えられていた。
兵士は鍔のついた金の兜を被っている。その下に日に焼けた精悍な顔つきを覗かせていたが、真ん中の一人だけ顔の上半分を覆う仮面をしている。仮面の兵士の姿は威圧的で、近寄り難い雰囲気が漂っているのは、仮面もさることながら、その人一倍大きな体躯のせいだ。ちらりと見える紅の髪は、彼が巨人族の血を引いているのかと思わせた。
「誰だ?」
「我らはガラム王国の警備隊だ。私は隊長のソリロット。巡視中にこの通りで諍いがあったと通報があった。所属と名を名乗れ」
ツェスの問いに、ソリロットと名乗った中央の仮面が問うた。
「俺の名はツェス、冒険者だ。こっちにいるのは仲間のイーリスとリーメ、そしてパーシバルだ」
ツェスは咄嗟にリーメとパーシバルを含めて自分達を冒険者だと名乗った。リーメが、お忍びで街を見て回っている最中なのだ。フォートレート王国から派遣された使節団で精霊女王の護衛だ、なんて言おうものなら面倒なことになると思ったからだ。それにジョアンも居る。軽々に身分を明かすのは憚られた。もっともパーシバルが騎士の正装のままだったら、そんな誤魔化しなどできなかっただろうが。
「私は、この通りで商いをしているジョアンです。こちらは私の護衛役のウェズン。怪しい者ではありません」
ジョアンが恭しく礼をする。ソリロット隊長は、仮面の奥で目玉をぎょろりと動かした。
「おぉ、そなたが豪商ジョアンか。このような姿で失礼する。会うのは初めてだが、噂は聞いている。何か不都合でもあったか?」
「いいえ、別に大した事では御座いません。こちらの少年が性質の悪い冒険者に絡まれていましたので、ちょっと助けただけで御座います」
「うん?」
脇からウェズンが簡単に経緯を説明する。後で襲って来た怪しい三人組の事も正直に話したが、彼らについてはソリロットも聞いたことがないと言った。
一通り説明を聞いたソリロットは、取り返した形見の短剣を抱えて身を固くしているバルドル少年に問いかけた。
「少年。名をなんという?」
「……バルドル」
ソリロットはバルドルの短剣に目をやった。気のせいかソリロットのまなざしが鋭くなったようにツェスには見えた。
「それが、奪われ掛けたという短剣か?」
「う、うん」
「その剣はお前のものか?」
「父さんの形見だよ。十五歳になったら僕のものにしていいって……」
「父君の名は?」
「オージン」
「母君は?」
「フリッグ」
ソリロットは考え込むかのように沈黙した。しばらくして、付近の住民に聞いて回っていたもう一人の兵士がソリロットに何か耳打ちする。
ソリロットは何度か頷いた後、ツェス達に向かって口を開いた。
「ツェスとやら、状況は理解した。お前達が諍いを起こした訳ではないという事は分かった。自由にしてよい。知っているとは思うが、今、ガラムは兵士の募集をしているが故、各地からガルーに多数冒険者達が集まって来ている。だが、中には禄でもない奴らもいてな。こうして巡回しているのだ」
そこまでいって、ソリロットは再びバルドルに顔を向ける。
「この少年については、我らが家にまで送り届けよう。バルドル、案内せよ」
「う、うん」
ソリロットの勢いに圧されたのか、バルドルは素直に承諾する。
「ツェスとやら、もし何か困った事があったら、王宮に来るがいい。仮面のソリロットと言えば、無碍には扱われまい」
ソリロットは、バルドルに案内するよう促す。
「じゃあ、僕はこれで帰るよ。助けてくれてありがとう」
「気をつけてな」
「バルドル君。また機会がありましたら、お会いしましょう」
「我が隊商は再来年の春までガルーに居ります。何かあればいつでもどうぞ」
ツェス達の見送りを受け、バルドルはソリロット率いる護衛隊に守られながらその場をあとにした。
◇◇◇
「ツェス殿、やはりあの時の盗賊団が襲ってきたときと同じ石だ」
ウェズンが投げナイフをツェスに見せる。奴らの投げナイフの大半はソリロット達が回収したのだが、ウェズンが先に拾っていた一本については没収されなかったようだ。
ナイフの柄頭には黒い組紐が結え付けられており、紐の反対側の端には、同じく黒光りする石がついている。
「魔法が使えなかったのは、こいつのせいなのか?」
「それは分からないが、普通の石でないことは確かだ。何かのマジックアイテムかもしれない」
ウェズンが何かを訴えかけるようにジョアンに顔を向ける。ジョアンは瞬時にその意図を察した。
「ちょいと拝見」
ジョアンはウェズンから投げナイフを受け取ると、問題の石を丹念に調べ始めた。ただ見るだけでなく、手触りや重さを確認することはもとより、耳元に近づけたり、臭いを嗅いだりもした。流石に噛んだり、舐めたりすることはかったが、味覚以外の全ての感覚をフル動員しての鑑定だ。
「マジックアイテムはいくつも扱ったことはありますが、このような石は見たことありませんな。知り合いの賢者にも見ていただきますかな」
ジョアンは腰の皮袋から布切れを取り出し、ナイフの刃をくるくると包んでから皮袋に仕舞った。
「ふぅ」
ツェスは一息ついた。魔法が発動しなかったこともそうだが、バルドルの剣を奪おうとしたあの謎の三人組の正体は、結局分からず終いだ。
「それにしても、何故、彼らは急に退いたのでしょうね。剣を落とした時の様子も変でした」
パーシバルが当然の疑問を口にする。三人組はまんまとバルドルの剣を奪い取り、後はタイミングを測って退くだけだった。それが急に剣を落としたのだ。不自然にも程がある。
「特に外傷らしきものも見あたりませんでした。魔法も使われた形跡もない……」
「それは私も気にはなった。精霊魔法が使えないようにする準備まで整えていた奴らだ。何か予想外の事が起こったとしか思えない」
ツェスは、パーシバルとウェズンが原因について推論を戦わせているのを黙って聞いていた。だがツェスの頭にはそれとは別の事が駆け巡っていた。
――あの電撃は何だったんだ?
バルドルの剣に触れた時、一瞬だけ指先に走った電撃。それは微かに感じる程度のものであったのだが、決して気のせいではない。見た目は普通の短剣だった。しかし、柄頭の拵えといい宝石といい、見たことのない剣だ。もしかしたら、あれも宝剣やマジックアイテムの類なのかもしれない。いずれにせよ庶民階級が持つにはひどく不釣り合いなものに思えた。
ツェスは頭を振った。そして、自分の掌を開いて眺める。
「ツェスさん、どう思います?」
パーシバルの問い掛けにツェスははっと我に返った。
「い、いや、俺には分からない。リーメ、何か気づいたことはないか?」
助けを求めるかのようにツェスはリーメに話を振った。
「申し訳ありません。私にも分かりません。少なくとも精霊魔法は使われていません。あの精霊の怯え方では、仮に精霊魔法を発動できたとしても、大した事はできなかったと思います」
リーメは静かに首を振った。パーシバルはそうですよねと溜息をついた。貴方も精霊使いだったのですかと少し驚いた表情を見せるウェズンに、リーメは、はい、と小さく答えた。
「どうしたの? ツェス、何かあったの?」
イーリスがツェスの顔を覗き込んでいた。彼女の栗色の瞳が少し心配気に震えている。ツェスの様子に明らかに違和感を覚えている顔だ。パーシバルやウェズンを誤魔化すことは出来ても、イーリスには通じない。
「い、いや、何でもない。気にするな」
「そう。ならいいけど」
それでも取り繕うツェスの返答に、イーリスはそれ以上問いつめることはなかった。だが、その表情は、まだ納得していないようだ。ツェスは本当に大丈夫だ、と宥めるように、重ねて言った。
「文がついてしまいましたが、私の商隊までもうすぐです。店でお茶でもお入れしましょう。極上の葡萄酒も用意しますぞ」
ジョアンが顔を上げて、皆に声を掛けた。その声に一同はようやく緊張が解けた顔でジョアンの後に続いた。




