ep7-030.ガラム王国(2)
――王都ガルー。
およそ三万人の人口を抱える大都市だ。都の東半分はバルバールの海に面し、北はトレオン河に接している。その周囲は城壁に囲まれた堅固な要塞都市でもある。
ここに居城を構えるのは、英雄王レーベの三男にして、初代国王のバステス・フォン・ラドマーニュ・レーベ。
彼がこの地を治めて早や十五年の月日が流れていた。バステス王は租税を軽くし交易を奨励した。そのお陰で、東に海を臨む王都ガルーは大陸各地から商人が集まる一大貿易拠点となっている。
ツェス達使節団一行は正午過ぎに王都ガルーに到着した。
高い城壁に囲まれた門をくぐると大きな広場だ。ツェス達と同じ様な馬竜車が多数往来している。正面道路は緩やかな上り坂となっていて、坂の天辺に城が見える。ガラム王バステスの居城だ。
「フレイル様」
門を入って直ぐに呼び止められる。声の主は、先行してガラムに入ったコロネーだ。もう一人同伴していたオーライガの姿はない。
「ご苦労であった。首尾はどうだった?」
フレイルが御者席から問いかける。
「はっ。王宮に使節の到着を伝えました。受け入れには問題ありません。ただ謁見その他段取り確認の為、使節団長に会いたいと。迎えを寄越すそうです」
「分かった。オーライガは?」
「オーライガは宿を探しています。迎賓館も官舎も満杯になっているため、街で宿泊して欲しいとのことでした。迎賓館は明日以降で用意していたとの由。どうやら早く着き過ぎたようです」
「そうか。それにしても珍しいな。ここの官舎まで埋まるとは……」
コロネーが何か答えようとする前にイーリスが口を挟む。
「やっぱり、荷台で夜明かしじゃない」
「心配はいらん。ここは王都ガルーだ。泊まるところはある。多少値は張るかもしれないがな。オーライガが良い宿を見つけてくれるだろう。王宮から迎えが来るとなれば、しばらくここで待つとするか」
フレイルはそう言って、馬竜の首を広場の右端に向けさせた。広場の脇には馬竜車を一時的に止めるスペースが設けられており、他にもいくつかの馬竜車が泊まっていた。フレイルはオーライガとコロネーが乗っていった馬竜車を見つけるとその隣に自分達の馬竜車を停めた。
「あの……」
リーメがおずおずとフレイルに声をかける。
「どうされた、リーメ殿」
「時間があるのなら、この街を少し見てみたいです」
「馬竜車は城に向かう大通りしか通れない決まりでしてな。大して見るようなところは……」
「いいえ。馬竜車の中からではなく、街を散策したいのです。精霊達が少しざわめいていますから……」
「しかし……、リーメ殿に万が一の事があってはなりません。ここは御自重……」
リーメの少し憂いを帯びた金色の瞳に、フレイルは少し困った顔を見せた。
「宿が見つかるまでずっとここで待ってるの? リーメちゃんには護衛をつければいいじゃない。あたしが護衛するわ」
「俺も行こう。ガルーの治安は悪くない。俺達二人もいれば大丈夫さ」
イーリスの提案にツェスも同調した。フレイルはしばらく考えてから、もう一人護衛をつける条件で承諾した。
「……パーシバル、お前も護衛についてくれるか」
「はい。お任せ下さい」
フレイルが部下の一人に声をかけると、深い藍色の髪の若い騎士が一歩進み出てきた。年はツェスと同じくらい。やや痩せ形だが、その躰はよく鍛えられて引き締まっている。フレイルの部下として前線での戦闘を幾度も経験している筈なのだが、彼の端正な顔には傷一つない。それは彼の攻撃力と防御力の高さを示すものであったのだが、もちろんツェスもイーリスもその事は知らない。
「リーメさん、イーリスさん、ツェスさん。という訳で私も同行させていただきます。よろしく」
「こちらこそ、ハンサムさん」
イーリスがにこりと応じる。リーメはお願いしますと膝を少し折って挨拶を返した。ツェスは仕方ないかとばかり、首を竦めたが、ひとつだけ注文を付ける。
「パーシバル、そのいかにも騎士様だと分かる格好じゃ却って目立つ。普通にしてくれないか?」
「なるほど、それもそうですね」
パーシバルはフレイルにアイコンタクトで許可を求める。フレイルは片目を瞑って許可を出す。パーシバルは馬竜車に戻って正装を解き、ガラムへの旅路で着ていた略装に着替えた。
「まだ格好つけてるが、ま、そんなもんかな」
「ツェス、ハンサムは何を着ても格好いいのよ。貴方じゃ逆立ちしたって無理よ」
ツェスがパーシバルの服装を評した横でイーリスが軽口を叩く。ツェスが肩を竦めてから、行こうかと踵を返しのだが、リーメが待って下さいと呼び止める。
「フレイルさん、貴方は闇の精霊使いでしたよね?」
「はい」
「闇の精晶石はお持ちですか?」
「もちろん。もしや顔寄せですか」
「はい。私の守護精霊に貴方の精霊と顔寄せさせてください」
「そういうことでしたら喜んで。実を申すと心配だったのですよ」
リーメはにこりと微笑む。フレイルは腰につけた皮袋の口を開け、中から親指大の黒瑪瑙を取り出し、手の平に乗せる。
「何だ?」
「黙ってて。ツェス」
思わず声を上げたツェスをイーリスが自分の唇に人差し指を立てて制した。
リーメは右手を延ばし、中指でそっと漆黒の精晶石を撫でる。
「闇を統べる天空神エルフィル、我が名はリーメ。リーファとの盟約に従い、我が闇の守護精霊と契りを結びなさい」
精晶石から黒い羽を持った妖精が飛び出した。見た目は黒揚羽蝶にそっくりだが、羽の裏側に薄紫の筋が並び、尾状突起が異常に長く体長と同じくらいある。黒揚羽は、リーメの指から腕を伝って、肩口辺りまでくるとひらりと身を翻して、元に戻り、精晶石に吸い込まれていった。
「これで、フレイルさんと精霊通信できるようになりました。夜の間だけですけど」
「精霊女王と顔寄せできるとは、光栄の砌です。末代までの自慢となりましょう」
まだ、状況が飲み込めてないツェスにイーリスが説明する。
「互いの精霊が顔合わせしたのよ。精霊通信は相手の精霊の顔が分かってないと届ける事が出来ないの。今、フレイルさんとリーメちゃんの精霊同士が顔合わせしたから、精霊通信できるようになったのよ」
「そういうことか」
イーリスの説明に納得の表情を見せていたツェスだったが、何かに気づいたかの様に眉間に皺を寄せた。
「イーリス。お前は養父と精霊通信しているが、同じ事をやったのか? 精霊契約したときは養父はいなかったぞ」
「へへん。精霊契約の旅に出るときに、師匠の精晶石を持たせてくれたのよ。もしも風の精霊と契約を結ぶのなら、風の精晶石に封じた師匠の精霊と顔寄せしておくようにってね。精霊使いと契約した精霊は、契約したときにその姿が決まるの。精霊使いが一番望んでいる姿にね。その姿は聖晶石に封じても変わらないわ。だから相手の精晶石さえあれば顔寄せできるのよ。あたしは契約の次の日に、師匠の精霊と顔寄せしたわ」
イーリスが得意気に鼻を鳴らした。精霊使いといえど、精霊はいつも側にいる訳ではない。必要なときに召還するのがスタンダードだ。しかし精霊の属性によっては召還しにくい地形や自然環境があるため、いつ如何なる時でも呼び出せるとは限らない。
その弱点を補うべく創られたのが精晶石だ。精晶石に精霊を封じることによって、ほぼどんな時でもノータイムで精霊召還が可能となった。それから程なくして、精霊を介しての通信が大陸に広まっていった。精霊通信の始まりだ。
精霊通信といっても宛先がなければ通信は不可能だ。そのため、通信相手の精霊と自分の精霊を予め顔合わせしておく必要がある。書簡でいえば、宛先の交換のようなものだ。
顔寄せは互いの精霊を共に召還しなければならないこともあり、それほど使われることはなかったのだが、精晶石が発明されてからというもの、精霊通信を行う者にとって顔寄せは必須となった。今では相当数の精霊使いが互いに顔寄せを行い、精霊通信を使っている。
「じゃあ、リーメとも?」
「当たり前でしょ。リーメちゃんは、七属性全ての精霊を使える精霊女王なんだから。とっくに済ませているわ。あんたが昼寝している間にね」
イーリスは最後に余計な一言を付け加えて笑って見せた。




