ep7-033.短剣(1)
――ん?
ツェスの動きが止まる。男達の中に見たような顔があったからだ。もう一度、その男の顔を確認する。
短髪で陽に焼けていたが、片方の耳が潰れて変な形になっている。間違いない。キビエー村で半腕の剣鬼を名乗った偽物一味の片割れだ。あの時は派手な金ピカの鎧をしていたが、今は普通の皮鎧を着ていたので気づかなかった。
耳潰れ男もツェスに気づいたらしい。先ほどのリーダーと思しき男の耳元で何か囁いた。
「ちっ。おい餓鬼、今回だけは許してやる。次、同じことをやったら只じゃ置かねぇ。覚えとけ!」
男は少年の剣を乱暴に投げ捨てると、仲間と共にその場を立ち去った。
「怪我はないか?」
「うん。ありがとう」
危ないところを助けて貰った少年がウェズンに礼を言う。パーシバルがツェスに怪訝な顔を向ける。
「どうしたのですかね。急に」
「さぁな。お化けでも見たんじゃないのか」
ツェスは腰に手を当てて、お道化たように、もう片方の手の平を上に向けた。大方、「半腕の剣鬼」と事を構えるのはまずいとでも思ったのだろう。ともあれ、何事もなく済んで何よりだ。
ウェズンが少年に諭すように話しかける。
「王都といえど、今は無頼の輩が入ってきている。気をつけることだ。私はウェズン。この先の隊商の守備隊長をしている。こちらの二人は……」
「パーシバルです」
「ツェスだ」
ツェスとパーシバルが少年に自己紹介する。着ているチュニックは継ぎ接ぎだらけで、袖口もボロボロだ。どう見ても庶民階級にしか見えない。
「僕の名はバルドル。王都の北にあるララル村に住んでるんだ」
少年はバルドルと名乗り、ウェズンに自己紹介を始めた。明日、十五歳の誕生日を迎えるという。バルドルは知り合いの鍛冶屋に長年ずっと預けていた剣を受け取った帰りだと言った。
「も、もう大丈夫ですか?」
いつの間にか、ジョアン達が傍に来ていた。少し震えているジョアンにウェズンがそのようです、と安心させる。リーメを連れ立ったイーリスが、ツェスに声を掛ける。
「ツェス、大丈夫だった?」
「大丈夫もなにも、何もなかったからな」
「一体、誰だったの?」
「さぁな」
ウェズンが事の顛末をジョアンに報告する傍ら、リーメが大きく目を見開いて通りの奥を見ていた。さっきの騒動に怯えているのだろうか。心なしか緊張しているように見える。リーメを落ち着かせようと、ツェスが答える。
「大丈夫だ、もう心配ない」
「リーメちゃん、どうしたの?」
リーメの様子がおかしい事に気づいたイーリスが心配そうに覗き込む。
「精霊の騒めきが……。激しくなっています……」
リーメの言葉に一瞬戸惑ったツェスだったが、道端に投げ捨てられた少年の剣を拾おうと手を伸ばしたその時。
「待って!」
リーメが叫んだ。
――ドス、ドス、ドス。
投げナイフが数本、ツェスの目の前に突き刺さる。ツェスは後ろに飛び退いて、間一髪で躱した。ナイフの柄頭からぶら下がる組紐の先に、小さな石が結え付けられている。その石が柄に当たって、カチリと音を立てた。
顔を上げると三人の男がこちらに近づいてくるのが見えた。
「下がってろ! イーリス、皆を頼む」
ツェスはイーリスにジョアン達を護るよう指示を出す。
「ジョアンさん、立って!」
その場で膝をついて肩を震わせながら女神リーファに加護の祈りを捧げるジョアンに、イーリスが逃げるよう促す。
ウェズンはツェスとジョアン達の間に入り、どちらにもサポートができる位置を取った。
三人の男達は平然と近づいてくる。三人共、茶色のマントを纏いマフラーのような長布を首に巻き付けて口元を覆っている。一見冒険者風ではあるが、鎧を着ていないし、腰の剣も見あたらない。背中に何かを背負っている様子もない。
男達は単に近づいてくるだけなのだが、それだけで周囲の空気がピンと張りつめる。先程の冒険者達とはモノが違うとツェスは感じた。
ツェスと同じ事を感じたのだろう。パーシバルが少し緊張した面持ちで謎の三人を見据える。
「ツェスさん、気をつけてください。手練れです」
「分かってる」
剣を抜こうとしたツェスは、はっと気づいて止めた。普通であればいきなり剣を抜くような真似はしない。だが、思わず剣に手を伸ばしてしまったのは、そうせざるを得ない程の殺意が先程の投げナイフに込められていたからだ。
先程、バルドルがいちゃもんをつけられていたように、比較的治安のよいガラムでも、冒険者同士の諍いは珍しくない。だが、この三人は周りを圧する強烈なオーラを放っていた。
ちらほらといた通行人もその異様な雰囲気と圧を感じて、逃げるように去っていく。
ツェスは目線だけを動かして、両端の建物を確認した。投げナイフは深い角度で地面に突き刺さっていた。角度から見て、建物の中か上からナイフを投擲した奴がいる筈だ。だが特に怪しい影は見あたらない。
パーシバルをちらりと見る。若いハンサムな騎士は小さく首を振った。
「僕にも見えませんでした」
ツェスの懸念を読みとったパーシバルが短く答えた。頭上を警戒しつつツェスは正面の三人を見据える。
三人は素手のまま近づいてくる。やはり武器らしきものは見えない。
――精霊使いか?
精霊使いは剣を帯びないのが普通だ。だが、それは精霊使いが剣を使えない事を意味しない。精霊使いでも剣に長けた者は少ないながらもいることはいる。フレイルもその一人だ。目の前の三人がそうでないという保証はない。
「誰だ!」
ツェスが問いかける。
「止まれ!」
返答のない男達に、再び警告する。
「……」
男達は警告を無視して近づいてくる。
三十歩程の距離まで近づいたところで、ツェスは剣の柄に手を掛けた。同じく剣に手をやったパーシバルがそっとツェスに近寄る。
「ツェスさん、彼らのお目当てはあの剣かもしれません」
パーシバルは少年の剣にちらりと目を向ける。剣はツェスから五歩くらい離れた所に落ちている。投げナイフのせいで少し離れはしたが、まだ手の届く距離にある。
「なぜそう思う?」
「剣を拾おうとしたツェスさんにナイフを投げる理由がそれ以外に思い当たりませんから。ナイフを投げた者と正面の彼らが仲間なのかは分かりませんけど。それとも、ツェスさんは彼らから恨みでも買っているのですか?」
「まさか」
ツェスの口元から思わず笑みがこぼれた。こんな状況でも冷静に分析して、かつユーモアを失わないパーシバルに感心した。なるほど護衛役にはぴったりだ。
「彼らは剣を持っているようには見えません。剣を持っている僕達に丸腰で近づいてくるのは自信があるからでしょう。あるいは剣以外の何か……」
「魔法か?」
「それにしては近づき過ぎています。精晶石の開封詠唱する時間もありません。魔法を使う気なら、後ろに精霊使いを控えさせる筈です」
「だな。だが、短剣くらいは隠し持っているかもしれない。マントの裏にでもな」
「そうですね」
果たして、ツェスの予感は当たった。
男達の一人が歩みを止める。残りの二人は、腰の後ろに手を指し入れたかと思うと、短剣を取り出した。逆手に構えて刃をこちらに見せる。どうやら話し合う気はなさそうだ。
ツェスとパーシバルはほぼ同時に剣を抜いた。
◇◇◇
シュン!
空気を切り裂く小さな音が鳴った。短剣を手にしなかった後方の一人が投げナイフを二本、ツェス達に放った。
ナイフは正確にツェスとパーシバルの心臓をねらっていた。避けられない距離ではなかったが、ツェスとパーシバルは避けずに剣で受けた。後ろにイーリス達が居るからだ。
ギィン!
高い音を立てて、投げナイフが宙を舞う。しかし、それに気を取られている余裕はない。目の前に短剣の男が迫っていた。
ガキン!
ツェスとパーシバルは、男の短剣をそれぞれ剣で受けた。あまりの衝撃に火花が散った。向こうの剣は片手、こちらは両手で持っているのに思わず押し込まれそうになる。刃と刃が擦れ、ギリギリと音を立てた。
「ええい!」
後からウェズンが飛び込んできた。ツェスとパーシバルの間に入り、横からマント男をねらう。だが、二人の男は易々とウェズンの剣を躱し、数歩距離を取った。
「大丈夫か」
「平気だ。俺がこっちの相手をする。その間にあっちを頼む」
ツェスは目の前の男と鍔競り合いをしたまま、ウェズンに怒鳴った。数では三対三と互角だが、剣を持っているのはこちらが一人多い。投げナイフを放った一人が短剣か何かを取り出さなければだが。
ツェスは、後に残った一人がまたナイフを投げてくるのでは、と不安を覚えた。投げナイフを気にしながら、目の前の男の相手をするのは少々難儀だ。ナイフを避けるだけなら何とでもなるが、それではイーリス達に当たる危険がある。
イーリスの精霊魔法で牽制して貰う手もなくはないが、相手の動きが異常に疾い。魔法詠唱のわずかな時間でも命取りになるかもしれない。ジョアンやバルドルの安全を考えれば、逃げるのが一番だ。
ツェスはイーリス達が安全な所に逃げたことが確認できるまでは、ここで踏みとどまるしかないと気合いを入れた。
ツェスがじりっと一歩踏み出した矢先、後からイーリスが叫んだ。
「ツェス!」
ツェスが声の飛んだ方を見やる。ナイフを投げた一人が、落ちていた少年の剣に手を伸ばしていた。
「貴様ぁ!」
いち早く気づいたウェズンが剣を拾った一人に突進する。だが、男が再び投じた投げナイフを剣で弾き飛ばす間に奪い取られた。
――!
ツェスと刃を交えた男は、更に数歩後退した。パーシバルの方も同じだ。
剣を奪い取った一人を庇うように固まる。
「しまった!」
男二人がツェスとパーシバルを攻撃している間に後の一人が剣を奪う作戦だったのだ。ツェスはしてやられたと歯噛みした。
それでも、剣を取り返そうとツェスが更に一歩踏み出した瞬間、足下に投げナイフが突き刺さる。
正面からではない。上からの投擲だ。ツェスが顔を上げると右の建物の屋上にちらりと人影が見えた。一瞬だったので良くは分からなかったが、足下のナイフはそれ以上進ませないという意図を十分に感じさせるものだった。
――やはり、仲間がいたか。
こちらが飛道具でも使ってこないか警戒しているのだろうか、正面の二人は、投げナイフ男を庇いながら、剣を構えたままじりじりと後退する。決して背中を見せない。
「ツェス!」
またイーリスの声が飛んだ。イーリスが腰の袋に手を入れ、琥珀の精晶石を三個取り出すと、ツェスの頭を飛び越す形で投げ放った。




